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  • 私たちの20年にわたる事業 ― 子供を育てること
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 5/15 27–31ページ

私たちの20年にわたる事業 ― 子供を育てること

ノーマン・C・ピアーシーの語った経験

初めての子供の誕生を,今や遅しと待ちわびる若夫婦は少なくありません。一方,赤子の誕生が自分たちの生活に大きな変化をもたらすために,複雑な心境で子供の誕生を見守る夫婦もいます。

私たち夫婦は後者のほうでした。初めての子供の誕生は,私たちの生活を大きく変化させたからです。私たちは仕事の性質上,その仕事を続けながら,子供を世話し,扶養してゆくだけの時間的,金銭的余裕はありませんでした。

出産当初から,子供に対する導きを成り行きに任せるのは賢明でないことを私たちは自覚していました。成長期にある子供の相手をするために,他の影響力と戦う備えがどの程度できているかが,子供に対するその人の愛の程度を計る尺度になる,という意味の言葉を何年か前に読んだことがありました。私たち夫婦がこれまでの人生を振り返ってみると,この戦いが時としてかなりきついものだったことを認めざるを得ません。しかし,子供たちが19歳と20歳になり,20年にわたる私たちの事業がほぼ完了しようとしている今,その結果を見て,努力を払うだけの価値があると証言できます。

しかしまず,私たちが結婚したいきさつ,および私たちの20年にわたる事業の出発について,簡単に記すことにしましょう。

結婚と家族

1948年に私は“開拓者”になりました。エホバの証人は,神の王国の良いたよりを全時間教える者をそう呼んでいます。二年後,私はニューヨーク市ブルックリンにある,エホバの証人の本部家族の一員になり,聖書文書の生産に携わるようになりました。

翌1951年,私は,エホバの証人の宣教者を養成しているギレアデ学校の卒業式に行きました。卒業生の一人,マリアン・バーナーは,任命地へ向かう前に,数週間ニューヨーク市にとどまり,私たちはその間に知り合いになりました。マリアンは,三年余り横浜で過ごした後,1955年,ニューヨーク市で開かれた国際大会に出席するため帰国しました。その機会に私は求婚し,マリアンは私の妻,また生涯の伴侶となりました。

私たちは巡回奉仕の機会を与えられ,イリノイ州南部のエホバの証人の諸会衆を訪問し,援助を与えることになりました。これらの会衆は私たちにとって大きな喜びの源になりました。私たちは一生を全時間奉仕に費やしたいと思っており,やがてはブルックリンの本部家族と共に奉仕するために本部へ戻りたいと願っていました。ところが,間もなくして,自分たちに子供ができたことを知りました。それは当初の計画を著しく変えるものとなるので,私たちはその見込みに対してあまり熱意を示しませんでした。

次の巡回大会で行なった,最後の話の際,私はユーモアを交えこう言いました。妻は「円熟(Maturity)に向かって進歩する」と題する私の話を聞き,どうやら「出産(Maternity)に向かって進歩する」と聞き違えたようだ,と。私たちはカリフォルニア州に落ち着き,そこで長女のシンシアが生まれ,それから長男のグレゴリーが生まれました。

目的のある訓練

子供たちは大きな喜びのいわれとなり,私たちは子供を育てることに最善を尽くそうと決意しました。しかし,それから20年間,どのようにして子供たちを導き,懲らしめていったらよいのでしょうか。私たちは,自分の息子を育てるに当たってエホバの導きを求めた,幼いサムソンの父親の例を思い起こしました。―士師 13:8。

毎週,子供たちがまだ幼いころから,子供と聖書を研究することによって,私たちは自分が神の導きを求めていることを示しました。これは他の人々との研究よりも難しいことが分かりました。というのは,子供との研究が一番延期しやすい研究だったからです。また,夕食の際に,一つの聖句を話し合うことも毎日の習慣にしていました。

それに加えて,夕げの一時を,子供たちにアルファベットを教えるための時間としても用いました。こうして,子供たちに学校へ入るための準備をさせたのです。一年生のとき,グレッグ(グレゴリーの愛称)には読み方の点で問題がありました。私たちは毎日一時間を費やして,グレッグが向上するよう助けました。教師と密接に連絡を取ったため,私たちが子供たちの進歩に真の関心を抱いているということを教師に示せました。

シンシアとグレゴリーが生まれたばかりのときから,私たちは二人を会衆の集会すべてと大会すべてに連れて行きました。子供たちがそこで最善の影響を受けることを知っていたからです。(テモテ第二 3:15)子供たちが大きくなるにつれて,集会で注解するための準備をするよう二人を助けました。最初のうちは二言三言答えるだけでしたが,子供たちが自分の答える節を必ず理解しているようにしました。聖書の公開講演を聴いてから帰る際には,子供たちにどんなことを覚えているか質問しました。

