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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 1/1 30–31ページ

読者からの質問

● ヨハネ伝 20章25節のトマスのことばによれば,イエスは両手を釘づけにされて刑柱にかけられたのですか。―中華民国(台湾)の一読者より

イエスは復活後,いく人かの弟子に現われましたが,使徒トマスはその場に居合わせませんでした。事のしだいを聞いたトマスはこう答えました。「我はその手に釘の痕を見,わが指を釘の痕にさし入れ,わが手をその脅に差入るるにあらずば信ぜじ」。(ヨハネ 20:25)釘(複数)について述べたトマスのこのことばから,キリストは両手を釘づけにされたのかと考える人がいます。

イエスが実際に刑柱につけられたことをしるした聖書の記述を読むだけでは,イエスがどのように刑柱につけられたかはほとんどわかりません。福音書の記述者たちは,イエスが刑柱に釘づけされた,あるいは刑柱につけられたと述べているだけです。受刑に関するそれらの記述は,キリストがからだの一部を刑柱に突き刺されたのか,柱に縛られたのか,刑柱に釘づけにされたのかについては何も述べていません。―マタイ 27:35。マルコ 15:25。ルカ 23:33。ヨハネ 19:18。

しかしイエスの復活の記録後,トマスが語ったヨハネ伝 20章25節のことばは,イエスの両手が刑柱に釘づけにされたことを明らかに示しています。ではどんな仕方で釘づけにされたのですか。それはわかりません。イエスの両手が重ねられて1本の釘で釘づけにされたのか,それとも並べられた両手がそれぞれ釘づけにされたのか,聖書は何も述べていません。もし両手が釘づけにされたのであれば,トマスはイエスの両手のことだけを語ったと考えられるでしょう。

しかし,もう一つの可能性も度外視できません。イエスの両足が1本あるいは何本かの釘で刑柱に直接,または刑柱に取り付けられた小さな台につけられたと考える学者も多数います。イエスご自身も,弟子たちに現われた別の機会には,ご自分の手と足の傷に言及されたようです。イエスは確かにご自分が復活したイエスであることを弟子たちに確信させるため,「我が手わが足を見よ,これ我なり」と言われました。(ルカ 24:39)トマスはイエスの足のことは特に述べていません。しかし,言及されているのは手のことだけですが,「釘の痕」と語ったトマスのことばはキリストの手と足の両方を意味していたのかもしれません。

ものみの塔協会の出版物の中には,イエスが両手に1本の釘を打たれ,もう1本の釘を両足に打たれたさし絵の載せられたものがあります。それはさし絵を書いた人自身の考えに基づくものにすぎませんが,イエスがそのような仕方で刑柱にかかったと考える余地は十分あります。こうした特殊な事柄は興味深い問題ですが,イエスの死に関して心に留めるべき主要な点は,その死によって成し遂げられた事柄です。一つには,その死によってモーセの律法を終わらせました。神は「これ[モーセの律法]を中間より取り去りて〔刑柱〕につけ」られたからです。(コロサイ 2:14,〔新〕)またイエスは,刑柱上の苦しみと死に際しても神への忠実を保ち,サタンからのいかなる誘惑や圧迫を受けても,人間は愛の心からエホバに忠実に仕えられることを立証しました。さらに,イエスが刑柱の上で遂げられた死は,あがない,すなわち信ずる人間を罪と死の束縛から解放するための価を備えるものとなりました。―テモテ前 2:5,6。コリント後 5:14,15。

● ヨハネ伝 7章39節に述べられている「御霊いまだ降らざりしなり」とはどういう意味ですか。―アメリカの一読者より

ひとことで言えば,それは,キリストの弟子はまだだれも聖霊によって油をそそがれておらず,また天の命への召しを受けていなかった,という意味です。

イエスはその死のおよそ6か月前,つぎのように言われました。「『人もし渇かば我に来りて飲め。我を信ずる者は,聖書に云へるごとく,その腹より活ける水,川となりて流れ出づべし』これは彼を信ずる者の受けんとする御霊を指して言ひ給ひしなり。イエスいまだ栄光を受け給はざれば,御霊いまだ降らざりしなり」― ヨハネ 7:37-39。

