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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 6/15 383–384ページ

読者からの質問

● 現実に健康が脅かされる場合,堕胎は正当化されるでしょうか。

これは非常に深い人間の感情や気づかいが関係する問題ですが,神の完ぺきな助言によれば,母親あるいは子どもの潜在的な危険は堕胎を正当化するものではありません。

この問題に対する人間の見解は多種多様で,しばしば相いれません。しかし,聖書の見解の根底をなしているのは命と命に対する敬意です。人間の命は神に由来するとともに,人間の命には神から付与された目的があります。(創世 1:27。ヨブ 33:4。詩 100:3-5)聖書を読むと,その至る所に命に対する神の深い敬意が反映されていることがわかります。神は人間に対して,自分の命を大切にし,また他の人の命を神聖なものとして尊重するよう,愛情をこめて勧めました。神の律法を無視して他の人間の命を取った者は,それがたとえ子宮内の胎児の命であっても,有罪とされ,それとともに責任を問われました。―創世 9:5,6。出エジプト 21:14,22-25。

時として妊産婦がかなりの危険に直面することは否定できません。誠実な関心を示す医師は,糖尿病や高血圧あるいはその他の心臓・血管系の病気などの健康上の問題のゆえに,母親の命が危険にさらされているとの結論に達するかもしれません。そして母親は,『堕胎をするか,それとも自分が死ぬかのどちらかです』と告げられるかもしれません。あるいは,妊娠中に母親が風疹(三日はしか)に感染した場合のように,失明あるいは奇形の子どもが生まれる恐れがあると考えられるので堕胎を勧められるかもしれません。そのような場合の堕胎は実際には命に対する敬意を示すことになると論ずる人もいるでしょう。そうした問題の重大性や堕胎を勧める人の誠実さを決して過小評価するものではありませんが,人は母親と子どもの両方の命のことを念頭におくべきでしょう。

人間はすべて不完全ですから,今日,完全な妊娠というような事はあり得ません。(ローマ 5:12)そのようなわけで妊産婦はすべて,ある程度の危険に直面します。なかには健康な婦人でさえ,妊娠中や出産時に命を失う場合があるのは悲しい現実です。(創世 35:16-19)母親の命あるいは健康が危険にさらされているというだけの理由で妊娠はすべて中絶されるべきでしょうか。明らかにそうではありません。確かに,なかには妊産婦の年齢や健康状態のゆえに普通よりも危険が大きい場合もありますが,それでもなお異常な危険に直面する多くの人をも含めて,たいていの婦人は無事に子どもを産むのではありませんか。それに,いかに善意からであるにせよ,医学上の診断が誤る場合もありえます。では,命の神聖さに関する神の見解を受け入れる人は,潜在的な危険があれば堕胎は正当化されるなどとどうして結論できるでしょうか。胎内の成育中の子どもの命は,単に起こるかもしれない事柄のゆえに断たれてもよいのでしょうか。a

同様に,どんな妊娠の場合でも子どもが欠陥あるいは奇形を伴って生まれてくる可能性があります。「赤ん坊は14人につきおよそ1人の割合で遺伝的な障害を伴って生まれてくる。その障害は糖尿病から……ほんの数日間しか生きられない,どうしようもない不具に至るまでさまざまである」。(ニューヨーク・タイムズ・マガジン,1974年9月8日号,100ページ)こうした潜在的な危険があるからといって,妊娠はすべて堕胎に終わらねばならないと結論すべきでしょうか。決してそうではありません。

この点でもまた,障害のある子供の生まれる危険性が普通以上に大きい場合があるかもしれません。例えば,妊産婦が40歳を越していたり,ある種の強力な薬を飲んだり,妊娠の初期に胎児に障害を及ぼす恐れのある病気にかかったりしたような場合はそういう心配があるように思えるかもしれません。妊娠初期の12週間中に風疹を患った母親から生まれる子どもの約10ないし15%には,生まれた最初の年にその病気のいくつかの有害な影響が認められます。(もちろん,これはそのようにして生まれる子どもの85ないし90%は影響を受けないことを意味しています。)とはいえ,命に対する深い敬意を持つ人は,子どもに障害をもたらすかもしれない単なる潜在的な危険があるからといって,成育中の胎児の命を終わらせることが正当化されるなどとどうして言えるでしょうか。

例えば,南アフリカの一婦人の場合は,そのような危険もなお単なる可能性と見なさねばならないことを示しています。その婦人は妊娠していることに気づく前に,腎臓病の治療のため注射を受けました。後に担当の医師は,その注射のために精神薄弱か,あるいはひどい奇形の子どもが生まれてくるかもしれないと述べ,堕胎をするよう強く勧めました。しかし,命を尊重すべきことについて聖書の述べる事柄をエホバの証人から学んだその婦人は,堕胎を断わりました。たとえ子どもが障害を受けようとも,エホバは来たるべき新秩序でその障害を除去できるということを悟ったのです。(イザヤ 35:5,6と啓示 21:4を比較してください。)その結果はどうでしたか。元気な女の赤ちゃんを出産しました。しかし,たとえその娘が悪い影響を受け,余分な世話や治療を必要とするようになったとしても,その少女が永遠の命の見込みを持って生きられるようにした決定の正しさは変わるでしょうか。

したがって,自分自身の健康や命が,あるいは子どもが危険にさらされているゆえに治療手段として堕胎をするよう強く勧められている婦人は,聖書の見解をしっかりと念頭におかねばなりません。起こり得る,あるいは潜在的な危険は,たとえそれが容易ならぬものであっても,問題を自分勝手に処理して子宮内の子どもの命を故意に断つことを正当化する理由とはなりません。聖書の見解に従って決定をするには真の信仰と勇気が必要ですが,それは確かに正しい決定,またエホバから永遠の是認を受ける決定となります。

[脚注]

a 時には子宮頸管のガンのような病気の治療を受けたために,生育中の胎児の死をもたらす場合があります。しかし,それはそのような治療法の避けられない副作用のためかもしれず,治療それ自体は堕胎のための処置でもなく,また堕胎を目的としたものでもありません。同様に,受精した卵子が子宮内ではなく,卵管に移動して,そこで成長し始める場合があります。そのような子宮外卵管妊娠の場合,胎児は小さな卵管の中では十分に発育できません。ですから,やがて卵管は破裂し,胎児は死亡します。そのような事態が事前にわかると,医師はたいてい,破裂をきたす前に卵管を切除して治療します。卵管妊娠をしたクリスチャン婦人はこの手術を受けるべきかどうかを決定できます。普通の場合であれば確かに,胎内の子どもが生きられるようにするため,妊娠に伴ういかなる危険にも喜んで立ち向かうことでしょう。しかし,卵管妊娠の場合,胎児が生き続けて出生する可能性は全くない上,母親は容易ならぬ危険に直面します。

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