ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔78 1/1 21–27ページ
  • クリスチャン会衆とその働き

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • クリスチャン会衆とその働き
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 会衆とその一致
  • 長老たちの中央機関
  • 各会衆の長老たち
  • 奉仕のしもべ
  • 旅行する巡回および地域の監督たち
  • 集会
  • 王国会館と資金
  • 神の羊の群れを牧すべく任命された長老たち
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
  • 会衆の組織の新しい取決め
    わたしたちの王国奉仕 1977
  • 交替制の司会者職をもつ「長老たちの一団」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
  • 会衆は築き上げられる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2007
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 1/1 21–27ページ

クリスチャン会衆とその働き

今日,人類はあらゆる面で分裂しています。宗教,人種,国家,社会,および言語上の障壁は,克服し難いものとなっています。しかし,神はこうした分裂を意図してはおられませんでした。当初,全人類の祖先であるアダムとエバは,互いに,そしてさらに重要なこととして,神およびそのみ使いである子たちからなる天の家族と,全く一致調和していました。(創世 1:27-31。ヨブ 38:7)神は,全宇宙にこうした一致と調和を回復しようとしておられるのです。聖書は,「[神の]み旨の神聖な奥義」について,こう述べています。「それは,定められた時の満了したときにおける管理のため,ご自身のうちに定められた意向にしたがってであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。そうです,彼において(です)」― エフェソス 1:9,10。

一致なくしては,地球上に平和と幸福はあり得ません。しかし,その一致は,今日の諸国家が核戦争から自らを守るために達成しようとしている,恐れによる一致であってはなりません。真の平和は,心からの一致,つまりお互いに対する,また神に対する愛に基づいているべきです。すべてをキリストの下に集めるこの業は,エホバ神を主権者と認め,エホバ神の権威の下に集めることを意味しています。これまでの1,900年間,神はキリストを頭としたクリスチャン会衆を形作るため,あらゆる人種,国民,国語の中から人々を集めてこられました。現在の世界的な事物の体制の終結の時である今,神は,この体制の終わりを生き残って,地上でエホバの主権の下に永遠に生きることを望む人々を集めておられます。その上,キリストはご自分の千年統治中に,復活によって死者を生き返らせ,従順であることを実証する人々すべてを一つの調和した組織体へと集められるのです。―コリント第一 15:22,23。

会衆とその一致

会衆とは何ですか。「会衆」という語は,ギリシャ語のエクレーシアを訳したものです。字義的に言って,エクレーシアには「召し出すこと」という意味があります。この語は,「出す」を意味するエクと「召すこと」を意味するクレーシスから成っています。初期のギリシャ人は,国事について討議するために集められた市民の一団を指してこの語を用いました。この語に相当する日本語は,「大会」,および「会衆」です。中には,エクレーシアを「教会」と訳出している聖書翻訳もあります。エクレーシアに対応するヘブライ語はカハルで,イスラエルの会衆を指すのに用いられています。―詩 22:22,25とヘブライ 2:12を比べてください。

「会衆」という表現は,最も広い意味で,キリストを頭とするクリスチャンの弟子全体に当てはまります。(コロサイ 1:18。ローマ 12:5)この語はまた,聖書の中で,クリスチャンの地方的な組織体に関連して用いられています。(使徒 15:41。啓示 1:4)各会衆はその内部で一致を保つとともに,世界的な会衆全体とも一致を保たねばなりません。それらすべての会衆も一体なのです。会衆の保つべき一致がどんなものであるかを,コリント第一 1章10節は次のように描写しています。「さて,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧めます。あなたがたすべての語るところは一致しているべきです。あなたがたの間に分裂があってはなりません。かえって,同じ思い,また同じ考え方でしっかりと結ばれていなさい」。

一致の基盤となる愛は,真のクリスチャン会衆を見分ける主要なしるしです。イエスはこう言われました。「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)聖書はクリスチャンに,「愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」と命じています。(コロサイ 3:14)この愛による一致を成し遂げるために,会衆の成員すべては神の霊感によるみ言葉を学び,それに従わねばなりません。そうすることによって会衆の成員は,キリストの思いと霊,つまり動機づけとなる力を培い,物事に対するキリストの思いを得ることができます。(ローマ 8:9。コリント第一 2:16)神を知るようになる,つまり神の個性やその優れた特質や道を知るようになるので,神に見倣う者になれます。(エフェソス 5:1)その結果,画一性ではなく,一致がもたらされます。会衆の各成員が,「新しい人格を着ける」際に,自分の独自性を失うことはありません。(エフェソス 4:22-24)各自は,依然として自分の好み,才能,そして能力を有しているのです。その結果,多様性を楽しむことができ,会衆内の喜びが増し加わります。

