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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 3/1 131–133ページ

ひとりのらい病人が神を賛美した

親が子どもといっしょに読む特別な記事

お母さんは,きょう,あなたに良い食事を作ってくださいませんでしたか。お母さんがそうしてくださったのは親切なことではありませんか。あなたはお母さんにお礼をいいましたか。人に親切にしてもらったとき,「ありがとうございました」というのを忘れることがありますね。偉大な師であられたイエスが地上におられたとき,「ありがとうございました」というのを忘れた,何人かのらい病人がいました。

らい病人とはどんな病人か知っていますか。らい病人とは,らい病という病気にかかっている人のことです。らい病になると,からだの肉の一部がくずれてしまうことさえあります。イエスが地上におられたとき,らい病人は他の人びとからはなれて生活しなければなりませんでした。また,人が近づいてきたなら,らい病人は,近よってはいけないと大声で注意しなければなりませんでした。それは,他の人がらい病人にうっかりふれて,らい病にかかるようなことがないようにするためでした。

イエスはらい病人にとても親切でした。ある日,イエスはエルサレムに行くとちゅう,ある小さな町を通らなければなりませんでした。その町に近づくと,10人のらい病人があいにやってきました。その人たちは,イエスにはどんな病気でもなおせる力が神からさずけられているということを聞いていたのです。

らい病人たちはイエスに近よらないで,ずっとはなれたところに立っていました。しかし,イエスはらい病を取り除くことができるに違いないと信じていたので,偉大な師であられるイエスを見るなり大声でこう叫びました。『師であられるイエスよ,わたしたちを助けてください』。

あなたは病人をかわいそうに思いますか。イエスはそう思われました。らい病の人が,どんなに悲しい思いをするかを知っておられたのです。それで,イエスはそのらい病人たちに,『神の祭司のところへ行って,あなたがたのからだを見せなさい』とお答えになりました。

なぜイエスはそうすることを命じられたのですか。エホバがご自分の民にお与えになった,らい病人にかんする律法があったからです。その律法によると,神の祭司はらい病人のからだを調べることになっていました。らい病がすっかりなおったなら,祭司はらい病がなおったことをその人に知らせるのです。らい病がなおった人は,ふたたび,健康な人びとといっしょに生活できました。―レビ 13:16,17。

イエスは10人のらい病人に,行って祭司に会いなさいと命じられました。まだらい病がなおってもいないのに,そのらい病人たちは行ったでしょうか。たしかに,行きました。祭司のところへ行くため,ただちに出かけたのです。その人たちは,イエスがらい病を取りのぞいてくださると信じていたにちがいありません。

さて,どんなことが起きましたか。祭司のところへ行くとちゅう,その人たちの病気は去り,からだはなおりました。健康なからだにもどったのです! イエスの力を信じて,報いを受けたその人たちは,どんなにか喜んだことでしょう!

ところで,その人たちは感謝をあらわすために,なにをしなければなりませんでしたか。あなたならどうしましたか。

病気のなおった人のひとりは,もどって来て,神を賛美し,神をほめましたが,それは正しいことでした。その人をなおす力は神から来たものだったからです。その人はまた,偉大な師であられるイエスの足もとにひれふして,お礼をいいました。イエスにしていただいたことを感謝していたからです。

それにしても,ほかの9人はどうですか。イエスはこうたずねました。『病気をなおしてもらったらい病人は10人いませんでしたか。ほかの9人はどこにいるのですか。もどってきて,神に栄光をきしたのは,ただのひとりだけですか』。

そうです,その10人のうちのひとりだけが神に栄光をきし,もどってきて,イエスにお礼をいったのです。しかも,その人は,サマリア人,つまりよその国の人でした。ほかの9人は神にもイエスにも感謝しませんでした。―ルカ 17:11-19。

あなたは,それらの人たちのだれに似ていますか。あなたもわたしも,そのサマリア人のようでありたいと思いませんか。そうです,だれかに何か親切なことをしていただいたなら,忘れずに何をしなければなりませんか。感謝をあらわさなければなりません。

「ありがとうございました」というのをとかく忘れる人がいます。でも,「ありがとうございました」というのは良いことです。それは正しいことです。それに,「ありがとうございます」という人は,エホバ神と,そのみ子イエスに喜ばれるのです。

こう考えると,あなたは人にいろいろなことをしていただいたのを思い出すでしょう。病気になったときのことを覚えていますか。その10人のらい病人のような病気をしたことはいちどもないかもしれませんが,ひどいかぜを引いたり,おなかがいたくなったりしたことがあるでしょう。お父さんかお母さんがあなたの世話をしてくださいませんでしたか。くすりをのませてくださったり,そのほかいろいろなことをしてくださったでしょう。お父さんやお母さんに助けていただいて,よくなれたことをうれしく思いませんか。

ほかの人から何かをしていただいたなら,「ありがとうございます」というのは良いことです。そのサマリア人は,病気をなおしていただいたイエスにお礼を述べたので,イエスは喜ばれました。お父さんやお母さんから何かをしてもらったとき,「ありがとうございました」とお礼をいうならば,お父さんやお母さんは喜んでくださるのではありませんか。そうです,喜んでいただけるのです。

まい日,あるいは,まいしゅう,わたしたちに何かをしてくださる人もいます。それは,その人たちの仕事かもしれません。また,喜んでそうしてくださる人さえいるでしょう。しかし,わたしたちはその人たちにお礼をいうのを忘れるかもしれません。

学校の先生は,あなたが多くのことを学べるように,いっしょうけんめいに努力しておられるでしょう。それは先生のお仕事ですが,あなたが学ぶのを助けてくださる先生に感謝するならば,先生は喜ばれるでしょう。

ちょっとしたことをほかの人からしてもらう場合もあります。だれかがあなたのために戸をあけてくださったり,食事のとき,だれかに食べ物をまわしてもらったりすることはありませんか。そうしたちょっとしたことにでも,「ありがとうございます」というのは良いことです。

地上の人びとに,「ありがとうございます」というのを忘れないなら,わたしたちの天のお父さまに,「ありがとうございます」というのを忘れることはまずないでしょう。それに,エホバに感謝すべきことは,なんとたくさんあるのでしょう。エホバはわたしたちに命と,生活を楽しくするすべての良いものを与えてくださいました。ですから,まい日,神をほめて,神に栄光をきすべき,じゅうぶんの理由があるのです。

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