ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔78 4/15 19–25ページ
  • キリスト教,そして真の宗教の記録

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • キリスト教,そして真の宗教の記録
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 今日のクリスチャンは,先に立ってキリストを再びはりつけにするだろうか
  • イエスと真の宗教
  • イエスと魂
  • イエス,そしてノアに対する命令
  • 王国の一致した支持者たち
  • それは何を意味するか
  • 真の宗教 ― それはどのように見分けられるか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
  • あなたの教会は真の宗教を教えていますか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
  • あなたは正しい宗教を見いだしましたか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
  • 神に是認される崇拝
    聖書は実際に何を教えていますか
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 4/15 19–25ページ

キリスト教,そして真の宗教の記録

1,2 一般に「キリスト教」と呼ばれているものと,イエス・キリストの宗教とはどのように違いますか。

1976年12月24日付のデトロイト・フリー・プレス紙は,次のように問いかけています。

今日のクリスチャンは,先に立ってキリストを再びはりつけにするだろうか

これに続く記事の中で,寄稿家のシドニー・J・ハリスは次のように書いています。

「もしクリスマスの日に再臨があったとしたら,キリストはほどなくして再びはりつけにされないだろうか。そしてこんどはローマ人やユダヤ人ではなく,クリスチャンと誇らしげに自称する人々によって。

「人間の行為と社会的関係について,奇妙で,極端で,“非実際的な”教えを教えるこの人を,今日のわれわれはどのように考えまた扱うだろうか。……

「彼は悪に刃向かうのではなくて善をもって悪に返しなさいと勧めるから,われわれの中の軍国主義者たちは,彼をおくびょうな平和主義者であると攻撃しないだろうか。

「彼は四海同胞を唱えるので,われわれの中の国家主義者は,彼を破壊活動分子と見て攻撃するのではないだろうか。……救いへの道は狭くて困難な道であると彼は警告するので,われわれの中の感情家は彼を冷笑的な人物とみなして退けないだろうか。……

「わたしは疑問に思う。キリスト教時代は本当にはじまっているのだろうか,と」。

2 この記事は,イエス・キリストの教えと,聖書に示されている真の宗教を信ずると主張する今日の多くの人々の見解との,幾つかの大きな相違を,非常に効果的に強調しています。

イエスと真の宗教

3,4 アダムとエバに関する一般の見方は,(イ)イエスが信じておられたこと(創世 1:26),(ロ)イエスの弟子たちが信じていたこととどのように違いますか。

3 さて,わたしたちは,エホバ神が最初の人間アダムとエバを創造された,と聖書の創世記が教えているのを知りました。牧師や教会員の中には進化論のほうを好み,創世記の記録を神話と考えている人が少なくありませんが,キリスト教の創始者イエスはどうお考えになっていたでしょうか。

4 イエスが,人類の親であるアダムとエバは神によって創造された,と確信しておられたことは否定できません。イエスの使徒たちもそう信じていました。(創世 2:21-24。コリント第一 6:16; 15:45。エフェソス 5:31。ルカ 3:23-38)あるときイエスは,離婚に関する質問に答える際に次のように言われました。

「あなたがたは読まなかったのですか。人を創造されたかたは,これをはじめから男性と女性に作り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅くつき,ふたりは一つの肉体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一つの肉体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません。……あなたがたに言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」― マタイ 19:4-9。

5 聖書に対するどんな態度は,真の宗教を見分ける助けになりますか。

5 イエスのこの言葉からわたしたちは,イエスとイエスの追随者たちが,聖書を,霊感によって書かれた信頼できるものとして受け入れていたことを確信できます。そのように聖書を受け入れていることは,真の宗教を見分ける目安となる一つの重要な特色です。(テモテ第二 3:16,17)それでわたしたちは各自,『自分の宗教は聖書を霊感によるもの,また創造に関する記述を含め正確なものとして受け入れているだろうか,自分は個人的にイエスや使徒たちと同じように信じているだろうか』と,自問してみることができるでしょう。

6 (イ)イエスは結婚と離婚についてどのように考えておられましたか。これらの問題に関し,真の宗教と,創世記に書かれていることと比べるときなんと言えますか。(ロ)初期クリスチャンたちは,性と結婚に関してどんな道に従いましたか。(ヘブライ 13:4)