長老たちの中央機関

「良いたより」を宣明する業を世界的な規模で行なうには,統一された協力が必要です。一世紀のクリスチャンたちの間にはこの一致が見られました。使徒パウロが,マケドニアのフィリピ市にあるクリスチャン会衆にあてて書き送ったとおりです。「ただ,キリストについての良いたよりにふさわしく行動しなさい。わたしが行ってあなたがたに会うにしても,あるいは離れているにしても,あなたがたについてこのことを聞けるようにです。すなわち,あなたがたが一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し(ていることをです)」。(フィリピ 1:27)一世紀の諸会衆は,エルサレム会衆と協力して働きました。同会衆は一番古い会衆で,長老団の中には使徒たちがいたので,他の諸会衆はこの組織体に助言と導きを求めました。

今日のエホバの証人は,初期クリスチャン会衆の運営方法を学び,聖書の示す型に従おうと努めてきました。全地に四万余りあるエホバの証人の諸会衆は,ニューヨーク市ブルックリンにある長老たちの中央機関と協力して働いています。この機関は,キリストの会衆の中でも円熟し,経験豊かなクリスチャンの男子から成っています。彼らは様々な国籍を持ち,世界各地からやって来た人々です。そして,テモテ第一 3章1節から7節,およびテトス 1章5節から9節に要約されている,神の羊の群れの牧者また監督になるための資格を満たしています。

一世紀におけるエルサレムの長老団の働きは,使徒 15章に例示されています。その章に示されているとおり,神はご自分の民がいるところであれば地球上どこにおいてであれ,ご自分の会衆全体と交渉を持っておられました。神は会衆の頭であるイエス・キリストを通して,非ユダヤ人の土地で宣べ伝える業に携わっていたご自分のしもべパウロとバルナバを導き,問題となっていたある事態に関係させました。その問題とは,キリスト教を受け入れた異邦人が会衆に受け入れられる前に割礼を受けねばならないか,という問題でした。ユダヤ人のクリスチャンの中には,割礼を受けねばならないと言う者もいました。

結局,使徒パウロと他の人々は,残りの使徒たちと同会衆の長老たちが住んでいたエルサレムへ問題を持って行きました。(使徒 15:1,2)この組織体の成員すべてが集まったところで,パウロとバルナバは問題を彼らの前に提出しました。それに続いて議論が起こり,その際ペテロは,最初の異邦人の改宗者コルネリオに関して聖霊の導きがあったことを説明しました。(使徒 10章)次いで,パウロとバルナバが同様の証言をしました。こうして,聖霊は,この問題に対する神の意志について『証しをした』のです。(ヨハネ 15:26)それから,問題を聖書的に解決するため,神の霊は思い起こさせるものとして働き,キリストの異父兄弟ヤコブの注意をアモス 9章11節と12節に向け,さらに教えるものとして働き,ヤコブがその預言の意味を悟れるように導きました。(ヨハネ 14:26)こうして問題は,実際には聖霊によって解決されました。その結果,神の意志に従って会衆を導くため,諸会衆すべてに手紙が書き送られました。―使徒 15:22-29。

エルサレムにあったクリスチャンの組織体がどのように運営されたかを見れば,現代の長老たちの中央機関がどのように働くかを理解できます。さらに多くの助けが必要になると,長老たちの中央機関を構成する人々は,自分たちと共にこの機関に加わって奉仕する資格のある,他の経験豊かな人を選びます。この機関はまた,各会衆による長老の推薦を考慮し,人々をそうした立場に任命する業を指導します。この機関の別の働きは,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌,聖書および他の聖書文書の執筆や出版を監督することにあります。それは,法人団体である,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会,およびニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会を用いて行なわれています。

