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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 7/15 6–7ページ

山上の垂訓 ― 長引く怒りは死を招く

イエスは,ご自分が神の律法を破棄するためではなく成就するために来たと言われた後,憤りをいだき続けることを殺人と結び付けられました。イエスは次のように述べて話を始められました。「古代の人びとに対して,『あなたは殺人をしてはならない。しかし,だれでも殺人を犯す者は法廷で言い開きをすることになるであろう』と言われたことをあなたがたは聞きました」― マタイ 5:21。

「と言われたことをあなたがたは聞きました」という句は,霊感によるヘブライ語聖書の中に述べられている事柄にも,ユダヤ教の伝統の教えにも当てはまるようです。(マタイ 5:21,27,33,38,43。ヨハネ 12:34)殺人を死刑に値する罪として述べていた律法は,確かに,「古代の人々」つまりイエスの時代以前の世代の人々に知られていました。事実,そうした律法の起源はノアの時代にまでさかのぼります。―創世 9:5,6。出エジプト 20:13; 21:12。レビ 24:17。

「法廷で言い開きをすること」になるとは,パレスチナ全土にあった「地方法廷」(ギリシャ語スネドリア,「小規模のサンヘドリン」)の一つで刑を宣告されることを意味していました。(マタイ 10:17。申命 16:18)ユダヤ教の伝統によれば,成人した男子が120人以上いる町々では,それらの法廷の裁判官の数は23人と定められています。a 殺人犯であることが判明すると,その人は死刑に処されました。しかし,イエスの時代にユダヤ人の法廷が死刑を宣告するには,ローマ当局からの許可を得なければなりませんでした。―ヨハネ 18:31。

イエスの指摘されたところによれば,神は,たとえ実際に殺人を犯さなくてもある者を死刑に値する者とみなされる場合があります。イエスは,神から直接遣わされた者として権威をもって語り,こう言われました。「しかし,わたしはあなたがたに言います。自分の兄弟に対して憤りをいだきつづける者はみな法廷で言い開きをすることになり(ます)」― マタイ 5:22イ。

イエスによれば,「自分の兄弟に対して憤りをいだきつづける者はみな」殺人罪を宣告された者と同様神の前では有罪とされます。それは,胸の中に怒りをうっ積させることが実際には自分の仲間を憎むことであり,「すべて自分の兄弟を憎む者は人殺し」だからです。(ヨハネ第一 3:15)人はある場合には正当に怒ったり憤ったりすることがあるかもしれませんが,自分の兄弟や仲間に対して憤りをいだき続けることは,両者にとって死を招くものとなり得ます。―マルコ 3:5。エフェソス 4:26。ヤコブ 1:19,20。

続けてイエスは,「言うまじき侮蔑のことばで自分の兄弟に呼びかける者はだれでも最高法廷で言い開きをすることにな(る)」と言われました。(マタイ 5:22ロ)「言うまじき侮蔑のことば」とは,「知恵のない」「まぬけ」「とんま」などの意味を持つ,ヘブライ語に由来するギリシャ語ラカを訳したものです。殺意のある憎しみや怒りを心の中ではぐくむだけでなく,侮蔑のことばによりそれを表わす人を神はどうご覧になるでしょうか。

イエスによれば,そうした人はユダヤの「最高法廷」により死刑を宣告された者と同じ程度の罪を負っていました。「最高法廷」とはエルサレムにあった主要なサンヘドリンのことで,それは『[神殿で祭司の職務を監督していた]祭司長たち,および年長者や書士たち』で構成されていました。(マルコ 15:1)71人の裁判官がいたと伝えられているこの立法機関は,非常に重大な,あるいは複雑な事件だけを扱い,下位の法廷からの上訴を審理しました。b

それからイエスはさらに一歩進んでこう言われました。「『卑しむべき愚か者よ!』と言う者はだれでも火の燃えるゲヘナに処せられることになるでしょう」。(マタイ 5:22ハ)「卑しむべき愚か者」と訳されているギリシャ語はモレです。同じような響きを持つヘブライ語(モレ)には,「反抗的な」「反逆的な」という意味があります。ラカという語が知的な意味での愚かさを暗示しているのに対して,モレは道徳的に価値のない,神に反逆した背教者を指します。ジョン・ライトフットは,自著「ヘブライ語およびタルムード礼拝」の中でその点を次のように指摘しています。「『ラカ』という語は確かに『ふきげんなこと,また態度や生き方の軽率さ』を表わすが,『愚か者』は,霊的かつとこしえの状態をひどく批評し,人を確実な破滅に定める」。

そのような仕方で自分の仲間を非難する人々は「火の燃えるゲヘナに処せられ(ます)」。イエスはここで,エルサレムの近くのヒンノムの谷(ヘブライ語ゲイ・ヒンノム)に言及しておられます。ヒンノムの谷とは,投げ込まれる廃物や死体を焼き尽くすためにいつも火が燃やされていたごみ捨て場のことです。リデルとスコットによるギリシャ語辞書によれば,その谷では「極悪人の死体が焼かれました」。もしゲヘナの火によってそれらの死体が焼き尽くされない場合には,そこで発生する虫やうじが後始末をしたことでしょう。―イザヤ 66:24。マルコ 9:47,48。

イエスはゲヘナを永遠の滅びの適切な象徴として用いました。自分の仲間を,ゲヘナに投げ込まれるにふさわしい「卑しむべき愚か者」と非難する人は,その人に永遠の滅びを願っていることになるため,神の見地からすれば,そうした非難の言葉を口にする者は,自分自身にその過酷な判決をもたらしていることになります。―申命 19:17-19と比べてください。

[脚注]

a ヨセフスの述べるところによると,地方法廷には七人の裁判官しかいなかったが,それぞれの裁判官には助手として二人のレビ人が付いていた。―「ユダヤ教の遺物」第4巻,第8章,第14項。

b 「新約聖書の神学辞典」はエルサレムの主要なサンヘドリンについて次のように述べている。「ブーレ[会議室]に集合した……機関の首位には大祭司がいた。大祭司はユダヤ人の指導者であり,大祭司だけがサンヘドリンにおいて主宰の任を果たすことができた。大祭司の周りには,アルキエレイス[祭司長たち],祭司の特権階級,一致団結したサドカイ派の人々がいた。その職務ゆえに,神殿にいた祭司長たちは,サンヘドリンにおける地位と発言権を有し,一致した党派を形成していた。長老たちは第二のグループであった。ゲルーシア[年長者たちの集まり]の全成員が元来長老と呼ばれていたことは真実である。しかしこの語はやがてより制限された意味を持つようになり,エルサレムの有力な一般家族の家長だけがプレスビュテロイ[長老]と呼ばれた。それらの貴族もまた例外なくサドカイ派の人々であった。パリサイ人は,アレクサンドラ女王の時代[西暦前76-67年]に高等議会に参加できるようになった。そのころからグラマテイス[書士]の権力と影響力がサンヘドリンにおいて着実に強くなっていった。ローマ時代にはアルキエレイス[祭司長]が依然第一の地位にあったが,実際には,その決定が,パリサイ派の書士の同意なしに受け入れられたり実施されたりすることはなかった」。

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