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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 2/1 67–71ページ

迷信を退けなさい

ある婦人の旅行者は,差し出された食べ物を見るなり,それまでの感謝と喜びのほほえみをたちまち失ってしまいました。

「これは決していきのわるいものではありませんから,召し上がってください」と女主人はしきりに勧めました。

「いいえ,なまずをいただくことはできません。もしなまずを食べるなら,わたしは自分の子を殺した罪に問われますわ!」と言って,その婦人は食べるのを断わりました。

これは不合理なことですか。迷信にとらわれていない人はそう言われるでしょう。しかしある国では,なまずを食べることが重大な罪とされているのです。

とは言っても,こうした禁制から多くの人が解放されてきました。それらの人はもはや死者を恐れたり,「お守り」に頼ったり,夢や縁起に従って生活したりしてはおらず,今や幸福で平安な生活をしています。では,どのようにして迷信から解放されたのですか。

死者に関する真理は人々を自由にする

このように人々を迷信から解放したのは,真理,特に死人の状態に関する真理です。イエス・キリストは言われました。「汝ら……真理を知らん,しかして真理は汝らに自由を得さすべし」― ヨハネ 8:32。

では,死者に関する真理とはなんですか。死者は生きている人と交信したり,生きている人に危害を加えたりできますか。前述の婦人が,なまずを食べると自分の子を殺すことになると言ったのはなぜですか。

このアフリカの婦人が住んでいる村の近くの川にいるなまずは,死者の霊の化身であるとされています。それで村人はその禁制についてこう説明します。「それはおきてですから,わたしたちはなまずを食べません。それを食べる女の人は,子供を産めなくなったり,子供をなくしたりします。男の人なら,子供をもうけることができなくなります」。なまずを食べる人は死ぬと信じている者さえいるのです。

サムエルという名の一人のアフリカ人の若者は,この禁制を守って,なまずを食べませんでした。ところがやがて若者は聖書を学びはじめ,死者には意識も何もないと聖書が教えていることを知りました。たとえば聖書はある箇所でこう述べています。「生者はその死んことを知る されど死る者はなにごとをも知ず」― 伝道 9:5。

サムエルはまた,死者の「気息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる」ことを聖書から学びました。(詩 146:4,口)このことからサムエルは,気息すなわち霊,つまり生命力は,人間の死後独自に生き続ける理知のあるものではないことを知りました。むしろ死によって生活は完全に終わるのです。聖書はまたこう述べています。「[神]もしその心を己にのみ用ひ その霊と気息とを己にひきもどしたまはゞ もろもろの血肉ことごとくほろび 人もまた塵にかへるべし」― ヨブ 34:14,15。

こうして,人間の霊は肉体の死後に生き続ける,個性を持った存在ではないという聖書の真理を学んだサムエルは,なまずを死者の霊の化身とみなす迷信がまちがっていることを知りました。また,なまずを食べると子供をもうけられなくなるという考えがいかに不合理かを知ったので,サムエルはなまずを食べるようになりました。

しかし,サムエルはしばらくのあいだ結婚しなかったので,部落の人々は,彼がなまずを食べたために配偶者を得られなくなったのだと考えました。しかし,やがてサムエルは結婚しました。すると今度は,サムエルには子供が生まれない,たとえ生まれても子供はきっと死ぬだろうと村人は考えました。ではどうなりましたか。

サムエルの最初の子供は死にませんでした。2番目そして3番目の子供も元気です。そのうえ4番目の子供が生まれようとしているのです! ところが,なまずを決して食べないサムエルの姉の場合はどうですか。ある時,禁制を破ってなまずを食べたサムエルをとがめた姉に,サムエルはこう答えました。「もしこの禁制が正しいなら,わたしの子供は皆元気なのに,おねえさんの子供たちが死んだのはどういうわけですか」。

それは事実でした。サムエルの姉は3人の子供をなくしていたのです。姉は迷信を恐れて禁制を守ったのに,子供の命は守られませんでした。

聖書の真理によってひとたび自由を得たサムエルは,迷信のとりこには決してなるまいと決心しました。それで父親が死んだ時,故人が霊界に持って行くための贈物を柩に入れることを拒みました。その地方で行なわれている「故人とともにする食事」にもあずからず,故人が他の死者たちの仲間入りをすることを祝う,「死者」の宴にも参加しませんでした。サムエルはこうして恐れずに聖書の真理に従ったため,執念深い死人の霊から危害を加えられましたか。いいえ,なんの危害も受けませんでした。