こうした事柄の管理に加えて,中央機関は,支部事務所を通して世界中の会衆と密接な連絡を保っています。また,ニューヨーク市ブルックリンにあるギレアデ宣教者学校を運営し,全地に宣教者を派遣して,王国の「良いたより」の宣明者が孤立した土地にまで達するよう見届けます。この機関の成員は,ときどきそれらの土地を訪問します。それは,考えと行動両面での世界的な一致を保つのに役立ちます。(コリント第一 1:10)これらの人々は,地元ニューヨーク市の諸会衆と交わり,各会衆で長老として奉仕しています。彼らは,エホバの証人の生活や信仰に対する支配者あるいは「主人」ではなく,むしろ同じ家令の務めを持つ兄弟および同等の人とみなされます。―コリント第一 4:1,2。コリント第二 1:24。ペテロ第一 4:10。

各会衆の長老たち

一方,各地の会衆には,各々「長老たち」あるいは「監督たち」(ギリシャ語,エピスコポイ)の一団があります。この長老たちはいかなる意味でも他の人々より優れた存在ではなく,実際には神の「羊の群れ」のしもべなのです。使徒ペテロは,長老たちの態度や業をペテロ第一 5章1節から4節の中で説明し,その中で長老たちを「牧者」と呼んでいます。彼らは自分たちにゆだねられた「羊の群れ」を援助する人々です。こうした人々に当てはまる呼び名は,称号ではなく,むしろ,その人々が牧したり霊的な事柄を監督したりするよう任命された,円熟したクリスチャン男子で,実際に“長老”であることをよく示しています。“僧職者”階級と“平信徒”を分ける特別な称号は,エホバの証人の間では用いられていません。―ヨブ 32:21,22,新。

長老つまり監督たちとして認められるよう各会衆の推薦する人々は,真の監督の特質や業について説明した,テモテ第一 3章1節から7節,テトス 1章5節から9節などの聖句に記されている資格に従って選ばれます。ですから,「神の会衆を牧させるため」にだれを任命すべきかを長老たちの中央機関に示しているのは,「聖霊」であると言えます。―使徒 20:28。

神の羊の群れを監督することは“牧羊”の業です。「神の会衆を世話する」という彼らの務めについて語った使徒パウロは,エピメレオマイというギリシャ語を用いました。この語には,あらかじめ考慮し,事前の備えをすることに関係して,「世話をする」という意味があります。エピという部分は,『世話すべき物事に対して思いが向けられている』ことを示しています。(テモテ第一 3:5)この語は,ルカ 10章34節と35節で,けがをした男に対する善良なサマリア人の世話に関して用いられています。

したがって,長老たちの主要な役目は,教え,助け,戒め,矯正し,説き勧めることにより,会衆の霊性をよく見守ることです。長老たちは会衆に関心を示しますが,人々の集団としてではなく,個々の成員の霊的福祉に関心を示します。長老たちには「教える資格があり」ますが,その資格には,個人,夫婦,そして家族に対し,各々の生活や問題に聖書の言葉がどのように当てはまるかを示し,有益な助言を与える能力も含まれています。―テモテ第一 3:2。テモテ第二 4:2; 2:24,25。

会衆の長老たちは,会衆の成員同士の紛争や悪行に関連した訴えなどの問題がある場合にその求めに応じて問題を審理します。しかし,この場合に長老たちを苛酷な裁き人とみなすべきではなく,むしろ悪行者が立ち返ることに関心を抱く愛のある兄弟と見るべきです。長老たちの目的としているところは,関係者が自分たちの問題を神のみ言葉の導きに従って解決するのを助け,聖書と調和して会衆の清さを保つことです。そのようにすれば,神の恵みは引き続きとどまり,神の会衆に非難がもたらされることがないよう保護されます。(ペテロ第一 2:15,16)ですから,考慮すべき主な要素は,憐れみと霊的な面での会衆の良い立場です。誤った道を行く者を再調整し,その道を正し,霊的に健全な状態へ戻れるよう助け,そうした人々を『得る』ためにあらゆる努力が払われます。(マタイ 18:15)しかし,ある人が聖書の原則をはなはだしく犯し,その上,悪い習慣から離れようとする意向や真の悔い改めを示そうとしない場合,長老団は,悪行者を“排斥”するための措置を取るでしょう。この措置は,交わりを絶つ,すなわち霊的交友や社交的親交をやめることを意味します。―コリント第一 5:9-13。