6 マタイ 19章の4節から9節の中でイエスが言われていることは,正しい振る舞いに関する真の宗教の一貫性を示すよい例です。イエスは結婚の神聖さと,結婚契約が拘束力を持つこと,また聖書は配偶者に重大な不品行の罪があるときだけ離婚と再婚を許すということを認めておられました。この神聖な規準を堅持することによって,真の宗教は,結婚を成功させるべく努力するよう既婚者たちを動かします。結婚している人は,結婚を,国が容易に解消させることのできる一時的な社会契約と見るべきではありません。したがって,初期クリスチャンたちは,真の宗教を実践するにあたって,結婚を神聖で拘束力のある結合とする創造者の見方を固く守り,乱交を避けました。ですから,C・J・カドックス博士は,西暦二世紀のクリスチャンたちに関し,次のように書いています。

「結婚関係外の性交はすべて厳禁されていた。クリスチャンたちは,彼らの周囲の異教世界で広く見られた不行跡を激しくとがめることがしばしばあった」―「初期教会と世界」,283頁。

7,8 ご自分の体験から考えて,ほとんどの教会員は聖書の道徳規準を守っている,とあなたは考えますか。それとも今日それを守ることは不可能ですか。

7 あなたは大多数の教会が聖書の道徳規準を固く守っているのをご覧になっていますか。それとも,クリスチャンと称する人々が,聖書的根拠もないのに離婚しては再婚するのが普通の状態になっていますか。また多くの宗教は,不道徳な同棲生活をしている人々や,一夫多妻の人たちを会員としてとどめていないでしょうか。

8 もちろん,聖書の高い道徳は立派だけれども,今の時代にそれを守るのは不可能だ,と言う人も少なくないことでしょう。しかし,『わたしたちの周囲の世界で不行跡が広く行なわれていても』,信仰を抱く人々が高い道徳規準を守ることは確かに可能です。(ヘブライ 13:4)ロンドンのデイリー・テレグラフ紙は,アフリカ大陸に住む幾十万という人々について,次のように伝えています。

「エホバの証人はアフリカ全土で,自分たちが高い道徳律を守る,品位と秩序のある市民であることを示してきた。……アフリカ社会の特徴である乱交や一夫多妻など,証人たちの間では全く考えられないことである。同派は,倹約,時間厳守,正直,従順を守る習慣を人々に植えつけている」― 1972年10月26日。

9 (イ)性道徳に関して聖書が述べていることと盗みとが関連しているのはなぜですか。(申命 5:19,21。テサロニケ第一 4:4-6)(ロ)悔い改めずに悪事を続ける者になった人に対してどんな処置をとるのが真の宗教の特色ですか。

9 ですから,性道徳を強調し,結婚を重んずることは,最初から真の崇拝の特徴であったことが分かります。そうすることは,財産権に対する聖書の配慮,および聖書が盗みを非としていることとも関係があります。盗みには他の人の配偶者,または他の人の道徳的純潔を盗むことも含まれます。(創世 2:24。エフェソス 4:28)さらに聖書は次のことを明示しています。つまり,真の宗教を信じていると言いながら,悔い改めることをせず,『淫行,姦淫,盗みもしくは貪欲な行ない』をしつづける者は,「その邪悪な人をあなたがたの中から除きなさい」という神のご要求通り,クリスチャン会衆から追放されねばならないということです。(コリント第一 5:11-13; 6:9,10)神が与えたこの道徳をしっかりと守ることは,終始一貫,真の宗教の特色となっています。わたしたちは,自分が行なっている神への崇拝は,これと比較してどうだろうか,と自問してみることができます。

イエスと魂

10 「魂」の問題に関し,クリスチャン聖書と創世記はどのように比べられますか。

10 わたしたちは先ほど,アダムに関し,彼は不滅の魂を持っていたのではなくて魂であったと聖書が述べている事実に注目しましたが,クリスチャン聖書,もしくは「新約聖書」の中でも,それと同じ解釈がなされているのでしょうか。全くその通りです。使徒パウロは復活の問題を論ずる際に,創世記の記録を引用することさえして,次のように述べています。「こう書かれています。『最初の人アダムは生きた魂になった』。最後のアダム[イエス・キリスト]は命を与える霊になったのです」。(コリント第一 15:45)したがってこの問題においても,真の宗教の信条には一貫性があります。

11 イエスの弟子たちはどんな希望を持っていましたか。それが真実の希望で空頼みでないことを,彼らはどうして確信できましたか。(ペテロ第一 1:3,4。使徒 10:39,40; 17:31。コリント第一 15:3-8)