あるいはあなたも,死者にまつわる迷信を恐れるひとりかもしれません。たとえば,自分の弟がはたして死んだおじさんの生まれ変わりかどうかを知りたいと思いますか。弟の耳の形を見て,おじさんの耳のかっこうはこのとおりだったと考えますか。あるいは,人は死ぬと子供になって生まれ変わるという迷信を信じて,人の生前の名前は,その人の生まれ変わった子供だけにつけなければならないと考え,生存中の親族の名前を自分の子供につけることを嫌いますか。

聖書の真理を学び,そうした迷信を打破してください! 聖書を「神の言として ― 事実そのとおりで(す)が ―」信頼してください。(テサロニケ前 2:13,口)将来の命は,転生によらず,イエス・キリストに与えられた復活の力により得られるというのが真理です。イエス・キリストは言明されました。「我は復活なり,生命なり」― ヨハネ 11:25。

復活後のイエスは,以前の人間としてのご自分の生活をすべて記憶しておられました。復活したラザロの場合もそうです。彼は墓から出て来たのちも,ずっとイエスの弟子として生活しました。(ヨハネ 11:38-44; 12:1,9-11)あなたはいかがですか。あなたは前世のことを思い出せますか。もしほんとうに前世があったのなら,その時のことを思い出せるはずです。実際のところ,転生とは人間の誤った考えに基づく空論です。神の真理のみことば聖書はこのことを明示しています。

迷信に対する恐れの根拠

しかし迷信に対する恐れにはなんら根拠がないというわけではありません。たとえば,サムエルは同じアフリカの9歳の子供の経験を覚えています。その少年がある日,森の中を歩いていると,自分の名前を呼ぶ声を聞きました。振り返ると,だれもいないのでそのまま歩こうとすると,今度は,後ろから石が飛んで来て少年の前に落ちたのです。少年は恐ろしくなって家に帰り,わけを話したところ,父親は死んでまもないその母親のしわざだと説明しました。

その後,町で人間の死体を見るたびに,少年は恐怖で胸がいっぱいになりました。しかし,後日,彼は聖書のヨブ記 7章9,10節に基づいて問題をよく考えました。そこにはこうしるされています。「雲の消て去るがごとく陰府[墓]に下れる者は重ねて上りきたらじ 彼は再びその家に帰らず彼の郷里ももはやかれを認めじ」。今や彼は,少年の時分,自分の名前を呼んで石を投げつけたのは母親でなかったことを知りました。母親は死んで無意識の状態にあったのですから,そのようなしわざをするために戻ることはできなかったのです。では,それはだれのしわざですか。

聖書は,多くの超自然的な現象の原因が,人間からぬけ出た霊にではなく,目に見えない邪悪な霊者にあることを示しています。これらの邪悪な霊者たちのかしらはサタン悪魔であって,イエスはこの者を「虚偽の父」(ヨハネ 8:44)と呼ばれました。サタンとその邪悪な霊者は,人々を欺き,人間は死後も生き続けて霊界にはいるということを信じさせようとしてきました。そして,人間は死んでもなお存在するのだという,うそを維持するために,死人の生前の声をまねることさえしてきました。

「お守り」の束縛を断ち切る

また,所によっては,木や岩,川あるいは山などの自然界の事物,とりわけ像などに,人の幸・不幸を左右し得る魂が宿っていると考えられています。したがって,よこしまで気まぐれな悪意のある霊から身を守るため,「お守り」には,強い効力を持つとされているものがいくつかはいっています。たとえば,小石,骨,鳥のかぎづめやくちばしなどには効力があるとされています。こうした「お守り」は角の中に詰められたり,小さな包みに作られます。

「ジィーファ」として知られているこうした「呪物」の一つは,成人だけが身に付けます。これを皮袋に入れて首にさげるのです。ジィーファには,これをさげている人の命令どおりに動く,いわば「部下」がいます。ピーターのような育ちざかりの少年にとってそれは身につける指輪のことです。