子供たちを教える私たちの努力は報いのあるものとなりました。教えられた事柄は,その幼い思いにしっかりと刻み込まれたからです。その一例をお話しましょう。グレッグがまだ4歳のとき,私たちはアブラハムについて,またアブラハムが信仰の試練に遭い,独り子イサクを犠牲としてささげるよう命令されたことについて研究していました。私たちは,アブラハムとその息子の両方とも喜んでエホバに従おうとしていたことを説明しました。それから,一つの例を挙げて,私は,「いいかい,グレッグ,それはちょうど,エホバがお父さんに,お前を裏庭に連れて行って,お前を犠牲としてささげるように命令されたようなものだったのだよ」と言いました。それから,「もしそうなったとしたら,お父さんはどうすればよいだろう」と私は尋ねました。グレッグは少しもためらわずに,お父さんはエホバに従わなければならない,と答えました。

後で私たちはグレッグが祈っているのを小耳にはさみました。グレッグは目を閉じて,頭を垂れ,「エホバ,もしあなたがお父さんに,ぼくを裏庭へ連れて行って,犠牲にするようお命じになっても,ぼくは大丈夫です」と言っていました。

イエスが,天の王国に入る人には子供のような資質が必要だと言われたのはもっともなことです。私たちは聖書の真理が子供の心に達してゆくのを見ることができ,子供たちは従順を示すよう促されてゆきました。

シンディー(シンシアの愛称)が7歳のとき,私たちは「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を人々の家の戸口で提供するための準備をするよう彼女を助けました。シンディーは毎日,学校の帰りに,裏のドアをノックして,雑誌の提供の練習をしたものです。そしていよいよ,初めて見知らぬ人の家へ行く,その日になりました。シンディーはどなられて,泣き出してしまいました。車に戻ってから,妻は,イエスや使徒たちも大抵の場合人々に受け入れられなかったのだから,私たちもその模範に倣って,あきらめてしまわないよう言い聞かせました。シンディーはあきらめませんでした。

1966年,妻は人々の家で聖書を教えるために月100時間を費やせるよう手はずを整え,再び開拓者の隊伍に加わりました。子供たちがこの肝要な業に加わりたいとの願いを持って育ってゆくには,私たちがこの業を高く評価しているということを子供たちに示さねばなりません。その年の夏,私は再び自分の住む地区で一時的に巡回監督として奉仕するよう招待されました。

ある土曜日,8歳になるグレッグが自分と同じ年ごろの子供たちと,一緒に家から家への伝道活動に携わるよう取り決めを設けているのが聞こえてきました。グレッグは,私がほんの数分ほど前に示した模範にすぐ見倣っていたのです。これは,正しい模範を示すことの大切さを私に痛感させました。

様々な事態に対処する

子供が大きくなるにつれて,身繕い,服装,デート,そしてパーティーなどに関して問題が起きました。私たちは傍らで指針を与えつつ,子供たちに健全な判断力を働かせるよう教えることに努めました。

シンディーは15歳のころ,少女たちが学校へはいて行った,“ヒップハガーズ”という種類のズボンをはきたがりました。妻は黙って,そうしたズボンをはいている少女たちがどんな種類の人であるかを観察し始めました。また,自分がなぜ知りたいかということを言わずに,会衆内の他の若い人々にそのような服装をした若者をどう思うか尋ねました。会衆の若い人々は,そうした服装をした少女は不品行な人の場合が多いと言いました。

マリアンは自分の観察した事柄,またそのような少女たちと自分の娘が同じように見られたくないと私たちが決定した理由をシンディーに話しました。シンディーには,私たちの決定に同意するか否かを言い表わす機会が与えられました。幸いにも,問題はそれで落着しました。この出来事は,自分の服装が他の人々に与える印象について,シンディーに教訓を与えるものともなりました。

グレッグは14歳のころ,まだ“少年”であることを不快に思うようになり,“若者”とみなされたいとの願いを非常に強くしました。グレッグは19歳になる,若くて立派なエホバの証人と親しくなりました。しかし,この交際の結果,グレッグはその年上の少年と同じような自主性を望むようになりました。そして,殻にこもった,独立的な態度を培っていったのです。私たちがこの交わりを制限するようになったので,グレッグは,「どうしてですか。あの人が悪い友だちだと思うのですか」と尋ねました。

そこで,その交わりは悪いものではないが,その事態はグレッグにとって良くないことを説明しました。私はグレッグに自分の考えを言い表わす機会,つまり自分の思っていることを言う機会を与えました。私は,「お前がそう思わないのなら,また私たちが間違っているとか,正しい見通しを持っていないとか思うのなら,思っているとおりに言ってごらん」と話しました。

しばらく黙っていたグレッグは,「お父さんの言われるとおりだと思います。ただその理由が聞きたかっただけです」と言いました。

私たちが車で旅行していたとき,シンディーは高速道路で追い越した車に乗っていた人に,ごく無邪気にほほえみを返したことがありました。私たちの知らないその少年は,家まで後をつけて来て,他の人々からシンディーの名前を聞き出しました。そして,私たちの知らないうちに,交際が始まっていたのです。シンディーに,この少年が彼女の福祉を気にかけてはおらず,ただ肉体的な魅力に引き付けられているにすぎないということを示すのにかなりてこずりました。