11 キリストの初期の追随者たちは,イエス自身に起きたことを見たので,この解釈を確信することができました。イエス,つまり一個の人間の魂が,殺されたのです。そして三日の間死んでいました。その間イエスはどこか別のところで生きていたのではありません。(使徒 2:22-27。コリント第一 15:3,4)神が三日目に彼を霊の体を持つ者として復活させるまで,彼は墓の中にいたのです。イエスが天に戻られたのはその後のことでした。(ペテロ第一 3:18)それよりも前,イエスは死を睡眠中の無意識状態になぞらえて話したあと,信者たちに,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生きかえるのです」と言っておられます。(ヨハネ 11:11-14,25; 5:28,29)ですからイエスの弟子たちには,人間に不滅の魂があるとするギリシャ哲学を信ずる理由は少しもなかったのです。

12 「魂」に関する信条は宗教上なぜ重要なものですか。

12 この点に関し,わたしたちはめいめい,自分の宗教の教えをよく考えてみることができます。わたしたちの宗教的な考えは,真の宗教が終始一貫して教えていること,すなわち人は魂であり,人の将来の命はすべて復活に待たねばならない,という考えに従って形造られているでしょうか。これは軽々しく扱うべき事柄ではありません。わたしたちの希望が問題になっているからです。

イエス,そしてノアに対する命令

13,14 血の問題は真の崇拝に関してなぜ重要な問題ですか。

13 イエスの教えがアダムに関する創世記の記録と一致しているように,イエスの教えはノアに関して聖書に記されている事柄とも一致していると期待するのは,道理にかなっていないでしょうか。まさにその通り一致しているのです。創世記 9章3節から6節で,創造者が,全人類に対する命令であるいくつかの指示を与えておられるのを,あなたは思い出されるでしょう。神はそこで,肉を血のあるまま食べてはならない,他の人の命を取ってはならない,ということを言われています。

14 そのとき以後,真の宗教には血を尊重することが含まれるようになりました。血は,神から与えられて神に属する命を象徴するものであると,神ご自身が述べておられます。(レビ 17:13,14。詩 36:9)このことと調和して,全人類のための犠牲としてそそぎ出されたのが,イエスの血でした。(エフェソス 1:7。ヘブライ 9:11-14。ペテロ第一 1:19)しかし,クリスチャンもまた血を食べないように,血の抜かれていない肉を食べないように,要求されているでしょうか。クリスチャン聖書を見ると,使徒 15章には,使徒たちとエルサレムの長老たちの下した,拘束力を持つ決定が記載されています。その人々は,クリスチャンの長老たちの中央機関すなわち統治体を形成していました。聖書によると,彼らは神の聖霊の援助のもとに,クリスチャンは,ノアを通して命じられた通り,血を避けなければならない,ということを確認しました。―使徒 15:28,29; 21:25。

15,16 血に関して,初期クリスチャンの取った行動とエホバの証人の行動とを比較するなら,どういうことが言えますか。

15 初期クリスチャンは,神のこのおきてを固く守りました。古代ローマ人の著作家テルトリアヌスによると,第二,第三世紀のクリスチャンたちは,『自然食の簡素な食事をし,動物の血さえ食べませんでした。彼らは締め殺されたものや自然死したものを避けました』。迫害者たちでさえ,真のキリスト教の信奉者たちが,血の抜かれていない肉を食べないことに気づいていました。そこで彼らは,『血のソーセージでクリスチャンたちを誘惑しました。それというのも,クリスチャンに罪を犯させようとして彼らが使っていた物について,クリスチャンたちがおきてに違反するものと考えていたのを,よく知っていたからです』― テルトリアヌス著,「弁明」,第一部,9章。

16 真の宗教の区別のあるこの特色は,以来捨てられてしまったのでしょうか。ほとんどの教会は,このことに関して聖書が述べていることを無視するかまたは教えていませんが,それは依然として,真のキリスト教であることを示す特色となっています。1976年にアフリカのある国から寄せられた報告は,初期クリスチャンのように政治的中立を保つがゆえに投獄されていたエホバの証人の一グループのことを伝えています。彼らの看守たちは,証人たちの信仰を試すために,『信仰を否認し,宗教を変え,一夫多妻主義を受け入れ,血の抜かれていない肉を食べます』という手紙を強制的に書かせようとしました。しかし,うれしいことにそのクリスチャンたちは,使徒たちと同じように,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と答えたのです。―使徒 5:29。

17 神がノアにお告げになったことの中に,真の宗教のさらにどんな証拠をクリスチャンは見ることができますか。

17 真の宗教であることを証明するもう一つの証拠も,神がノアに言われたことと関係があります。全人類がわずか八人であったその当時,神は彼らが戦い合ったり,殺し合ったりすべきでないことをはっきり示されました。(創世 9:5,6)人類に対するこの兄弟意識と,人の生命を尊重することとは,真の宗教であることを示す最も大きな特色の一つとなっています。―出エジプト 20:13。

18 (イ)イエスご自身,何がご自分の弟子であることを示すものになると言われましたか。(ロ)イエスの言葉に従って,初期クリスチャンは戦争に関しどんな立場を取りましたか。(マタイ 5:43-45; 26:52)

18 イエスは死ぬ少し前,このように言われました。「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いを愛することです。あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:34,35)したがって,初期クリスチャンたちはローマの軍隊に入ることも,他のいずれかの古代国家の軍隊に入って戦うことも,すべて拒否しました。ジョナサン・ダイモンドは,「戦争とキリスト教の原則との調和に関する研究」という論文の中で,この問題に関する調査結果を次のように報告しています。

「われわれの救い主の時代に極めて近い時代に住んでいたクリスチャンたちは,救い主が戦争をはっきりと禁じた,となんら疑うことなく確信していた。だから彼らはこの信仰を公然と告白し,しかもそれを証拠だてるためには,自分の財産や命を犠牲にすることも辞さなかった。また実際に犠牲にした。

「しかしながら,クリスチャンは後になって兵隊になった。いつからだろうか。それはキリスト教に対する彼らの一般的忠誠がゆるんだときであった。それは彼らが他の点でキリスト教の原則を犯したときであった。……要するに,彼らはクリスチャンでなくなったときに兵隊になったのである」― 60,61頁。

19 聖書を書いた人ヨハネは,真の宗教の区別あるどんな特色を強調しましたか。

19 使徒ヨハネは,真の宗教の重要な特質として,愛に特別の注意を払い,このように書いています。「互いに愛し合うこと,これが,あなたがたが初めから聞いている音信なのです。カインのようであってはなりません。彼は邪悪な者から出て,自分の兄弟を殺りくしました。……子どもらよ,ことばや舌によらず,行ないと真実とをもって愛そうではありませんか」― ヨハネ第一 3:11,12,18。

王国の一致した支持者たち

20 真の崇拝を見分けるよう他の人を助ける際に,王国についてどんなことを指摘することができますか。

20 クリスチャンの兄弟たちが世界的に一致している別の理由は,イエスの宣教の中心主題,すなわち天の王国にあります。真のクリスチャンは,地球のどこに住んでいようと,この王国の権威を支持し,これに命をささげます。今日,幾億もの教会員は,イエスがお教えになった「模範的な祈り」を繰り返し,「御国の来らんことを」と祈りますが,王国とは実際の政府で,地の住民のためにこの地を本当に支配し,人類に公正と平和と健康と命をもたらすものであることを,理解しているでしょうか。(啓示 21:3,4。ペテロ第二 3:11-13)イエスは,ローマの知事ポンテオ・ピラトの前で,この王国について次のように言われました。

「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」― ヨハネ 18:36。

21 真のクリスチャンは,何に対してその忠誠と努力を傾けますか。

21 この王国は天にその源を有しています。ですからクリスチャンは,平和をもたらすための人間の努力に敬意を払いますが,自分の力と資力はすべて,王国と王国が全人類に差し伸べる希望とをふれ告げることにささげます。(マタイ 24:14; 28:18-20)したがって,王国に対する信仰と忠誠は,キリストの真の追随者の生活の中で最も重要な事柄です。

22 初期クリスチャンは世俗の政府に関してどんな立場を取りましたか。(テトス 3:1。ペテロ第一 2:17)

22 使徒の後の時代に,初期クリスチャンたちは,キリストの言葉に対するこの信仰を実証しました。彼らは税金を支払い,国の法律に従い,普通の事柄ではすべての点で,彼らが住んでいた土地の模範的な市民でした。(マタイ 22:17-21。ローマ 13:1-7)しかし彼らは,その時代の多くの政治的党派と紛争のただ中にあって,中立の立場を取りました。歴史はこう語ります。

「クリスチャンたちは,彼らの周囲の世界では,よそ者であり,旅人であった。彼らの市民権は天にあった。彼らが心を寄せていた王国はこの世のものではなかった。したがって,その結果としての公事に対する関心の欠如は,最初からキリスト教の顕著な特色となった」― E・G・ハーディ著,「キリスト教とローマ政府」,39頁。

23 正しい宗教について考えるとき,エホバの証人の中立的立場はなぜ興味深いものですか。(ヨハネ 15:19)

