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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 7/1 390–392ページ

いちばん良い場所をえらんだ人たち

親が子どもといっしょに読む特別な記事

自分のためにいつもいちばん良いものをほしがり,われさきにそれをとろうとする人がいます。そんな人がいることに気づいたことがありますか。わたしは気づいていますよ。

たとえば,食事のとき,おいしそうなケーキがいっぱいはいった大きなお皿がまわされるのを見たことがあります。そのお皿がまわってきたとき,みんなはケーキを見まわして,いちばん大きいのをえらんで取りました。そうするのは良いことでしょうか。また,わたしはこんなことも見ました。あるお父さんとお母さんが子どもたちをつれて,友だちをたずねたときのことです。友だちの家にはいるや,子どもたちはさきをあらそって,いちばん気持ちのよいいすにすわりました。それは良いことでしょうか。子どもたちはいちばん良い席にすわるべきですか。

偉大な師が地上におられたとき,それと同じようなことがおきました。あるえらいパリサイ人の家のりっぱなふるまいに招かれたときのこと,イエスは,招かれたおおぜいのお客さんがその食卓の主人席の近くのいちばん良い場所をえらぼうとするのを見ました。人びとはほまれのある場所とされる席をのぞんでいたのです。イエスがそれらの人たちになんと言ったかを聞きたいとはおもいませんか。

イエスはひとつの話をされましたが,その話のなかには,それらのお客さんだけでなく,今日のわたしたちにとっても良い助言が含まれています。

イエスはいわれました。『だれかに婚礼のりっぱなふるまいに招かれることがあるかもしれません。そこに行くとき,いちばんほまれのある場所をえらんですわってはなりません。自分よりももっとえらい人が招かれているかもしれないからです。そして,ふるまいをもうけている人があなたのところにやってきて,「この人をあなたの場所にすわらせなさい」というかもしれません。そうなれば,出席している他の人びとすべては,あなたがいちばんいやしい場所に行くのを見守るので,あなたは恥ずかしい思いをするでしょう』。

イエスは,いちばん良い場所をえらぼうとしていたその場のお客さんに,なすべき正しいことを示そうとしておられたのです。それで,人びとにさらにこういわれました。

『あなたは婚礼のふるまいに招かれるなら,行って,いちばんいやしい場所にすわってください。そうすると,あなたを招いた人がやってきて,「友よ,あなたのためにここよりももっと良い場所が備えてあります」というかもしれません。そうなれば,あなたはもっと良い場所にあがるので,他の人びとすべてのまえで,ほまれを受けるでしょう』― ルカ 14:1-11,新。

イエスの話の要点がわかりましたか。わかったかどうかを確かめるため,例をあげて考えてみましょう。では,だれかの家に行って食事をするとしましょう。着席するとき,あなたはいちばんすわりごこちの良いいすをえらびますか。それとも,いちばん良い場所はだれかほかの人のために残しておきますか。あなたは自分がどうするのをイエスがのぞんでおられるとおもいますか。

別の例を考えてみましょう。こんだバスに乗るところをそうぞうしてください。急いで座席を取り,年とった人を立たせておきますか。あなたがそうするのをイエスはのぞんでおられますか。

わたしたちがなにをしようと,イエスにとってはたいしたことではないのではありませんか,という人がいるかもしれません。しかし,あなたはそう信じますか。パリサイ人の家でもうけられた,そのりっぱなふるまいに出席したイエスは,人びとがどんな席をえらぶかを見守られたのです。では,今日わたしたちがすることに,イエスは同様に関心を持っておられるとおもいませんか。イエスは今,天にいるのですから,わたしたちを見守るのにもっとすぐれた立場に確かに立っておられるのです。

みんながいちばん良い場所をとろうとするなら,みんなのあいだに平和と良い気持ちがもたらされますか。むしろ,いいあらそいをはじめ,おたがいにはらをたてるようになるのではありませんか,どうおもいますか。

子どもたちがいっしょに車に乗って出かけるとき,そのようなことがよくおこります。車のドアをあけるやいなや,いちばん良い座席,まどぎわの座席をとろうとしてかけこみます。そして,さっそくいいあらそいがはじまります。みんながいちばん良い場所をとろうとするので,おたがいにはらをたてるようになるのです。

このようなことは,子どもたちがボールあそびをするときにもおこります。まだゲームもはじめないうちから,だれがさいしょにボールを使うかでいいあらそうのです。それはざんねんなことではありませんか。

第一でありたいと考えるので,いろいろな問題がおきるのです。そのために,イエスの使徒たちのあいだでさえ問題がおこりました。知っていますか。では,それについておはなししてあげましょう。

ある日,兄弟であるヤコブとヨハネがイエスのもとにやってきました。それらの使徒たちはイエスの親しい友だちでした。それで,ふたりはイエスにいいました。『わたしたちにしていただきたいことがあるのですが』。

『なにをしてもらいたいと考えているのですか』とイエスはたずねました。

ふたりはこういいました。『わたしたちをあなたの王国であなたのつぎに,わたしたちのひとりをあなたの右に,もうひとりをあなたの左にすわらせてください』。それらの兄弟は王国の第一の場所をのぞんでいました。ほまれのある席をのぞんでいたのです。

しかし,他の10人の使徒たちは,ヤコブとヨハネがたずねたことがなにかを知ったとき,どんな気持ちがしたとおもいますか。それらの使徒たちははらをたてたのです。そこでイエスはみんなに良い忠告を与えねばなりませんでした。

イエスは,国々の支配者たちはもったいぶった偉そうなようすをするのをこのむ,と使徒たちにはなしました。支配者たちは高い地位をのぞみ,他の人をみな自分たちに服従させることをこのむのです。しかしイエスは,ご自分に従う人たちはそのようであってはならないと説明して,こういわれました。「だれでも,あなたがたの間で第一でありたいと思う者は,すべての者の奴隷でなければなりません」。このことを考えてごらんなさい。―マルコ 10:35-45,新。

奴隷はなにをするか,あなたは知っていますか。他の人から仕えてもらうのではなくて,自分が他の人たちに仕えるのです。第一の場所ではなくて,いちばんいやしい場所にすわるのです。また,もっとも偉い者ではなくて,もっともとるにたりない者としてふるまうのです。第一でありたいとおもう人は他の人たちにたいして奴隷のようにふるまうべきである,とイエスがいわれたことを忘れないでください。

それはわたしたちにとってなにを意味しているとおもいますか。奴隷は,いちばん良い席にだれがすわるかについて,自分の主人といいあらそえるでしょうか。あるいはだれがさいしょに食べるかについて,とやかくいえるでしょうか。どうおもいますか。奴隷はいつでも主人を自分よりもさきにすることをイエスは示されました。わたしたちもそうすべきではありませんか。―ルカ 17:7-10。

そうです,他の人を自分よりもさきにするのはクリスチャンの道です。それこそ偉大な師がおこなわれたことなのです。そして,その模範に従うなら,わたしたちは神を喜ばせることになるでしょう。

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