ここでイエスは,その時すなわち西暦32年の仮庵の祭りの時まで,神の活動力つまり聖霊が存在していなかったということを意味されたのではないことは明らかです。イエスとその話を聞いていた者たちとは,神がはるか昔から聖霊を用いておられたことを知っていました。(創世 1:2。サムエル後 23:2。使行 28:25)神の霊は,オテニエルやエフタまたサムソンなどの忠実なしもべの上にとどまりました。(士師 3:9,10; 11:29; 15:14)しかしそれまでの不完全な人間に関連して聖霊が用いられる仕方の中でまだ実施されていない方法がありました。つまり,これら忠実なしもべたちのうち,まだだれも聖霊によって天の命に召された人はいませんでした。

仮庵の祭りのあいだ,ユダヤ人の祭司はエルサレムにあるシロアムの池に行き,金の容器に水を入れて宮に運ぶのをならわしとしていました。イエスはおそらくこの習慣を念頭において,その水よりもさらに心身をさわやかにする,より重要なものが将来訪れることを指摘されたのでしょう。そしてこのきたるべき「活ける水」は,イエスの追随者が神の霊を受けることに関連しているようです。

イエスはその死の前夜,ご自分がやがて弟子たちに真理の聖霊を送り,そして弟子たちはイエスから聞いた事柄すべてをその聖霊の助けで思い起こすであろうと言われました。(ヨハネ 14:16,17,26)これは,弟子たちがその当時,聖霊を少しも受けていなかったという意味ですか。そうではありません。なぜなら,弟子たちは教えるわざに関連して奇跡的ないやしを聖霊の助けで行なっていたからです。(マタイ 10:5-8)また,聖霊の助けがあったからこそ,イエスから教えられた数々の霊的な事柄を理解できたのです。しかし弟子たちは,イエスがヨハネ伝 7章39節で言われた聖霊によって油そそがれることはまだ経験していなかったので,イエスの教えの全体を把握することはできませんでした。たとえば,キリストが三日目に死から復活して霊者になること,またキリストの御国は天のものであることを彼らは理解できませんでした。(ヨハネ 20:9。使行 1:6)人間が霊者になって天に住むなどということは,彼らにとって一度も考えたことのない事柄でしたから,それも当然です。しかし弟子たちはひとたび聖霊に油そそがれ,天の命の希望を与えられるにおよんでキリストの言われたそれらの事柄を理解できるようになりました。

イエスが復活後,弟子たちに現われた時でさえ,ヨハネ伝 7章39節でイエスが言われたことばの意味においては,『御霊はいまだ降って』いませんでした。よみがえったキリストは弟子たちにこう約束されました。「聖霊,なんぢらの上に臨むとき,汝ら能力をうけん」(使行 1:8)弟子たちはすでに,イエスがメシアであることの証人となっていましたが,霊者としてのイエスが,かつて人間であった仲間の霊者たちとともに天で支配されるということはまだ証ししていませんでした。

西暦33年ついにイエスは,天の栄光を受けた霊者としてエホバから与えられた聖霊をその追随者に注がれました。(使行 2:4,33)不完全な人間が霊者として天で生きるという希望を与えられたのはこの時が最初です。こうして油をそそがれた当時のクリスチャンは,イエスから聞いた多くの事柄を理解できるようになりました。また彼らにはなすべき仕事もありました。

これら油そそがれたクリスチャンは新たな意味でイエスの「証人」になるのです。彼らは今や聖霊を受け,その「聖霊……は(彼らが)受く嗣業の保証」になりました。(エペソ 1:13,14)また天の御国を伝道することにより,「その腹より活ける水,川となりて流れ出づ」るようになったのです。なぜなら,彼らが受けた,命を与える真理の水はまさにとこしえの命に導くものだからです。このとこしへの命の保証は遠い将来のことではなく,天の命への召しはまさにその時点で受けることができたのです。そのペンテコステの日3,000人がこの「活ける水」の益にあずかってバプテスマを受け,「聖霊の賜物」を受けました。―使行 2:38-42。

そしてエホバは油そそがれたそのようなクリスチャンを引き続き用いられ,ご自分のお目的の理解を彼らを通して与えてこられました。そのお目的の中には,キリストに信仰を働かせる今の世代の人々が,この邪悪な体制の終わりを生き残り,地上の楽園で永遠に生きられるという見込みも含まれています。聖霊によって油をそそがれて,天の命の召しを受けたクリスチャンから「活ける水」が流れ出ることを述べられた,ヨハネ伝 7章38,39節のイエスのことばは確かに真実でした。

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