たとえば,ピーターは,その呪物のたたりを受けないようにするために,「お守りのおきて」を守らねばなりません。そのおきての一つによれば,焼いたカサバを食べてはなりません。また,もしどこかに行く場合,刺しアリが近づいてきたり,右の方でドドと呼ばれている鳥の鳴き声を聞いたりしたなら,引き返して,出発点にもどらねばなりません。もう一つのおきてによれば,その指輪をはめたピーターの「頭上で話す」ことはできません。ですから,もしピーターがわらぶきの家の台所にすわっている場合,あえてその上に登り,その頭上から少年に話しかけるようなことはだれもしません。このようなわずらわしいおきてが人々の生活をどんなにむずかしいものにしているか容易に想像できます。

ピーターは12歳の時,学校に行くため西アフリカの下ビュカナン地区に送られました。しかし,知的成長を図るすぐれたその機会がピーターにとってはふきつなつらい時となりました。なぜですか。家主が2階,つまりピーターの頭上に住んでいたからです。頭上で話をしないでほしいと家主に申し出ることはできなかったので,ピーターはそこにいる間ほとんど屋外で過ごし,ついに,「お守り」のたたりを恐れてその家を出ました。

何年かののち,エホバの証人と聖書を学んだピーターは,神が,「占いをする者,卜者,易者,魔法使」を罪に定めておられるということを知り,心を打たれました。(申命 18:10,口)そして,刺しアリやその鳥に関する「お守りのおきて」は,吉凶を重んずる迷信にほかならないことを知りました。また無生の物を混ぜて作ったジィーファが,生きた人間をどうして守れるのですか。彼はそれまで魔力を信じていたのです。ジィーファのような偽りの呪物を信じていたのでは,まことの神からどんなさばきをこうむるかもしれません。

エホバ神を恐れたピーターは真理の力に動かされて,「お守りのおきて」に挑戦するようになりました。彼は焼いたカサバを食べるようになり,また,行く手に刺しアリがやって来ても,そのまままっすぐに進み,決して行く先を変えませんでした。これは15年前のことです。ジィーファの迷信を無視したピーターは災いに会いましたか。いいえ,それどころか,「やすらかに(彼の)途を歩き」続けてきたのです。―箴言 3:23-26。

つぎはジョンの例です。彼は上着の下に「お守り」をつけた短いガウンを着て,新月ごとにそのガウンのために供え物をささげました。そうしないと病気になったり,正気を失ったりするとされていたのです。また人と議論をする場合には,胸をたたきさえすれば,「お守り」の力が働いて反対者に勝てると考えられていました。ある日,ジョンは聖書のつぎのようなことばを読みました。「聖者いひ給はく さらばなんぢら誰をもて我にくらべ我にたぐふか」― イザヤ 40:25。

ジョンの心は動揺しました。これまでの生活の中で「お守り」が神の代わりになっていたのだろうか。自分はまことの神に心から頼ってきたのだろうか。祈りをささげてきたにしても,実のところ,まことの神に自分の祈りを聞いていただけると考えられるだろうか。全能者は専心の献身を求める神であり,ご自分の栄光を敵対者に与えられることはありません。「こゝろを尽くしてエホバに依頼」むことを学んだジョンは,3万6,000円相当の「お守り」をつけたその高価なガウンを海に捨てました。―出エジプト 20:5。イザヤ 42:8。箴言 3:5。

ジョンがその高価なガウンの代わりに,聖書の述べる「正義の胸当」をまとうようになったのは10年前のことです。それ以来今日まで,ジョンは海に捨てた例のガウンのため身心の健康をそこなわれたことはありません。―エペソ 6:14,口。

夢による欺きから解放される

しかし,こう尋ねる人がいるかもしれません。「夢の中で故人に会って話をしたような場合,その故人が実際には存在していないとどうして言えますか」。

ある若い婦人の例ですが,死んだおばあさんをしばしば夢で見ました。生前,孫娘であるこの婦人をたいへんかわいがっていたそのおばあさんは,婦人が病気になると,夢枕に現われて,薬に関する指示を与えました。ある時など,目の前に現われて,彼女の子供のおむつを取り替えることさえしました! これは,そのおばあさんが霊界で確かに生きていることの証拠ではありませんか。

もちろん,これこそ「偽りの父」であるサタン悪魔が人間に信じさせようとしていることです。サタンは,死者が人間と交信でき,人の幸・不幸を左右できるということを人々に信じ込ませ,人間を迷信とその恐れのとりこにしておきたいと考えています。サタンとその手下はきわめて巧みに人間を欺きます。聖書はこう述べています。「サタンも己を光の御使に扮へば,その役者らが義の役者のごとく扮ふは大事にはあらず」― コリント後 11:14,15。

