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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 6/1 351–352ページ

読者からの質問

● 油そそがれたクリスチャンが排斥される場合,その人が後日復帰し,引き続き天的希望を抱くことは可能ですか。

それは可能です。もちろん,個々の事情に応じて,その人に許しを差し伸べるかどうかを決めるのはエホバ神ご自身です。

それが確かに可能であるということは,コリント会衆に送られた使徒パウロの手紙を読むと分かります。パウロは,聖霊によって油そそがれ,天の命の希望を抱いている人々にあててこの手紙を書きました。その中でパウロは,同会衆の成員に対し,「キリスト・イエスと結ばれて神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなたがた」と呼び掛けています。―コリント第一 1:2; 15:49。

同会衆に属する油そそがれたクリスチャンの一人が淫行をならわしにするようになりました。悔い改めを示さず,その不道徳な行為をやめないことが明らかになったとき,パウロは,その人を排斥するよう会衆に指示しました。(コリント第一 5:1-5,9-13)しかし,この排斥された人は,後になって心から悔い改めたようです。パウロは,コリント人に書き送った二番目の手紙の中で,以前に罪を犯したある人物を許し,再び受け入れるようにと勧めていますが,この人物は前述の排斥された人であると考えられています。―コリント第二 2:6-11; 7:8-13。

会衆に復帰したこの人には,どんな希望があったでしょうか。天への召しを失い,その代わりに地上での永遠の命を待ち望むようになりましたか。そうではありません。地的希望は,いわゆる第二次希望のようなものではないからです。アベル,エノク,ノア,アブラハムそして他の大勢の際立った信仰の持ち主は,地上でとこしえの命を享受する希望を抱いていました。しかしそれは,彼らが天への召しにかなわなかったからではありません。エホバのご意志に従って天への召しが差し伸べられる時代に生を受けなかっただけのことです。(ヘブライ 10:19,20)天においてであれ,パラダイスの地においてであれ,永遠の命を得ようとしているすべての人には,同じほどの信仰と忠誠心が求められています。聖霊によって油そそがれ,キリストの共同相続者となったクリスチャンが永遠の命を得るためには,その召しに対して忠実であることを証明しなければなりません。―啓示 2:10,11。フィリピ 3:8-14。ローマ 8:14-17。

しかしこれは,地上にいる油そそがれたクリスチャンが決して罪を犯さないという意味ではありません。肉において,彼らは依然不完全であり,従って,他の人すべてと同様罪を犯し,時には,ゆゆしい罪を犯すこともあるでしょう。キリストの弟子であり,明らかに油そそがれたクリスチャンであった,聖書記述者ヤコブはこう書きました。『わたしたちはみな何度もつまずくのです。ことばの点でつまずかない人がいれば,それは完全な人です』。(ヤコブ 3:2; 2:5)不完全さの結果であるこの種の故意でない罪は,使徒ヨハネの語った「死をきたさない罪」と言えるでしょう。(ヨハネ第一 5:16)神は,この種の罪を許すことができます。ヨハネは次のように語りました。「わたしたちが自分の罪を告白するなら,神は忠実で義なるかたであり,わたしたちの罪をゆるし,わたしたちをすべての不義から清めてくださいます」― ヨハネ第一 1:9。

しかし,それには悔い改めが必要です。油そそがれたクリスチャンが今日ゆゆしい罪をならわしにし,悔い改めを示さないような場合,会衆は神の諭しに従い,その者を排斥しなければなりません。しかしながら後日,当人が悔い改めるなら,コリント会衆から排斥された人の場合と同様,許されて復帰することでしょう。

しかし,神はすべての罪をお許しになるわけではありません。マルコ 3章28,29節でイエスの語った言葉の示すところによると,故意かつ意識的に神の霊を冒とくする者は決して許されません。また,パウロも次のように書きました。『真理の正確な知識を受けたのち,故意に罪をならわしにするなら,罪のための犠牲はもはや何も残されておらず,むしろ,裁きに対するある種の恐ろしい予期があるのです』。(ヘブライ 10:26,27)こうした許されない罪が,ヨハネの指摘した「死をきたすような罪」であることは明白です。―ヨハネ第一 5:16。

もし,油そそがれたクリスチャンが悔い改めることなく故意に罪をならわしにして霊に対する罪を犯し,『神の子をあらためて杭につける』なら,神はその者を完全かつ永遠に捨てられるでしょう。(ヘブライ 6:4-6)悔い改めないのですから,復帰することもありません。そうした事態が生じるなら,エホバは,14万4,000人の数を満たすため,その者の代わりにもう一人別のクリスチャンを選んで油をそそがねばなりません。それは,不忠実になったユダ・イスカリオテの代わりに天がマッテヤを選び,クリスチャン会衆を築く基となる,イエスの12人の忠実な使徒を備えたことと比較できます。―使徒 1:23-26。エフェソス 2:20。

これは,油そそがれたクリスチャンが排斥された場合,エホバが直ちにそれに代わる人をお選びになるという意味ですか。そう言える人は一人もいません。排斥された人が許されない罪を犯したかどうか,わたしたちには分からないからです。エホバはそれを知っておられるので,この問題はエホバのみ手のうちにゆだねることができます。代わりの人を選ぶ時と方法を決めるのはエホバです。神は,聖書の中で,この点についての詳細な情報を明らかにしてはおられません。ですから,神がどのような行動を取られるのだろうかとせんさくしたり,排斥された人がもはや悔い改める可能性がないのだろうかと推測しようとしたりするのではなく,問題を義なる裁き主であられるエホバにゆだねることができます。―ヘブライ 12:23。

会衆がだれかを排斥しなければならなかったものの,後日その人が悔い改めて復帰するなら,わたしたちは,エホバが憐れみ深くその人を許してくださったことを喜べます。(ルカ 15:7)排斥される以前に天的希望を抱いていることを表明していて,現在もそうした希望を抱いている人の場合でも,以前に地上で永遠の命を受ける希望を抱いていて,現在もそうした希望を抱いている人の場合でも,それは同じです。わたしたちすべては,このことから学べる教訓を心に銘記しておくべきです。つまり,不完全さや罪の傾向と絶えず戦う必要性,罪を犯した際に許しを求めることの重要性,そして救われるために終わりまで耐え忍ぶことの必要性を心に銘記すべきです。―マタイ 10:22。

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