勝利の信仰はあなたにどんな影響を及ぼしますか
1978年から1979年にかけて,百を超えるエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会が世界各地で開かれました。1978年9月1日現在,170万人以上の人々がそうした大会に出席しており,この一連の大会はその後も開かれました。
これらの大会にはどんな目的がありますか。それが開催されているのは信仰を築くためです。単なる信念ではなく勝利の信仰です。それは,次のように書いたクリスチャンの使徒ヨハネの意味していた種類の信仰です。「わたしたちの信仰,これが世に対して勝利を収めた勝利です」― ヨハネ第一 5:5,「生きた英語の聖書」。
この勝利の信仰は幾十万もの人々の生活に影響を及ぼしてきました。それは,他の人々に影響を及ぼしたのと同様に,あなたにも影響を及ぼし得るのです。ヨーロッパ各地で開かれた「勝利の信仰」国際大会の幾つかの面を手短に考慮しながら,それがいかに真実かを観察してみましょう。
信仰は障害や辛苦を克服する
ある人々にとって,こうした大会に来ること自体,信仰を働かせ,障害を克服することが求められました。距離は確かに克服し難い問題ではありませんでした。フランスのリール市で開かれた大会に来るために,ポーランドの一人の年若い出席者は,自転車に乗って1,200㌔の道のりを六日間で走破しました。
デンマークのコペンハーゲン市での大会には,ポーランドから40人のエホバの証人が出席しました。シビノウイシチェからデンマークの首都へ向かう直行旅客船の航路が最近開通したので,その旅行は幾分容易になりました。とはいえ,そのための旅費は出席者各人の一か月分の給料に匹敵しました。出席者たちはその旅行の理由として,「デンマークでエホバの証人の大会に出席する」ことを挙げましたが,それでも旅行許可証は与えられました。しかし,彼らがポーランドを出るためには,外国からの招待と入国許可が必要でした。デンマークの兄弟たちはそれを提供しました。これらの出席者たちは,非常に大勢の仲間の信者と共に大規模な大会を満喫しただけでなく,ポーランド語で行なわれた二日半のプログラムからも益を受けました。そのプログラムには,録音とスライドによって上演された三つの聖書劇も含まれていました。英国,ギリシャ,スペイン,そしてユーゴスラビアからの出席者と共に,ポーランド人の兄弟たちは,コペンハーゲン大会に特別な国際色を添えていました。大会のプログラムのうち二日分はギリシャ語,スペイン語,そしてクロアチア語でも行なわれました。こうして,言語の障壁さえ克服されたのです。
11人の子供のいる一夫婦は,アゾレス諸島の他のエホバの証人と一緒に,ポルトガルのリスボン市で開かれる大会に出席したいと考えていました。しかし,どうしたらその費用をまかなうことができるでしょうか。年長の子供たち数人は,大会前の数か月間仕事をして資金を蓄えるのを手伝いました。航空券,食事,その他の費用は優に1,100㌦(約20万円)を超えました。それら貧しい島民にとってそれは一財産です。しかし,一家はエホバへの信仰を示すことによってそのような経済上の障害を克服し,一家13人そろってリスボン大会に出席していました。
また,幾つかの「勝利の信仰」国際大会には,ナチの強制収容所の生き残りの人々が来ていました。ベルギーのブリュッセル市での大会に出席した二人のエホバの証人は,いまだに自分のしま模様の囚人服を持っていました。彼らは,英語を話す人々のための集いの際に,出席者の益のためにその囚人服を着用してみせました。今ではクリスチャンの監督になっている一人の人は,1941年に父親が逮捕された時に五歳でした。そして,母親が逮捕されるときに,どれくらいしたら帰って来るのか母親に尋ねたことをいまだに覚えていました。彼は,その時,母親が用事で出掛けるだけだと思っていたのです。彼はそれから四年が過ぎるまで母親に会えませんでした。しかし,勝利の信仰はその辛苦や迫害すべてに打ち勝ったのです。
フィンランドのヘルシンキ市に集った大会出席者たちに,ある老夫婦は,西ベルリンからのあいさつを伝えました。二人はかつて共に全時間の王国宣明者だったことがあり,二人合わせて百年以上,その立場で奉仕しました。聴衆は,この元気のよい夫婦がその経験を語るのを聞いて,思わず息を凝らしたほどです。夫の方は,ヒトラーのドイツ第三帝国の統治中にベテル家族(ものみの塔協会の支部事務所の職員)の成員で,ゲシュタポに逮捕され,最後には他の600人の兄弟たちと一緒にザクセンハウゼン強制収容所に送られました。第二次世界大戦の終戦とともに釈放され,再びベテルで奉仕しました。彼の妻もやはり投獄されていました。結婚後,この夫婦は共に共産主義者の政治犯収容所に入れられました。この夫婦は,二人合わせて合計41年間を収容所で過ごしたのです。二人は,憂うつで意気消沈しているような印象を与えましたか。そのような様子はみじんもありません。その兄弟はこう語りました。「この貴重な特権に対して,私たちはエホバに感謝しています。そうです,この夫婦はクリスチャンとしての中立を保って苦しみに遭いましたが,その信仰は勝利を得ました。
確かに,勝利の信仰を抱く人々は,大きな障害を克服し,辛苦を忍び,迫害者に屈することがありません。しりごみすることなく,むしろ「信仰をいだいて魂を生き永らえさせる」のです。(ヘブライ 10:38,39)勝利の信仰は,あなたの生活にも同じ影響を及ぼし得るのです。
信仰には変革をもたらす力がある
しかし,信仰は個々の人の行状や振舞いに影響を及ぼすでしょうか。フランスの新聞,ル・ソワール紙は,マルセイユで開かれたエホバの証人のクリスチャン大会の静けさを,彼らの使用したスタジアムで普通に見られる無秩序と比較対照しました。同紙はこう述べています。「人々は温和で友好的であり,近づきやすい。……普通だと群衆には付きものの無規律は全く見られない。だれもが,この行事のために運び込まれたいすに静かに腰を下ろしている。芝生の上を歩いたり,踏み荒らしたりする人は一人もいない。この人たちは絶叫する狂信者ではなく,静かに話し合う人々である。彼らは自分たちの人生の目的,真理をエホバの証人に見いだしたのである」。
イタリアの新聞,パエサ・セラ紙は,ローマでの「勝利の信仰」国際大会について論評し,エホバの証人を,「振舞いにとがめるところのない」「行儀のよい民」と呼びました。また,大会会場について,ローマのイル・メサゲーロ紙はこう論評しました。「残念ながら我が国では紙くずやごみの散乱が大きな集まりの特徴となっているが,そのようなものは全く見られなかった」。これは,「礼儀正しさのしるしであり,一部効果的な収集奉仕にもよるが,出席している人々のりっぱな行儀作法によるものである」と言われています。
実際のところ,望ましい,または敬虔な行状に対する誉れは,いかなるものであれエホバ神に帰せられるべきです。真のクリスチャンになった人々を変革させたものは,神への信仰と実生活への聖書の言葉の適用です。(ローマ 12:2。コリント第一 6:9-11)フランスの新聞,ル・ドフィネ・リベレ紙は次のように述べています。「魔法の言葉と魔法の杖で人を変える“魔術師”という概念を振り払おう。エホバの証人は,深く根ざした確信という“質”を犠牲にしてまでも受け継がれた信仰によって納得しているような人々の“数”を増やすことに関心を抱いてはいない」。
では,どうしたら真の信仰を身に着けることができますか。同紙はこう続けています。「そのような信仰は聖書に照らして培われることを理解しなければならない。生まれつきのエホバの証人は一人もいない。エホバの証人の間で育ったにしろ,機あってエホバの証人を知るようになったにしろ,人は人生のある時期に,全き“霊的”自由をもって自分の立場を定めねばならない」。クリスチャンの使徒パウロはその点を次のように言い表わしています。「ですから,信仰は聞く事がらから生じるのです。一方,聞く事がらはキリストについてのことばによるのです」― ローマ 10:17。
そうです,勝利の信仰は「聞く事がら」から生じます。そして,変革をもたらす信仰の力は,神のみ言葉に堅く根ざしたものです。ヘルシンギン・サノマト紙は,ヘルシンキでの大会について報じた中で,次のように述べています。
