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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 6/1 323–325ページ

全人類のための書物

全人類のための書物と言えば,読者はどんなことを期待しますか。確かにそのような書物は,すべての主要な言語で入手できるものであるべきでしょう。そのような書物に収められている音信であれば,それはあなたにとっても意義深いものであって,現在でさえ,それを読めば,生活から最善の益を得ることができるはずです。そのような書物がはたして実際に存在するでしょうか。

確かに存在します。それはあらゆる土地また孤立した遠くの島々にさえ行き渡っている極めて古い書物です。それは簡素な小屋にも,またモダンな家々にも見いだせます。その書物は全体もしくは一部が1,525以上の言語および方言で翻訳されていますから,ほとんどすべての人がそれを自国語で読むことができます。また,その発行部数に匹敵し得る書物は一冊もありません。それは毎年,幾千万冊も世界中で頒布されています。その書物とは聖書です。

しかし,その書物は本当に現在の生活から最善の益をくみ取るのに助けとなるでしょうか。そんなことはとてもあり得ないと考えている人は今日大勢います。そのような人たちは,聖書に従っていると称する人々について自分たちの知っている事柄に基づいて聖書のよしあしを判断します。そして,キリスト教世界の残した,恐ろしい戦争や偏見,憎しみや圧制や搾取などの恥ずべき記録を見てぞっとさせられ,もしこれが聖書を有する人々や国家の仕業であるとすれば,聖書とは一切かかわりなど持ちたくないと考えます。

とはいえ,ご承知のとおり,単にある書物を所有しているだけでは,所有者がその本の述べる原則を支持していることにはなりません。自分では支持していない理念を唱道する書物を本棚に並べている人は少なくありません。このことはやはり,聖書を持っている大勢の人々にも当てはまるのではありませんか。

聖書の教えを説くと称する宗教団体でありながら,この20世紀における激烈な戦争を全面的に支持した団体は少なくありません。そのような宗教団体の行動は聖書の支持するものでしたか。中には,聖書に述べられている戦争のことを取り上げて,その種の行動を正当化しようとする人がいるかもしれません。確かに神はある個人や国家を用いて,他の人々に対して戦いを行なわせ,なされた悪のゆえに他の人々に対するご自分の裁きを執行させたことがあります。しかし今日では,いかなる個人もしくは国家といえども,そのように用いられていると主張できるものではありません。

聖書はそのような利己的な戦いを行なう人たちを厳しくとがめて,こう述べています。

「あなたがたの間の争いはどこから,また戦いはどこから起こるのですか。それは次のものから起こるのではありませんか。つまり,あなたがたの肢体の中で闘う,肉欲の快楽に対するあなたがたの渇望からです。あなたがたは欲しますが,それでも持っていません。殺人と貪りを続けますが,それでも得ることができません。あなたがたは戦いつづけ,争いつづけます。あなたがたが持っていないのは求めないからです。なるほど求めはします。でも受けていません。肉欲の快楽に対する自分の渇望のために用いようとして,まちがった目的のために求めているからです」― ヤコブ 4:1-3。

利己的な戦いは多くの場合,人種的,国家的あるいは部族的優越感がその原因となっています。聖書はそのような気持ちを持つことを勧めていますか。いいえ,聖書の示すところによれば,神にとって価値があるのは身分や人種的あるいは国家的素性ではなく,個人としてのひととなりなのです。聖書が明らかにしている,次のような極めて明確な規準に注目してください。『神は不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのです』。(使徒 10:34,35)『[神は]ひとりの人からすべての国の人をお作りになられました』― 使徒 17:26。

同様に聖書は,同胞を虐げたり搾取したりする人たちにくみするものでもありません。搾取したり虐げたりする者たちに対する言葉として聖書はこう述べています。

「自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って,泣き叫ぶがよい。あなたがたの富は朽ち果て,着物はむしばまれ,金銀はさびている。そして,そのさびの毒は,あなたがたの罪を責め,あなたがたの肉を火のように食いつくすであろう。あなたがたは,終わりの時にいるのに,なお宝をたくわえている。見よ,あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら,支払わずにいる賃銀が,叫んでいる。そして,刈入れをした人たちの叫び声が,すでに万軍の主の耳に達している。あなたがたは,地上でおごり暮し,快楽にふけり,『ほふらるる日』のために,おのが心を肥やしている」― ヤコブ 5:1-6,口語。

聖書が勧めているのは,愛,つまり同胞の福祉に対する利他的な関心を示す生き方です。聖書はこう諭しています。「互に愛し合うことの外は,何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は,律法を全うするのである。『姦淫するな,殺すな,盗むな,むさぼるな』など,そのほかに,どんな戒めがあっても,結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこの言葉に帰する」― ローマ 13:8-10,口語。

あなたのご近所の,また町や都市に住む人々がこの優れた訓戒の言葉を最善をつくして適用するとすれば,あなたは確かにその益にあずかれるでしょう。家にいるときでも,ずっと安全で安心できるのではありませんか。詐欺や強盗,窃盗や蛮行などをするようなことのない人々の中で生活できれば,どんなにかほっとするのではないでしょうか。それに,純粋の隣人愛を示す人々は自分自身もずっと深い喜びを味わえます。そのような人は他人の持ち物を欲しがることから生じるねたみやしっとの気持ちから解放されます。独身あるいは既婚を問わず,結婚のわく外で自分の欲望を充足させようとする人が味わう苦悩や心痛を経験することもありません。また,忌まわしい性病や結婚関係外の妊娠,家庭の破壊というような事態も回避できます。

聖書が勧めるような愛を示すなら明らかに益があるにもかかわらず,自分の生き方を改めようとしない人が少なくありません。そのためにかたくなになって,人々と同様に利己的な態度を取るよう誘惑される場合があるかもしれません。しかし,そのような態度を取ったところで事態を改善できるわけではありません。そうではありませんか。

それにしても,「どうして聖書を勉強しなければならないのか。わたしはだれをも傷つけたりはしないし,正しいことをしようと努めているのだ」と考える人がいるかもしれません。

おそらくあなたも,同様のことばを耳にしたことがあるでしょう。しかし,生活により大きな喜びを見いだすのに聖書が助けとなるかどうかを調べてみるのは価値があることではありませんか。何百万もの聡明な男女は,聖書が生活上の最善の指針を与える書物であるとの確信をいだいています。そのような人々の確信は正しいものでしょうか。聖書は単なる古代の賢人の創作にすぎないでしょうか。それとも,人間よりも高い源に由来する書物でしょうか。現在の生活から最善の益を享受し,またあなたご自身とあなたの愛しておられる人々の将来の安全を図るのに聖書は役だつでしょうか。

[324ページの拡大文]

聖書はこう教えている。『神は不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのです』― 使徒 10:34,35。

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