排斥措置は,悪行を大目に見ているという非難を会衆にもたらさないようにするだけでなく,罪を犯した人が正気を取り戻すのに役立つかもしれません。(テモテ第一 1:20)排斥された人が後日悔い改めて,悪い道から離れ,復帰を申請する場合,長老団がその人の歩みや態度の変化を検討した後,再びその人を会衆に受け入れることもあります。(コリント第二 2:5-8)排斥されている期間,その人は虐待されたり侮辱されたりするのではなく,イエスの諭されたとおり,「諸国民の者のような」人とみなされます。それは,クリスチャン会衆の成員ではない,外部の世界に属する人とみなすことを意味します。―マタイ 18:17。

奉仕のしもべ

「奉仕のしもべ」(ギリシャ語,ディアコノイ,しもべあるいは奉仕者の意)は,テモテ第一 3章8節から13節の中に記されている資格に基づいて選ばれます。これらの人々は,会衆内で必要とされる数々の仕事を助けるために,長老たちの監督の下で働きます。奉仕のしもべたちは,会衆の記録類を保ち,集会場を清潔で,いつでも使える,必要な物資のそろった状態に保ちます。また,地域社会の人々に秩序正しく「良いたより」が伝えられるよう見届けます。それには,区域の地図,そして個人や群れに区域を割り当てる仕事が関係してきます。奉仕のしもべは,証言や教える業のための聖書文書が会衆の成員すべてに供給されるよう見届けます。また,新しい人が「良いたより」を宣明するのを援助し,関心ある人を訪問し,貧しい人や病人を助けます。奉仕のしもべたちも,長老たちと同じく,神が彼らに与えるのをよしとされた「賜物」に従って奉仕します。(ローマ 12:6-8)長老や奉仕のしもべはだれひとりとしてそのような職務のゆえに手当てを受けません。その奉仕は無償で行なわれるのです。

初期クリスチャン会衆に属した婦人たちと同様,婦人たちも人々に「良いたより」を宣明し,それを教える業に従事しますが,女性が長老に任命されることはありません。このことは,テモテ第一 2章12節,およびコリント第一 14章34節にある使徒パウロの言葉と調和しています。

長老たちに特別な訓練を与えるために,一つの学校課程が便利な場所で周期的に開かれます。会衆の長老たちすべては,「王国宣教学校」と呼ばれるそうした学校に招待されます。その学校には,長老たちの必要に即して作られた教科書が用意されています。資格のある教訓者が学校で指導の任に当たります。地元の会衆は,学校の開かれる場所から離れた所から学校へやって来る長老たちのために,食事や宿舎を提供するかもしれません。“開拓者”のエホバの証人を訓練するためにも,同様の学校が設けられています。開拓者というのは,良いたよりを宣明するために,毎月90時間かそれ以上を定期的にささげる人たちのことです。

旅行する巡回および地域の監督たち

自分の時間すべて,あるいはその大半を,巡回監督としての業にささげることのできる長老は,一定の地区にある20ほどの会衆を定期的に訪問するよう任命されます。巡回監督の務めは,自分の訪問する会衆の長老たちと共に働き,起きてくる問題を話し合ったり,会衆を励ましたりすることです。巡回監督は,交わりや,「良いたより」を宣明する立派な奉仕に会衆内のできるだけ大勢の人と共にあずかることによって会衆を励まします。また,信仰において進歩するようすべての人を励ます話をします。―ローマ 1:11,12。

地域監督の仕事は,巡回監督の仕事と似ています。一つの地域には,大抵,約20の巡回区あるいは巡回区の一部があります。地域監督はそれらの巡回区を訪問し,その際,中心的な場所に位置したエホバの証人の大会ホールや便利な都市で“巡回大会”が開かれます。地域監督はそのような集まりの司会者を務めます。こうした大会は普通二日間にわたって開かれます。巡回および地域監督,そして土地の他の長老たちによる,築き上げる話や討議は,クリスチャンの生活,その業や問題などを聖書的な見地から取り上げたものです。長老たちの中央機関は,年に二回開かれるそのような大会のプログラムの大要を指示します。こうした大会では,バプテスマも執り行なわれます。

集会

エホバの証人は会衆として,毎週次のような集会を開いています。これらの集会は,土地の会衆に最も都合の良い時間に予定されています。

会衆の書籍研究。エホバの証人および彼らと聖書を研究している人々は,週に一度近所の家に集まり,聖書およびエホバの証人の統治体の指導の下に作られた,聖書に基づく教科書を用いて,一時間の研究を行ないます。こうした集会では,神に仕える近所の他の人々と親しく知り合うことができます。集まる人の数が少ないので,自由に注解し,他の人々の前で自分の信仰を言い表わすことに慣れるよう励まされます。(ヘブライ 13:15)また,質問をする機会もあり,それに対して聖句に基づく答えが得られます。これは聖書に対する知識を研ぎ澄ますのに役立ちます。―箴 27:17。