私たちは,若い人々の直面する諸問題を扱った「ものみの塔」誌の優れた記事の備えに,深く感謝しています。そのうちのある記事は,子供たちと一緒に何度も読み返し,ある行動に対する賛否両論を話し合いました。そして,親として,エホバと書き記されたそのみ言葉に対する敬意の点で,子供たちに模範を示そうと,堅く決心しました。

実用的な技能を教え込む

私には小さな営繕受け持ち区域があり,グレッグは13歳になると,学校へ行く前,午前5時から午前8時までの間,私と一緒に働くようになりました。シンディーは15歳になって,エホバの証人である友人の指導の下で,簿記を学び始めました。私たちは,料理や裁縫など実用的な技能をも強調しました。グレッグも料理を学び,私は彼にカーペットを敷設する職を教え込みました。

このすべてを果たすにはぎっしり詰まった予定につき従わねばならなかったので,子供たちに通信教育で学業を終えさせることに決めました。その結果,子供たちは必要とされる世俗の教育を修めるだけでなく,職を身に着ける時間をも得ることができました。グレッグに勉強をする意欲を与えるために,学業を修めるまでは運転免許を取らせませんでした。グレッグは四年間の高校の課程を二年で終わらせ,私とマリアンとシンディーに加わって,全時間開拓の活動に従事するようになりました。

訓練の重要な特色

グレッグが14歳,シンディーが15歳になったとき,家族の長期的な目標に添って,ニューヨーク市にあるエホバの証人の世界本部を子供たちに見せる機が熟したと判断しました。しかし,それは4,800㌔も離れたところにありましたし,手持ちの資金も限られていました。私たちは家族でその問題を話し合い,たとえ家を抵当に入れてでも行くことを決意しました。しかし,この度も,エホバの手が短くないことを感じさせられました。一人の友人がやって来て,私たちのために何かしてあげたいと申し出ました。彼女は私たちに,石油会社のクレジット・カードを手渡し,それを使って旅行中に必要なガソリンすべてを入れるようにと言ってくれました。

子供たちはベテルを見て,また霊的な出版物や教訓を備えるために,自分たちの時間を自発的にささげる,愛ある,立派な人々を見て深い感銘を受けました。エホバへの奉仕に長年の間勤勉に携わってきた,これら忠実な人々の多くと旧交を温めることができたのは,私と妻にとって大きな喜びでした。

報いのある特権

当初,親になるという見込みに対してあまり熱意を示さなかったものの,それは特権であり,今では感謝していると心から言うことができます。確かに,非クリスチャン的な習慣の満ちているこの世で子供を育ててゆくのは容易なことではありません。異教に根ざす世の祝祭のあるものは,子供たちの心を引くこともあり得ます。しかし,子供たちを注意深く助けてきた結果,子供たちが何か良いものを失っていると感じたことは一度もありませんでした。

それで,他の人々がクリスマスを祝っているとき,私たちは学校が休みになるのを利用して,山小屋を取り,雪景色をながめにゆきました。また,時々グレッグを魚釣りに連れて行ったものです。また,私たちはクリスチャンの大規模な大会に出席するため旅行をし,大会前の自発的な活動に共に携わりました。その結果,子供たちには多くの健全な良い友人ができました。子供たちは,性病,結婚関係外の妊娠,堕胎,麻薬中毒など今日の若者の間に広く見られるものを除けば,何一つ失ったものはありません。今日のそうした若者の親たちは,神の言葉から正しい導きを子供たちに与えていないのです。

子供たちは感情面でとても釣り合いが取れていますが,その理由は私たちが多くの事柄を共に行なうことにあると思います。例えば,毎年結婚記念日には,四人全員にプレゼントのある,大きなパーティーを開きます。私たちはそのプレゼントを幾日も前からピアノの上に置き,一緒にごちそうを食べます。それは私たち夫婦だけの記念日ではありません。私たちが結婚したからこそ子供たちが生まれてきたのですから,それは子供たちのパーティーでもあるのです。

子供たちは,他の子供たちの享受していない多くの活動に楽しみを見いだしています。その中には,聖書の話を準備して,それを人々の前で話すことがあります。シンディーは10歳のころ,巡回大会で大勢の聴衆を前にして研究生の話を行ないました。妻はシンディーのために衣装を作り,シンディーは一世紀の少女が同時代の別の少女に聖書中の要点を説明しているという想定で話をしました。また,子供たちは二人とも,大きな地域大会のプログラムに参加して心を躍らせました。

私たちは,満足のゆく充実した生活を送ってきたと思います。子供たちの成長を見守り,私たちにとってかけがえのない聖書の真理を伝える,若い立派な教え手としてその能力を伸ばしてゆくのを見て喜んでいます。こうして今や,わが家には,エホバに仕えるさらに二人の有能な大人がいるのですから,神への奉仕においてさらに大きな喜びと特権を得ることを楽しみにしています。

[29ページの写真]

私はグレッグにカーペットの敷設技術を教えた

[30ページの写真]

妻はシンディーに裁縫を教えた

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