真の宗教を捜し求める彼らの努力は報われた
毎年,真の宗教を探し求める何千人もの誠実な人びとは自分たちの求めているものを見いだすことによって,その努力の報いを得ています。そのうちの幾つかをここにお知らせします。
◆ アメリカ,マサチューセッツ州のある若夫婦はメソジスト派の自分たちの牧師の言うことを聞いて,大いに悩むようになりました。その牧師は婚前性交や同性愛などの行為を公然と是認したのです。また,聖書をさげすむ現代哲学を説き聞かせることさえしました。そのようなわけで,この夫婦は教会へ行くのをやめてしまいました。しかし依然として,神を崇拝する必要は感じていました。ふたりは何を行なうべきだったのでしょうか。
この夫婦の友人にひとりのエホバの証人がおり,その証人がふたりにエホバ神と,みことば聖書の中に収められている神の義の原則について話しました。まもなく彼らはエホバの証人の会衆の集会に定期的に出席し,友だちや親戚の人に自分たちが真の宗教を見いだしたことを話すようになりました。やがて,親戚の5人もクリスチャンのエホバの証人といっしょに聖書を勉強するようになりました。この夫婦は今,聖書に全く一致した教えを持ち,かつこれに則した行ないをしている人びとと交わっていることを非常に幸せに思っています。
◆ 次はメリーランド州に住んでいる熱心なカトリック教徒だった人です。以前彼女の司祭は,弟が突然殺されたのは,父親が20年間も教会へ来ていないからだと言ったことがありました。その結果,父親は悔いて,再び教会に出席するようになりました。しかし,9か月後に父親が突然死亡したとき,司祭が,ふたりとも『神の恵みのうちに死んだ』のだから,これは神がご自分のしていることをご存じだった証拠だと言った時,彼女は混乱してしまいました。
彼女はこう語っています。「ひとりのエホバの証人がわたしのところを尋ねて,聖書から真の慰めを与えてくれました。でもわたしは,カトリック教会は正しく,彼女はまちがっていることを示したかったので,何度も司祭に電話をかけ,カトリック教会で教わったことについて尋ねました。しかしそのつど,わたしは何年もの間欺かれていたのだと感じる結果になりました。エホバの証人と聖書の勉強を続けていくにつれ,わたしはヨハネ伝 8章32節の『あなたがたは真理を知り,真理はあなたがたを自由にするでしょう』ということばの意味を知りました。わたしは初めてほんとうに幸福を味わいました。その後まもなく,わたしはエホバに献身し,バプテスマを受けました」。
◆ ミシガン州のデトロイトに住むあるバプテスト派の信者も真のキリスト教を誠実な気持ちで捜し求めていました。その人は次のように述べています。「20歳の時には,わたしは聖歌隊のピアニストをしていました。そして,不道徳な行ないをしている人が聖歌隊から決して除名されないのを見て,わたしは幻滅を感じました。もし,神がこのような人びとを受け入れようとしているのであれば,わたしは神も聖書も欲しくないと思いました。しかし教会はかなりの報酬をくれたため,わたしは引き続きピアノを弾きました。それから20年ほどの後,わたしは創造の驚異について真剣に考え始めました。聖書を理解したいというわたしの望みに気づいた妹は,エホバの証人と聖書を勉強することをわたしに勧めました。新しく学ぶ事がらは子どものころに教わった事と正反対でした。楽園の地上で永遠に生きる機会があるのです。悪人は火で永遠に焼かれるのではありません。エホバは悪を許さず,地を清めるための時を定めておられるのです。
「わたしは今や,教会のためにこれ以上ピアノを弾くことはできませんでした。教会からもらう俸給は,子どもたちにかなりよい生活をさせる点で助けとなっていましたが,すぐにそれをやめて,よい仕事が見つかるまでレストランで働きました。わたしは献身するまでに進歩し,その献身をバプテスマによって表わしました」。
◆ 次の例はイリノイ州の修道院にいた熱心なカトリック教徒です。修道院にいる間に,「聖人たち」について書かれた何冊かの本が与えられました。しかし,これらの本によって聖人になるよう鼓舞されるどころか,かえって落胆して,修道院をやめてしまいました。その後しばらくして彼は結婚しました。ある日教会で,幾つかの変更の提案が箇条書にされているアンケート用紙が主席司祭によって配られ,教区民はよいと思う項目にしるしを付けるよう求められました。その夫婦は2,3の項目にしるしを付けてから,一覧表の下に「聖書研究課程」と書き加えました。そのすぐあとで,ふたりは主席司祭に近づき,教会に聖書研究のクラスを組織してもよいかどうかを個人的に尋ねました。しかし,主席司祭はこう答えたのです。「教区内には,グループを作るほど多くの関心を持っている人びとはいないと思います」。そこでふたりは,自分たちで聖書を勉強することにしました。
エホバの証人と聖書を勉強し始めた後,この夫婦は教会員名簿から自分たちの名前を取り除いてほしい旨教会に連絡しました。そんなある日,ふたりは偶然ある若い司祭に会いました。司祭はなぜ教会にこなくなったのかと尋ねました。そこで彼らは,エホバの証人と聖書研究をしていることを話しました。司祭は自分もそこに出席してよいかと尋ね,出席できるという返事を得ました。初めのうち,司祭は聖書を信じていると言っていましたが,信じていないことはすぐに明らかになりました。研究の時司祭は,クリスチャンは世から離れる必要があるという点に異議を唱え,さらに個性を持つ悪魔の存在は信じないと言いました。ラザロの復活に関しては,ラザロは実際には死んでいなかったと,その司祭は断言しました。司祭のこのような主張のすべては,その夫婦に,自分たちはエホバの証人の中に真の宗教を見い出したという確信をいっそう強くさせただけでした。まもなく,ふたりはエホバの証人の集会のすべてに出席するようになりました。
◆ オレゴン州のポートランドに住んでいるあるカトリック教徒も次のようなよく似た経験をしました。「産児制限など,多くの論争がカトリック教会内で起きているのを知り始めた時,真理を探し求めるわたしの努力は始まりました。変化が生じていることは聞いていましたが,自分の教会の中でそれを見るまで,長い間わたしはそれを信じようとしませんでした。しかし,他の教区の礼拝に出席したとき,多くの違いに気づいて驚きました。わたしは非常に当惑して教会に対する信仰を失ってしまいました。教会に対するわたしの信頼を打ち砕いたものの中には,礼拝の方法,祈り,儀式などに関する論争がありました。1969年のイースターの前日に,わたしはカトリック教会をやめました。そしてその2,3か月後に,わたしは家族とともにエホバの証人の『地に平和』国際大会に出席しました。
「聖書を勉強してはどうかと勧められ,わたしはそれに応じました。初めの進歩や真理の受け入れ方はゆっくりしたものでしたが,やがて自分の聖書研究だけでなく会衆の集会の準備をするようにもなりました。わたしを教えてくれた証人は,わたしの疑問に対する答えをいつも与えてくれるかまたは見つけることができました。ある日,聖書研究の手引書である,「とこしえの命に導く真理」の『一般的な風習で神の不興を招くもの』と題する章を勉強した後,わたしはロザリオや像を全部捨てました。それは聖書の真理を受け入れる点で転機となりました。わたしはカトリック教会に除籍届を出し,エホバの証人としてバプテスマを受けました」。
王国会館で行なわれているエホバの証人の集会にまだ出席したことがないようでしたら,今週お出かけになってはいかがですか。見聞きする事がらに良い印象を持たれることでしょう。もし,聖書を理解したいと願っておられるのでしたら,何十万もの他の人びとがしたように,いっしょに聖書を勉強してほしいとエホバの証人にお話しになってはいかがですか。