会衆の書籍研究の開かれる家は大抵の場合,そこから「良いたより」を携えて,近所の人々の家を訪問する際などにも群れの人々が集合する場所になります。こうした群れの取り決めのお陰で,各々の聖書研究でよく進歩している人は,「良いたより」を宣明する業に携わるための助けを受けられます。

公開集会。会衆は毎週,大抵日曜日に,公開の聖書講演を聞くために集まります。聖書に関する多種多様な主題に基づく筋書きが備えられており,普通は長老である,資格を備えた講演者が話をします。聖書を持って来れば,講演者が聖句を引用したり参照したりする際に聖書を開く機会があり,その問題に関して聖書が教えている事柄を理解できるようになります。

「ものみの塔」研究。この集会は普通,公開集会に続いて行なわれ,「ものみの塔」誌を用いて聖書を研究する集会です。会衆全体が出席して行なわれるこの集会は,会衆の書籍研究の際に小さな群れで行なわれるのと似たような手順で進められます。司会者が質問を読み,聴衆が自発的に注解します。

神権学校。各会衆は,他の人々に真理を効果的に話せるよう一層十分の備えを与えるため入学している成員すべてを助ける目的で,この学校を開いています。この学校のお陰で多くの人は,公開講演をしたり,演壇から会衆を説き勧めたり,教えたりして,「語ることに(おいて)……忠実な者たちの手本」となっています。この学校に入っている人すべては,聖書に関する主題に基づく話を割り当てられ,学校を司会する長老の個人的で親切な助言を通して進歩するよう助けられます。(テモテ第一 4:12,13,15。テモテ第二 2:15)会衆と交わっている人であれば,だれでもこの学校に入学できます。こうして,エホバの証人は,関心を抱く人々の家でより効果的に話したり教えたりするようになるのです。

奉仕会。普通,神権学校と同じ晩に,続いて行なわれるこの集会は,エホバ神に対するクリスチャンの奉仕に特に焦点を合わせているので,奉仕会と呼ばれています。この奉仕には,人々に「良いたより」を宣明し,教えることだけでなく,日常生活の様々な事柄も含まれています。聖書の真理を他の人々に提示する方法,子供の訓練としつけ,振舞い,そのほか「良いたより」の宣明や生活上の諸問題の解決策に関するエホバの証人の経験などが討議されます。この集会のプログラムには,話やグループによる討議などが含まれています。また,聞く耳を持つ他の人々との聖書の討議,および関心を持つ人々の家での聖書研究の司会の方法なども,この集会で実際に示されます。

王国会館と資金

エホバの証人は自分たちの会衆の集会場を「王国会館」と呼んでいます。時には建物を借りることもありますが,大抵の場合,エホバの証人たちは,美しく,それでいて簡素で機能的な会館を建てます。通例,エホバの証人は自分たちで建築作業の大半を行ないます。王国会館の建築と維持および会衆の他の出費すべては,会衆の成員の自発的な寄付によってまかなわれています。エホバの証人の集会では寄付盆が回されることはなく,寄付の懇請は決して行なわれません。寄付箱が会館内に置かれており,費用の支払いを助けたいと思う人はだれでも,自分の定めただけ寄付することができます。―マタイ 6:3,4。

同様に,エホバの証人の世界的な業も,「王国のこの良いたより」が宣べ伝えられるのを見たいと願う人々からの寄付によって支えられています。(マタイ 24:14)聖書文書を配布して,関心を抱く人々から受け取った寄付は,それらを印刷し配布するための費用の一部に当てられます。

エホバの証人は,「生ける神の会衆」が地上における「真理の柱また支え」であることを認めているので,その構成や機能に関して聖書の述べるところを詳細に至るまで守ろうとするのです。エホバの証人の目的とするところは,多くの人々が神の取り決めを学び,真理に従って生活し,真理の神に栄光を帰すようになる点で,会衆が本当に役立つものとなることです。―テモテ第一 3:15。

[24ページの写真]

米国の長老たちの一団

[26ページの写真]

オーストラリアの王国会館に入って来る一家族

ブラジルでの証言

象牙海岸でも…

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする