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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 5/1 259–260ページ

欠乏からの解放 それは不可能ですか

今日,地上に生きる男女,子供すべてのために快適な生活環境と,バランスのとれた,健康に良い食生活を確保する事は地球の持つ能力からみて不可能ではありません。そうであるのに十分に食べることも快適な家に住むことも知らずに生きている人が何百万人といます。多くの人は寒さと雨露をかろうじてしのぐだけの小屋に住んでいます。見すぼらしいアパートの狭い一室に一家族が詰め込まれている場合もあります。このような事態が変化する事を果たして望めるでしょうか。

地上に存在する腐敗した体制を一掃し,正義の新秩序をそれに代えることは,人間の創造者エホバ神のお考えです。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)この約束は欠乏から解放された世界が実現する事の保証です。相変わらず欠乏に悩む人がたとえわずかでもいるならば,新しい政府である「天」と,忠節な民で成る「新しい地」は不義のために損なわれたものになるでしょう。しかしそのような事はありません。「新しい天」と「新しい地」は全く正義のものです。

貧しい人,虐げられた人に対する神の見方を考える時,わたしたちは欠乏のない世界の来る事を確信を抱いて待ち望めます。聖書の中でエホバは「みなしごの父 やもめの審士」と述べられています。(詩 68:5)古代イスラエルに対する神の律法はその事を確証しています。その律法は貧しい人々を保護し,イスラエル人がだれも絶望的な貧困に陥らないようにする事を意図したものでした。

幕屋における勤めに対して土地の産物の十分の一を受けたレビ人は別として,イスラエルの家族すべては相続財産である土地を与えられ,こうして自活の手段を持っていました。たとえ逆境に遭ったり,あるいは資産を浪費したりする人があって家族を貧困に陥れても,相続財産である土地を永久に失うことはありませんでした。律法の定めによれば,売ることができたのは土地の使用権(とその産物)だけであり,それもヨベルの年までに残されている年数の間に限られていたからです。ヨベルの年は五十年ごとにあり,それは土地を元の所有者あるいはその相続人に返す年でした。(レビ 25:13,23-27)貧しいイスラエル人が相続財産である土地を手離しても,その期間中,彼らは生活の糧を乞い求めたり,あるいは必要なものを得るために他の面で身を落としたりする事はありませんでした。彼らには収穫の済んだ畑,果樹園,ぶどう畑で落ち穂や残りの実を手に入れる権利が律法によって与えられていたからです。―レビ 19:9,10; 23:22。申命 24:19-21。

貧しい人々に欠乏からの解放をもたらす神の目的は,ソロモン王の支配について預言的に語られた言葉の中に明らかに示されています。詩篇 72篇12-14節はこう述べています,「かれは乏しき者をその叫ぶときにすくひ 助けなき苦しむ者をたすけ 弱きものと乏しき者とをあはれみ乏しき者の霊魂をすくひ かれらのたましひを暴虐と強暴とよりあがなひたまふ」。

苦しむ者に対するこの憐れみ深い態度は,人類を治める新しい政府である天の支配を特色づけるものとなるでしょう。その事はどうして分かりますか。その新しい秩序の主要な支配者はソロモンよりも偉大なかた,すなわち「王の王また主の主」であられるイエス・キリストだからです。―啓示 19:16。ルカ 11:31。

しかし次のように言う人もあるでしょう。「すでに何世紀もたっているのに貧しい人々が今なおイエス・キリストによって救われていないのはなぜか」。聖書が明らかにしているように,この事はエホバ神によって定められた時に行なわれます。イエス・キリストでさえ地上におられた間,現在の事物の体制が滅びて正義の新秩序に代わる正確な時を知らないと言われました。(マルコ 13:32)それでもイエスは現在の悩みから救われる事を経験する特定の世代を確かに指摘されました。それは大きな戦争,地震,疫病,食糧不足,世界の成行きに対する,かつてなかったほどの不安を初めて体験する世代です。(ルカ 21:10,11,25,26,31,32)これらの事は今の世紀に見られませんでしたか。ゆえに正義の新秩序の近いことを確信できます。

エホバ神が不敬けんな世に対して今なお行動を起こされていないという事実は,実際には人類の益となっているのです。使徒ペテロはこの事に注意を引いて次のように書きました。「エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです」― ペテロ第二 3:9。

貧乏のつらさが過去のものとなる正義の新しい体制に生きる事をほんとうに望んでいるかどうかを人々が示すことは,神の忍耐によって可能となりました。経済上の境遇がどのようなものであっても,人々はこの事における自分の立場を示すことができます。正義の新秩序に生きる事を真に願っているならば,神がその是認する人々に求めておられる事柄を学び,今まで神の要求にそわなかった点を悔い改め,イエス・キリストの忠実な弟子として自分の道を神のご意志にかなったものにすることが必要です。

しかしすでに死んだ何百万の人々についてはどうですか。不公正に扱われ,虐げられたとしても,その人々の受けた害は取返しのつかないものではありません。なぜですか。なぜならエホバ神は死者がよみがえらされ,永遠の命の見込みを与えられるようにする事ができ,またそうされるからです。(使徒 24:15)これら復活する人々の場合,苦痛から解放された永遠の命とくらべる時,わずかの年月の苦しみにどれほどの事があるでしょうか。実際には物のかずではありません。彼らはクリスチャン使徒パウロと同じように感ずるでしょう。「患難はつかのまで軽いものです」― コリント第二 4:17。

欠乏から解放されることは,神の新秩序において確かに現実となります。その解放を体験したいという願いを,あなたは行動によって示していますか。いま聖書を学び,日常生活においてそれを実践することを求めていますか。そうであれば,間もなくすべての人が欠乏から解放されて歓喜する時,あなたはそれを見る人の中にいることでしょう。

[260ページの拡大文]

『彼は助けを求めて叫んでいる貧しい者を救い出す。また,悩める者や助け手のない者をも。彼はへりくだった者や貧しい者をかわいそうに思う。そして貧しい者たちの魂を救う』― 詩 72:12,13,新。

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