「大規模な大会は,現在そして将来の家族という見地から,エホバの証人にとっては大切な行事である。エホバの証人は家族ぐるみでこの集まりにやって来て,若者たちは他の若者に出会う。結婚の相手もエホバの証人の一人でなければならない」。(申命 7:3,4。コリント第一 7:39)同紙はさらにこう述べています。「家庭生活の他の分野におけるエホバの証人の生活指針も単純明解である。内縁関係は知られておらず,婚前交渉は受け入れられてはいない。結婚は拘束力のあるものとされ,『淫行以外の理由で』離婚をすることは禁じられている。エホバの証人がそのような生き方をしているのは聖書がそう勧めているからにほかならない」。
家族全体が信仰から益を受けることは可能であり,実際に益を受けます。そして,観察者は,エホバの証人全体が神とそのみ言葉に対する信仰によって影響を受けている様を見ることができます。確かに,信仰は,個人としてのエホバの証人に影響を及ぼしています。
信仰は人種の障壁とは無縁のもの
各々の「勝利の信仰」国際大会の極めて重要な特色は,「わたしたちの信仰の宣言」です。その大胆で力強い確認の言葉によって,集まった幾千幾万もの人々は,エホバへの奉仕にあって前進する自らの決意を表明しました。そしてとりわけ,その宣言に組み込まれた次の言葉の真実さを立証しています。「わたしたちは信仰が全世界的な規模で生み出し得るもの,神の霊がいかに比類のない結果を生み出すかを見てきました。すなわち,全地にわたる『兄弟の交わり』です。(ペテロ第一 2:17)『あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知る』とキリスト・イエスは言われました。(ヨハネ 13:35)わたしたちは,地上にある唯一の真の国際的兄弟関係の一部であることを喜びとしています。それは,神とそのみ子,真理および正しい事柄,また互いに対する破れることのない愛で結ばれた兄弟関係です」。
これは実質のない単なる空虚な言葉ですか。決してそうではありません。あらゆる人種や国民の中から出て来た人々が,国家的な偏見や人種的偏見を乗り越えてきたのです。彼らは,切り断つことのできないクリスチャン愛のきずなで結ばれているのです。これは,勝利の信仰が人種の障壁と無縁であることの明確な証拠です。
今回の大会は,本当に国際色豊かな大会です。例えば,ドイツ連邦共和国のミュンヘンで開かれた大会には,ものみの塔ギレアデ聖書学校で訓練を受け,現在35の異なった国々で奉仕している宣教者たちが出席していました。そこでは,様々な言語でプログラムが行なわれ,英語のプログラムの話し手たちは,11か国から来ていました。
エホバの証人が国際的な兄弟関係を形造っていることは,外部の観察者たちの目に留まらずには済みませんでした。例えば,ウィーナ・モルゲン・クリール紙は,オーストリアのウィーン市での「勝利の信仰」国際大会について報じた中でこう述べています。「“エホバの証人”の社会層は様々ではあるが,専ら聖書に根ざした深い宗教心によって一つに結ばれている」。
デンマークのコペンハーゲン市での国際大会に出席した一人のエホバの証人は,エホバの証人の成し遂げている業に深い感銘を覚えている一社会事業家に会ったことについて語っています。この婦人はお年寄りを対象にした活動をしており,王国の音信がそれらのお年寄りに有益な影響を及ぼすのをたびたび目にしてきました。その社会事業家はこう語りました。「あなたがたの業には感心しています。……僧職者と交渉するときには,とてもがっかりさせられます。あなたがたは,世界で一つだけの兄弟関係を有しています。あなたがたの伝道する際の勇気には感心させられます。りっぱな業を続けてください」。
信仰は勇気を与える
エホバの証人はまさにそのことを行なっています。彼らは,『りっぱな業を続けている』のです。勝利の信仰は,生活の道としてキリスト教を追い求め,「良いたより」を大胆に宣明するための勇気を与えます。(マルコ 13:10)それについては,「勝利の信仰」国際大会で熱烈に採択された「わたしたちの信仰の宣言」の中で,次のように的確に言明されています。「わたしたちは,自分が見,聞き,また経験した事柄について話すのをやめません。やめることができないのです。(使徒 4:20)わたしたちは,エホバの勝利の王国に対する,自分の強固な信仰をくちびるで言い表わさずにはいられません。それで,この『良いたより』の祝福をすべての人と分かち合いたいと誠実に願っているのです。使徒パウロと同じように,『神と和解してください』というのがわたしたちの願いです。(コリント第二 5:20)エホバ神のこの王国の良いたよりを今からずっと,この事物の体制の終わりまで公に宣明し続けてゆくこと,これがわたしたちの決意です」。―マタイ 24:14; 28:19,20。
「あなたはこれに同意しますか」と尋ねられると,大会の出席者たちは,とどろくような声で,「はい!」と答えました。しかし,彼らはそれ以上のことをしています。自分たちの採択した言葉を実践しているのです。
実際,出席者たちは,大会三日目の午前中を専ら野外での熱心な証言活動に充てています。例えば,アイルランドのダブリン市で,この試みは「これまでに行なわれた最大の証言」になった,と伝えられています。伝えられるところによると,2,650人の大人が野外奉仕部門へ個々にやって来て,この特別な試みに用いる色あざやかな文書袋を求めました。ダブリン市のクリスチャンの一長老は,「オコーネル街を行き交う僧職者たちよりも大勢のエホバの証人がそこで伝道していることは,これが初めてです」と語っていました。ダブリンの大会で発表された出版物で,アイルランドでの王国伝道の業を進展させるに違いないとみられるのは,「平和のための人類の唯一の希望」と題するゲーリック語の小冊子です。
確かにそのような福音宣明の業は,勝利の信仰の表われです。しかし,それは,エホバの証人から王国の音信を伝えられている人々に本当に影響を及ぼしているでしょうか。フランスのパリで,この午前中の特別活動の際に,一人の30歳になる婦人はエホバの証人を迎え入れて,こう言いました。「あなたがたの訪問は神の摂理によるものです。私はむしょうにだれかに話をしたかったのです。これまでに,すでに三回も神経衰弱を経験し,自殺をしようとさえ考えました」。この婦人はそれから,訪問したエホバの証人に,自分が神にもっと近づく必要を感じていたことを打ち明けました。婦人は幾つかの東洋の宗教も研究してみましたが,精神の安らぎを見いだせませんでした。それで彼女は,聖書を研究したいとの願いを言い表わしました。友人と連れ立って公開講演へ行く取り決めが彼女のために設けられました。この婦人はエホバの証人の提供した文書を求め,自分の質問に対する聖書の答えを見いだして喜んでいました。
ポルトガルのリスボン市での,この信仰を強める業に参加した人の中には,同地を訪れていたエホバの証人の統治体の一成員とその妻がいました。当然のことでしょう,とあなたは思われるかもしれません。しかし,彼は最近起きた事故で肋骨を三本折っていたのです。それでも,仲間の信者たちと共にこの特別な野外奉仕に参加できたことをとても喜んでいました。
もう一つの国際大会の開かれた,イタリアのローマでは,大々的な証言がなされました。確かに,同市の市民の大半は休暇で出掛けていて町には人影も少なく,人々の注意は専ら教皇パウロ六世の死の方に向けられていました。イタリア中部に住む,クリスチャンの一長老はこう語りました。「ローマの街頭に立ったどのエホバの証人も,証言をする相手の人を捜し求めていました。私が一人の男の人に近づくと,その人は,『かんべんしてください。けさ私を呼び止めたエホバの証人はあなたで25人目です!』と言いました」。一人の婦人はこう語りました。「市場へ行ったらそこにいましたし,肉屋でも八百屋でも見かけました。そして,ここにもいます。エホバの証人はどこへ行ってもいるようですね」。一人の兄弟は,その朝,多くの僧職者が自分たちの受け取った文書を読んでいるのを見かけました。
日刊のイル・ジオルノ紙は,イタリアのミラノ市で大会出席者たちが行なった,この金曜日午前の野外奉仕活動に言及して,エホバの証人が,「家から家へドアをたたき」,それから「自分たちが信仰を抱く理由を説明」した,と論評しました。同紙はさらにこう述べています。「すべては非常に気持ちの良い方法で行なわれた。これらの忠実な者を節度のない妨害者とみなし,無礼な態度で断わる人がいても,感情を害することはない」。
しかし,勝利の信仰は,「良いたより」を宣明する際のある一時的な努力に対して勇気を与えるよりずっと多くのことを成し遂げます。それは,長年にわたる歳月を経ても,衰えることなく持続するものです。この点で,フィラデルフィア・インクアイアラー紙上に掲載された,イタリアのエホバの証人に関する報道は興味深いものです。イタリアのローマ発の特電の中で,同紙は一部次のように述べています。