しかし,やがてその婦人は聖書を信ずるようになり,聖書を理解するため熱心に努力しました。こうしてエホバに助けを求めた結果,おばあさんの夢をもはや見なくなりました。今ではおばあさんのことを,自分の家を守る霊者とは考えず,ただ復活を通しておばあさんに再会する時を待ち望んでいます。この婦人は真理に対する信仰をもって,「悪魔に立ち向(っ)」たので,悪魔は逃げ去りました。―ヤコブ 4:7。

「年寄りの言い草」と,まじない

人々はしばしば「年寄りの言い草」に等しいまじないにとらわれています。これもアフリカの話ですが,ある老婆は雷の落ちた場所から小石を拾って娘に与え,「これを赤ん坊の湯ぶねに入れると,赤ん坊はじょうぶに育つよ」と教えました。また,その湯ぶねにコルクのかけらを入れると,赤ん坊は足が強くなり,9か月で歩けるようになると言いました。

その娘は最初の4人の子供を,老婆の助言に従って育てました。しかしその後,聖書が迷信を非としていることを知り,あとの6人の子供が生まれた時には,湯ぶねに,例の小石やコルクを入れて赤子を洗うことはしませんでした。では,子供たちの成長の度合いには何か相違がありましたか。少しもありません。10人の子供はみな9か月後に歩けるようになり,じょうぶに育ったのです。賢明であってください。迷信じみた,いわゆる「年寄りの言い草」と真理とを混同してはなりません。聖書に従ってください。こう書かれています。「妄なる談と老いたる女の昔話とを捨てよ」― テモテ前 4:7。

ささいな事で多少迷信に左右されても,自分はクリスチャンとして神に受け入れていただけるのではないだろうかと考える人がいるかもしれません。また,死者を恐れたり,「お守り」を身に付けたりはしなくても,どこかに行く途中で右足の親指を何かにぶつけると,それを幸運のしるしと考えますか。あるいは,目の前で木の枝が折れると,家族に何か災いがおよぶと考えますか。ひとたびこうした考え方を持つようになると,ちょっとした不都合なことに直面しただけで,迷信を信ずるようになってしまいます。しかし,木の枝が折れたり,何かの災難に会ったりするのは別に珍しいことではありません。聖書は,「すべて人に臨むところのことは時あるもの 偶然なるものなり」と述べています。―伝道 9:11。

まことの神は吉凶のしるしなどを通して人間と交信されることはありません。この点を心に留めておくのは賢明です。事実,神は「まじなひをする者」を非としておられます。(申命 18:10)ですから,吉凶のしるしなどにたよってはなりません。こうした迷信を退ける人は,精神的な深い安らぎを味わうことができるでしょう。

エホバの助けによって迷信を退けなさい

あなたにとってささいな迷信でも,エホバはそれを見過ごされません。このことを忘れないでください。エホバは,「心腹を察り腎腸を試み おのおのにその途に従ひ その行為の果によりて報(い)」をお与えになる神です。(エレミヤ 17:10)迷信はまことの神エホバから人を遠ざけ,人間がエホバに近づくのを妨げます。なぜなら,迷信は偽りと無知に根ざしているものだからです。

誤った考えで自分をあえて欺く人はいません。なぜなら,「神は光であって,神には少しの暗いところもない」からです。したがって,迷信に類する行ないはすべて完全に退けねばなりません。そうしないで,「神と交わりをしていると言いながら,もし,やみの中を歩いているなら,わたしたちは偽っているのであって,真理を行っているのでは」ありません。―ヨハネ第一 1:5,6,口。

物事を正しく考えて,無知とむなしい恐怖の念とをしりぞけ,こうして迷信から自由になるには,エホバの霊,すなわち活動力が必要です。神のみことば聖書を読み,研究し,また集会で学んで,自由を与える聖書の真理を受け入れ,神の霊があなたの心にはいれるようにしてください。身の安全と霊的な力を得るため,エホバの御名を呼び,祈りをささげてください。「エホバの名はかたき櫓のごとし義者はこれに走りいりて救を得」るからです。ですから迷信を退けて精神的な自由を得てください。「エホバの霊のあるところには自由が」あります。―箴言 18:10。コリント後 3:17,新。

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