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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
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読者からの質問

● 使徒行伝 9章7節は,サウロの旅行仲間が声を聞いたと述べているのに,使徒行伝 22章9節は同じできごとを伝えるに際し,彼らは声を聞かなったと述べているのはなぜですか。―アルゼンチンの一読者より

イエス・キリストは復活し昇天されたのちに,タルソのサウロ(のちの使徒パウロ)に現われ,聞こえるように話されました,しかし「サウロの旅行仲間たちは無言のまま立っていた。なぜなら彼らは声を聞いたがだれをも見ることができなかったからである」(使行 9:7,「アメリカ訳」)使徒行伝 22章9節は,同じできごとに関し,パウロを第一人称で表わし,こう述べています。「偕に居る者ども光は見しが,我に語る者の声は聞かざりき」。

「聞く」というギリシャ語の意味を考えるなら,この表面上の矛盾の解決に役だちます。この語は,話されたあることを理解はしないが聞くということを意味する場合があります。パウロとともに旅行していた者たちは,明らかに声を聞いたのですが,その声が消されたか,ゆがめられたために,パウロに伝えられた音信を理解しませんでした。―「聞く」というギリシャ語が「耳を傾ける」(「悟る」[文語])と訳されているコリント前書 14章2節と較べなさい。

パウロの仲間が語られた事柄を理解しなかったことは,使徒行伝 9章7節および22章9節における,「声」というギリシャ語の,「聞く」という動詞と関連した使用法によっても証明されます。「バイン新約聖書用語解説事典」は次のように述べています。「使徒行伝 9章7節の『声を聞く』の声という名詞は部分属格[例,の(何かを)聞く]になっているが,一方,22章9節の中の『彼らは声を聞かなかった』の構文は対格になっている。これは矛盾という考えをすべて取り除いてしまう。前者は音を聞くことを意味し,後者は声の意味あるいは音信(これは彼らは聞かなかった)を示している」。

いくつかの現代訳聖書の訳もまたこの相違を示しています。「新アメリカ標準訳」は問題の聖句を次のように訳出しています。「彼とともに旅行した人々は無言のまま立っていた。そして声は聞いたがだれをも見なかった」。「わたしとともにいた者たちは,確かに光を見たが,わたしに話していた方の声を理解[欄外: または(理解をもって)聞く]しなかった」。リーンデル・ファン・エッスによるドイツ語訳はこう述べています。「というのは彼らは,確かに音を聞いたが,だれをも見なかったからである」。「しかし,わたしに話していた方の声を,彼らは理解しなかった」。リチャード・フランシス・ウェイマウスは,人々は声は聞いたが,パウロに話した「彼のことば」は聞かなかったというふうな訳し方をしています。同様に「新世界訳」は,人々が「声の音」は聞いたが,パウロに「話していた方の声は聞[欄外「理解できるように聞」]かなかったと述べています。―使行 9:7; 22:9。

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