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  • 空を飛ぶことはわたしの生きがいでした
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 9/1 520–523ページ

空を飛ぶことはわたしの生きがいでした

それは1960年の晩冬,正確に言えば,1960年3月10日の朝のことでした。わたしは,ドイツのアイフェル高原にあるブシェルの管制塔に連絡をして,着陸の指示を求めました。すぐに,「A.B.234,着陸準備よし」という答えが返ってきました。それから,滑走路の番号,および風力と風向が知らされました。

わたしはいつもの仕方で速度を落としました。地面がどんどん近付いてきます。エンジンの絞り弁を引き,体勢を整え,着地します。滑走路の端まで来て,わたしは機首を駐機場の方へ向けました。ジェットエンジンの轟音は次第に小さくなり,やがて止まります。わたしはパラシュートのベルトを外し,F-84-F型戦闘爆撃機から降り立ちました。

それはわたしにとって最後の飛行でした。わたしは,戦闘機を飛ばすために,“操縦桿”をこの手で握ることは二度としないつもりでした。それは1960年の晩冬にわたしが下した決定であり,今でもその気持ちは変わっていません。

空を飛ぶことに対する深い愛着

わたしがどれほど空を飛ぶことを愛していたかを知っていただければ,それがわたしにとってどれほど難しい決定であったかお分かりになると思います。幼いころわたしは,空を見上げて飛んでいる飛行機すべてにあこがれのまなざしを向けたものです。わたしが6歳か7歳のころ,両親はドイツのグライビツにあった我が家の近くの飛行場に兄とわたしを連れて行ってくれました。わたしは離着陸する飛行機に見とれました。両親はわたしを飛行場から連れ戻そうとして一苦労しました。空を飛ぶことはわたしの最大の願いになりました。

1939年,わたしがまだ13歳のころ,第二次世界大戦がぼっ発しました。当時,だれもが戦争はすぐに終わると確信していましたから,わたしは自分が戦闘機のパイロットとして名を挙げる機会がないことを残念に思いました。ところが,戦争は思ったより長引き,わたしは大抵の少年に求められていたように,ヒトラー青年団に入りました。そこでは予備的な飛行訓練を受ける機会があったので,すぐにその機会を捕らえました。わたしはグライダーの操縦法を学びました。自分の夢,自分の目標は今にもかなえられそうでした。空を飛ぶことに対する熱意はいよいよ強くなりました。

両親の許可を得て,わたしは16歳でドイツ空軍に志願しました。すべての試験に合格したわたしは,1944年の初頭に,幹部候補生としての訓練を受けるために召集されました。しかし,パイロットの免許を受け取ったころには戦争も終わりに近付いていました。かの有名なルフトバーフェ(ドイツ空軍)も数多くの飛行機を失ってしまったので,戦闘機に乗って実戦に臨んだことはありませんでした。わたしは捕虜になって,マンスターラーゲル捕虜収容所で終戦を迎えました。

戦後ドイツが経験した不景気のために,空を飛ぶ機会など全くなくなったかに見えました。捕虜収容所を出てから,食糧配給印紙を余計に受け取るため,岩塩坑へ働きに行きました。わたしは1949年に結婚しましたが,その仕事で何とか家族を養ってゆけました。しかし,岩塩坑での仕事ではどうしても満足できませんでした。わたしは空を飛びたいという熱烈な願いを捨て切れず,上空を高速で飛び交う英軍や米軍のジェット戦闘機をうらやまし気にながめていました。ですから,1954年に,ドイツが再武装し,再び空軍を持つようになると聞いて,大喜びしました。

わたしはその機会を捕らえ,空軍に志願し,新しい適性検査に合格して,入隊を認められました。1956年6月,わたしは新制ドイツ空軍の少尉に任命されました。そこで,わたしは最新式のジェット戦闘機の操縦法を学びました。教育期間を終えると,大尉に昇進し,飛行教官兼テストパイロットになりました。

何という大きな違いでしょう。それまで地下600㍍の岩塩坑で働いていたのが,高度1万5,000㍍の上空を飛ぶようになったのです。わたしは自分の夢であった目標を達成したのです。将来はバラ色に見え,生活も安定していました。わたしをこの高みから引きずり降ろせる人がいるでしょうか。