23 この事実に矛盾しないように,わたしたちは,今日真の宗教を実践している人々を見分けるにあたって,人間の政府が行なう事柄に対し中立を維持している人々を探さなければなりません。それも個人的な理由による中立ではなく,この時代の不公正を正し苦しみをなくする神の王国の活動を待つがゆえに中立を保っている人々でなければなりません。そのようなクリスチャンが今日いるのでしょうか。キリスト教に関する,最近出版された本には次のように述べられています。

「エホバの証人が,政治,軍事,そして社会問題に関与しないことを,彼らの敵は人間ぎらいと解釈している。そしてこれが,彼らにしばしば加えられる残虐極まる迫害の要因となっている」―「アメリカのキリスト教,その歴史的解説」。

また,F・H・リッテル著,「国教会から複数主義へ」(1971年)は次のように述べています。

「王国に関するエホバの証人の特異な教理がいかに途方のないもの,字句にこだわった無味乾燥なものに思えても,われわれは次のことを忘れるべきではない。すなわち聖書的宗教における王国の出現は,劇的な浸透の時,人間の通常の期待が逆になる時であるということである」― 212頁。

王国に関する聖書の教理は確かに世の見解とは異なっています。そのことは,イエスがポンテオ・ピラトの前で裁きをお受けになった時の場合と変わりません。しかしイエスは,「知恵はその働きによって義にかなっていることが示される」とも言われました。もしわたしたちが,真の宗教とは何か,ということに関心があるなら,聖書の見解に従っている人々の働きを調べてみる価値があります。―マタイ 11:19。

それは何を意味するか

24 まとめるなら,真の宗教をそれと示す重要な特色は何ですか。

24 これまでわたしたちは幾つかの点を検討してきましたが,これらの点は真の宗教をそれと証明する特色のすべてであるという意味では決してありません。しかし,これらの点は確かに,わたしたちが自分の宗教の信条と実践を,そして自分自身を,個人的によく考えてみるための十分の根拠となります。聖書と初期クリスチャンたちの生き方とを見て知ったことを認めるなら,わたしたちは真の宗教に次の事柄が含まれているのを容易に認めるでしょう。すなわち,神が直接に人間を創造して地球上に住まわせられたということや,人間には不滅の魂はないが死者は将来復活を受けるということ,またわたしたちは固い信念をもって不道徳を避け,結婚の取り決めの神聖さを擁護しなければならないこと,血に関する神のおきてを守り,同胞に対して愛を働かせることは重要なことで,それによって生活は一層楽しいものになるということ,またクリスチャンは神の与えてくださるすばらしい希望を持つよう他の人を助ける目的で,神の王国をふれ告げる必要があること,などです。

25,26 わたしたちはなぜめいめい真の宗教のこれらの特色に個人的な関心を払う必要がありますか。それによってどんな結果が得られますか。

25 中には,自分の宗教が,または個人的信条や行ないが,聖書の示す真の宗教と違っていることに気づく人もあるでしょう。もしあなたが,ご自分の場合に,なんらかの調整が必要であることに気づかれたなら,その調整を遅らせないようにしてください。ペテロ第一 3章10節から12節にある,霊感による次の助言に従ってください。「というのは,『命を愛して良い日を見たいと思う者は……悪から遠ざかって善を行ない,平和を求めてこれを追い求めよ。エホバの目は義人の上にある……』とあるからである」。

26 ではわたしたちは,正しいことをどのように追い求めればよいのでしょうか。それには,真の宗教と合わないことをただ捨てればよいのではなく,さらにわたしたちの神のご意志に従って生きるべく積極的な処置を取らねばならないのです。ノアはただ信じただけの人ではなかったことを思い出してください。ノアは真の神と共に歩み,また「義の宣明者」であった,と聖書は告げています。同様に,イエスとイエスの使徒たちも真の宗教を信じ,かつそれに従って生きたのです。そのように生きることには,神の王国と,この地上に訪れる神の約束による平和な新秩序とに関する良いたよりを,他の人々に伝え分かつことも含まれていました。(マタイ 4:17; 10:7; 28:19,20)その同じご意志を,心を尽くして行なうとき,わたしたちは大きな喜びを得,また他の人々に生きる希望と目的と真の幸せをもたらすことになります。その人々は,真の宗教を見分けて実践するために,その分として豊かな祝福にあずかるでしょう。

[24ページの図版]

真のクリスチャンたちは戦争や紛争に関与せず,むしろ神の王国という彼らの共通の希望に基づいて世界的一致を保ってきた

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする