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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 6/15 355–357ページ

従うことはどれほど重要か

その野球選手は自分が何をすべきかを十分知っていました。監督からサインが出ていなければ,この選手は思いのままのバッティングができたはずです。彼はこの試合を非常に重視し,しかも監督の判断よりも自分の判断のほうが優れているという自信を持っていました。それで,“バント”をするよう指示されていたにもかかわらず,それとは正反対のことをしたのです。彼が思いっ切りバットを振ると,その打球はホームランになり,お陰で試合に勝つことができました。野球ファンはこの選手をヒーローとして確かに賞讃はしましたが,監督に従わなかったという理由で彼には100ドルの罰金が科せられました。この選手は,従うことが試合に勝つことよりも重大であるという教訓を学びました。

これは幾年も前の話ですが,それ以来,他の大勢の選手たちは様々な理由で罰金を払わされてきました。しかし,このように問う人がいるかもしれません。試合を勝利に導いたという理由で,選手を罰するのは公正で,公平,かつ道理にかなっていると言えますか。そうではありません。この選手は試合を勝利に導いたために罰せられたのではなく,命令に反したために罰せられたのです。もし各選手が自分の好きなことをするなら,野球というスポーツはどうなってしまうでしょうか。チームワークはどうなってしまいますか。また,この特定な例だけを考えれば打者の判断のほうが優れていたかもしれませんが,そのようなケースはどれほどたびたびあるものでしょうか。さらに,もし打者が監督に従っていたら試合に勝てなかったなどとだれが言えるのでしょうか。そうです,ある人たちはサインを出すために雇われ,それで俸給を受けています。彼らはサインを出すことについて一番良く知っているはずだからです。他の選手たちは,そうした人々と協力することに対して,俸給を受けています。協力するということは,多くの場合従うことを意味します。この野球選手はこの点でしくじりました。

「従う」という言葉を聞くだけでもうんざりする人は少なくありません。近ごろの花嫁の中には,結婚の誓いの中にある「従う」という言葉に異議を唱える人もいます。自分の望むところを,自分の“思い通りに”行なう自由を求める人はますます多くなっています。しかし,わたしたちが従う時にのみ,生命は始まり,また生き続けるのです。どうしてそう言えますか。わたしたちは生きてゆくために,重力,因果関係,新陳代謝など,創造物の間に見られる法則に従わねばならないからです。

創造物の間に見られる法則だけではなく,社会の秩序を維持するために人間の作った法律に従うこともわたしたちの益となります。無政府主義者はあらゆる法律を除き去ろうとしますが,そうなったとすれば,どれほど大きな混乱や危険が生ずることでしょう。ほんの一例として,にぎやかな交差点にある交通信号のことを考えてみましょう。もし信号機がなく,また自動車を運転する人々が信号に従わないなら,その交差点は手の付けられないほど混乱することでしょう。事故で死者が多く出ることは言うまでもありません。交通法規に従うことは確かに重要です。

あるいは,交響楽団の団員について考えてみてください。指揮者が天才であっても,団員が指揮者に従わないなら,その才能にはどれほどの価値があるというのでしょうか。音楽家は,従うことの大切さを百も承知しています。自分たちの仕事が,指揮者や楽譜そして自分の属するセクションの第一奏者に対する従順にかかっているからです。従うことは彼らにとって重要ですか。確かに重要です。

例を挙げようと思えばきりがありません。しかし,これまでに挙げた例だけでも,日常生活における従順の大切さを強調して余りあります。ですから,『わたしたちの足のともしび,わたしたちの道の光』として備えてくださった,ご自分のみ言葉である聖書の中で,神が霊的な事柄に対する従順の重要性を強調しているのは当然の事と言えます。(詩 119:105,口)事実,「従う」という言葉は,聖書中に様々な形で160回余り現われます。また,エホバ神を愛する人々の従順を求めるものとして,神のおきて,律法,命令,司法上の決定,および規定などすべてに幾百回となく言及されていることにも気付きます。聖書巻頭の書である創世記の冒頭の数章は,世のあらゆる問題の原因は最初の人間夫婦が神に対する従順を示さなかったことにあると述べています。―創世 2:17; 3:11-19。

どの人間社会にも見られる物事の本質からすれば,秩序や調和を保ち,物事を成し遂げるには,協力がなければなりません。そして,協力にはある程度の従順が関係してきます。しかし,命令を与えるべき人とそれに従うべき人を決めるのはだれですか。地とその上に住む人間を創造したのは神であり,そのすべては神のものなのですから,神には,ご自分に従うよう人間に要求する権利があるのではありませんか。そうであれば,神には,ある人々に命令する権利を委任し,他の人々に従うよう求める権利もあるはずです。しかも神は,このすべてを専横な仕方でではなく,賢明で愛のこもった仕方で行なわれるのです。

神のみ言葉はこう命じています。「子どもたちよ,すべての事において親に従順でありなさい。それは主にあってふさわしいことだからです」。(コロサイ 3:20)これは愛のこもった,賢明な命令でしょうか。確かにそうです。両親には,子供を生んで子供たちに対して責任があるだけでなく,より豊かな経験があり,子供たちに衣食住,教育,訓練,宗教教育,およびレクリエーションなどを備える務めがあるからです。子供たちが従うことによって協力しなければ,親はどのようにしてこれらの責任を果たすことができるでしょうか。団員が自分の指揮に従って完全に協調しない限り,指揮者が実力を十二分に発揮できないのと同じく,親も子供が従順を示さない限りその責任を十分に果たすことはできません。

また,神が各人に従うことを求めておられる,人間の活動分野はほかにもあります。例えば,家族の中に平和や調和そして幸福が見られるためには,結婚関係において従順が求められます。(エフェソス 5:21-23)公正が行き渡るためには,市民が政府に対して従順を示さねばならず(ローマ 13:1-7),仕事を成し遂げるためには,しもべたちや従業員が主人や雇用者に従わねばならず(エフェソス 6:5-8),会衆の成員は,相互の益のために会衆の監督たち,つまり長老たちに従わねばなりません。(ヘブライ 13:17)もちろん,そのような従順はどれも相対的なものです。つまり,そうした従順は,それが神の命令に反しない限り示されるべきであるということです。―使徒 5:29。

聖書の中には,神に献身した民があらゆる事柄において神に従うことがいかに肝要であるかを示す出来事が記録されています。イスラエルの最初の君主であるサウル王は,イスラエルが荒野にいた際に卑劣な攻撃を仕掛けたアマレクの国民に対して,応報となるような刑を執行するようエホバ神から命ぜられていました。神の指示に反して,サウルはアマレク人の王とその家畜の群れを滅ぼさず,犠牲としてささげるために家畜の群れを生かしておいたのだという言い訳をしました。しかし,それに対して預言者サムエルはサウルにこう告げました。「聞き従うことは犠牲に勝り,注意を払うことは雄羊の脂肪に勝ります。……あなたはエホバの言葉を退けたので,したがって彼はあなたを王の立場から退けられます」― サムエル前 15:22,23,新。

従うことはどれほど重要ですか。確かに,極めて重要であると言わざるを得ません。

[356ページの図版]

「聞き従うことは犠牲に勝(る)」と預言者サムエルは,不従順なサウル王に告げる

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