目的を持つ神がいるだろうか

その間に,両親が東ドイツのザクセンからドイツ連邦共和国に引っ越して来ました。両親はザクセンにいたころからエホバの証人と聖書を研究するようになっており,ほどなくして自分たちの学んだ聖書の真理を受け入れていました。わたしたち夫婦が住んでいる所からそれほど遠くないコッケムに引っ越して来てからも,両親はわたしたちを訪ねて来ては,自分たちが抱くようになった将来のすばらしい希望について話しました。しかしわたしは,平和な新しい地に関するその考えを一笑に付しました。なぜでしょうか。

一つには,各国が破壊兵器をもってどれほど軍備を強化しているかを知る立場にあったので,そのような見込みがいかに非現実的であるかを自分が知っていたからです。それだけではなく,両親はわたしをローマ・カトリック教徒として育ててきたので,自分には今さらそれを変える気持ちはありませんでした。そして,父は年を取ってきたので,エホバの証人のような預言者に救いを求めているにすぎないのだ,とわたしは考えました。

にもかかわらず,両親は聖書を持って来ました。是非とも読むようにと言うので,それを読んでみましたが,正直言って読んでも一言も理解できませんでした。その次に両親が訪ねて来たとき,わたしは,正気の人間にはこんなものは理解できない,と言って,聖書を突き返しました。神に耳を傾けようとする気持ちが全くなかったのです。

しかし,両親と一緒になると,話の行き着くところは決まって,全能の神エホバとその目的に関する事柄になってしまいました。両親は,新秩序を創造することはエホバ神の目的であり,地上の臣民は復興された美しいパラダイスの地で永遠の命を享受すると言うのです。そのような会話にいら立ちを覚えたわたしは,「わたしが空を飛ぶのをやめさせられるような神はいない」とまで言ったものです。

しかし,両親はあきらめようとはしませんでした。特に父は,わたしたちの命に意味があるとすれば,全能の創造者がどうしても存在しなければならない,という論理的な証拠を忍耐強く示しました。神が人間やその住み家である地球を造ったからには,何らかの目的があったに違いないという考えが確かに道理にかなっているように思えました。特に妻は,父の論議に感銘を覚えるようになり,わたしにこう言いました。「あなたは何一つ反論できないじゃないの。エホバの証人の言う事は,真実で理にかなっているように思えるわ」。

わたしは,これが本当に真理なのだろうか,人生の目的とは何なのだろうか,と考えるようになりました。

わたしは徐々に物事を異なった見地から見るようになりました。ある日の昼下がり,わたしたちは再び両親を訪れました。その時,両親は,テープに録音した聖書講演をわたしに聞かせる手はずを整えていました。それは贖いに関する論議でした。その中では,エホバの愛とみ子イエス・キリストの愛が特に強調されていました。その内容は半分も理解できませんでしたが,その話にはそれなりの効果がありました。その時以来,エホバの証人と話す際に,よくこう言ったものです。「そのすべてが信じられればよいのですが」。

ある日,エホバの証人の特別な代表者が戸口へやって来ました。わたしは家庭聖書研究をすることに同意しました。エホバの証人の言っている事柄には,自分が最初考えていたよりも深い意味のあることに気付いたからです。わたしたちは「失楽園から復楽園まで」と題する聖書研究の手引きを使って,聖書研究を始めました。わたしたち夫婦は,間もなく自分たちの学んでいる事柄が神の目的に関する真理であることを悟るようになりました。

わたしは中々思うように知識を取り入れることができませんでした。そこで,エホバの証人が持って来てくれた「ものみの塔」誌の合本を何巻も読み,祈りもしました。こうして,聖書の中から読む事柄が分かるようになりました。わたしたちはまた,読んだ事柄を何らかの形で実行に移さねばならないことにも気付きました。わたしと妻は,エホバの証人の週ごとの集会に出席すべきである,という点で合意を見ました。

重大な決定

しかし当時,わたしは依然としてドイツ空軍のジェット爆撃機中隊に勤務していました。ところが,聖書を研究すればするほど,戦闘のために訓練をするのは正しくないことが一層明らかになってきました。神に仕える人は正反対の道を取ると聖書が説明しているのに,戦闘爆撃機の操縦法をどうして青年たちに教え続けることができるでしょうか。聖書はこの時代の神の民について,「彼らはそのつるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし,国は国にむかって,つるぎをあげず,彼らはもはや戦いのことを学ばない」と述べています。―イザヤ 2:4,口。

さらに,軍人であることはイエス・キリストの教えと模範に従うことではないように思えました。例えば,イエスは弟子たちにこう語りました。「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いを愛することです。あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」― ヨハネ 13:34,35。

その教えから見て,キリストが今日地上にいたとすれば,別の人種や国籍の人たちを殺すための戦闘訓練を行なうなどとはとても考えられませんでした。イエスが自分の教えと矛盾せずに,そのようなことができると考えるのは道理にかなっていないように思えました。やがてわたしは,初期クリスチャンの多くも,この点について同じように考えていたことを知りました。

例えばわたしは,初期クリスチャンたちがローマ帝国の軍隊に入隊して戦闘に携わるようなことはしなかったことを見いだしました。現代の一歴史家アーネスト・ウイリアム・バーンズは,「キリスト教の興隆」と題する本の中で,次のように説明しています。「入手可能な資料すべてを注意深く調査してみると,マルクス・アウレリウスの時代までは,クリスチャンで兵士になった者や,クリスチャンになってからもなお軍務に服していた兵士は,一人もいなかったことが分かる」。

このように,クリスチャンとして生きることを,わたしはかなりの期間考えました。1960年初頭のある晩,わたしは予定の飛行を終えて帰って来ましたが,すぐには着陸できませんでした。管制塔の指示で,わたしは上空で待機することになりました。それは美しい晩でした。上空には星が輝き,下には町や村の明かりが広がっていました。高度6,000㍍を飛行していたわたしは,エホバ神に祈り,正しい決定を下せるよう助けを求めました。

エホバは確かに助けを与えてくださいました。自分がエホバの証人と交わっていることを公にすると,わたしは隊長のところへ出頭するよう命ぜられました。わたしはそのことでおびえるどころか,むしろ,自分がエホバの証人の一員になると決意したことを隊長に説明する機会を与えられてうれしく思いました。

わたしが最終的な決定を下せるように,上官たちはわたしに休暇を与えました。わたしを動揺させるために,エホバの証人を“暴露”する厚い文書が手渡されました。わたしは祈りのうちにその文書を検討しましたが,事実を曲げる人が不純な動機でそれを書いたことは明瞭でした。

上官はまた,軍隊付きのカトリック司祭を訪れるよう強く勧めました。しかし,聖書を使い,「すべてのことを確かめよ」と題する本に記載されている聖句の助けを借りて,わたしはその司祭に,クリスチャンの生活に関してよく証言することができました。その後,軍隊をやめるという決意はいよいよ固くなりました。

わたしは迷うことなく辞表を書きました。確かに,上官や同僚はわたしの正気のほどを疑いましたが,わたしは自分の決定がエホバ神を喜ばせるものであることを確信していました。こうして,1960年6月,わたしは軍服を脱いで再び一般市民になりました。

神に仕えるわたしの決定は祝福される

わたしはすぐ大きな問題に直面しました。どのようにして生計を立てていったらよいのだろうか。空を飛ぶことをあきらめねばならないだろうか。岩塩坑に戻って,働かねばならないだろうか。民間の航空会社に就職しようとの試みは,いずれも失敗に帰しました。

わたしは一生懸命エホバに祈って,助けを求めました。そして,マラキ書 3章10節の聖句について考えました。その中でエホバは,ふさわしいものをささげることによってご自分に仕えるようイスラエル人に求めておられます。イスラエル人がそうするなら,エホバは天の窓を豊かに開いて,彼らが満ち足りるまで祝福を注ぐと約束しておられます。わたしの場合,そのとおりのことが起きました。

辞表を提出してからわずか二週間ほど後に,生計を立てることに関する問題は驚くべき仕方で解決されました。幾人かのエホバの証人のお陰で,ある保険会社に勤め口を見いだせたのです。それは,あたかも,わたしの下す決定を見るまでエホバが待っておられたかのようでした。そして,ひとたび神に仕えることに決めると,エホバは豊かに祝福してくださいました。

わたしたち夫婦は,エホバ神に仕えるために自分たちの命をささげ,1960年7月に,水のバプテスマによってその献身を表明しました。妻は,1968年に,“開拓奉仕”と呼ばれる,全時間の宣べ伝える業に携わるようになりました。そしてわたしも,後日,その奉仕に加わりました。わたしたちは,王国宣明者が特に必要とされている区域で奉仕するすばらしい機会を与えられました。現在わたしは“巡回監督”として奉仕しており,エホバの証人の諸会衆を訪問し,宣べ伝える業の面で彼らを助けています。

確かに空を飛べないのは心残りですが,エホバ神の目的を学ぶよう他の人々を助けることからは,正直言ってそれ以上の満足と喜びが得られます。ですからわたしは現在,空を飛ぶために生きるよりも,愛のある天の父のご意志を行なうために生きているのです。―寄稿

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