「先週の週末,カトリック教徒が法王パウロ六世の墓参に長蛇の列を作っていた時,約6万5,000人のイタリア人は,彼らの神に敬意を示すべく,色とりどりの傘の下に,フラミニオサッカー競技場に集まっていた。
「しかしその神は,聖ペテロのバシリカ聖堂の下で岩屋の中に眠っている教皇によって象徴される神とは違う神である。世界で最もカトリック勢力の強いこの国で,エホバの証人は強力な足場を得,その足場も強固になりつつある。……
「第二次世界大戦中,イタリアに95人の信者しかいなかったエホバの証人は,今ではイタリアで二番目に大きな宗教団体だと言われている。確かに彼らの増え方はめざましい。……
「その数は,1972年の2万5,810人から,1977年の6万6,315人に増加した。現在では,7万1,796人の会員がいると言われている。……
「ほとんどが名目上カトリック教徒で構成されるイタリアの総人口5,400万人に比べると,その信者の数はまだ少ないが,エホバの証人はこの国で自分たちの存在を気付かせている。
「教会の当局者たちの話によると,現在までにイタリアのあらゆる家が,エホバの証人のだれかによって訪問されているという。各会員は福音宣明の務めを果たすことが求められる」。
多くの敵をものともせずに王国の音信を宣明するには努力と勇気が必要とされます。スペインのバルセロナで開かれた,エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会に言及して,ディアリオ・デ・バルセロナ紙は次のように述べています。「彼らの報道部門の長は,自分たちは『世のものではない』と語った。それは真実かもしれない。しかし,彼らは確かに世をよく知っており,それに対して自分たちの信念を表明する勇気を持っている」。そうです,それは,「神のことばを恐れなく語る勇気」を常に与えてきた,聖書に基づく信仰なのです。―フィリピ 1:14。
勝利の信仰は将来に希望を与える
エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会は,聖書の健全な助言を与えてきました。それらの助言は信仰を築き上げるものであり,その益は広範に及びます。勝利の信仰は将来に対する確かな希望を与えるからです。
これらの国際大会の際立った特色は聖書劇です。その上演を準備するに当たって,熱心なクリスチャンたちが良心的な努力を払ったにもかかわらず,予想外の問題に直面することもあります。例えば,コペンハーゲン大会では,野外の球技場で上演された四つの劇のうち,三つまでが強い雨の降りしきる中で行なわれました。しかし,薄手の東洋風の衣装を着けた出演者たちは,中東の暖かい太陽の下で演じるのと同じほどの熱意を抱いてそれぞれの役を演じました。それで彼らは,雨やどりしていた聴衆から,“とりわけ盛大な喝采を浴び”ました。
どうしてそれほどの努力が払われたのですか。その根本的な理由は,スペインのバルセロナ市のエル・ノティシエロ,ユニバーサル紙に載せられた次の言葉によく示されているようです。「人はこの人たちの価値を認めねばならない。出演者の中にプロ級の人は一人もいないからである。その出演者たちは自発的に演技を買って出た成員たちであり,こうして彼らは仲間の信者を助けているのである」。
しかし,これらの劇は見る人々に影響を及ぼしたでしょうか。確かに及ぼしました。そうした劇の一つは,「後ろを振り返っても,立ち止まってもなりません」と題し,ロトに関する聖書の物語を扱ったものでした。(創世記 19章)その劇の内容について考えた,経験のあるクリスチャンの一長老はこう注解しました。「物質主義が大いに人を欺くものであることは明らかです。私たちは,きのうまでぜいたく品であったものが今日では必需品になっている例をどれほど多く見ているか知れませんし,こうした時勢に遅れないようにするため人々が自ら重荷を負っているのを見ています。……実に時宜にかなった音信です!」
国際大会のプログラムは,とりわけ,結婚に関する聖書の健全な助言を与えています。それは個々の人に影響を及ぼしますか。確かに及ぼします。フランスのマルセイユで開かれた大会から帰った若い夫婦はこう語っています。「私たちはこの大会,とりわけ結婚に関する話と結婚問題を解決する方法を示す実際的な助言にどれほど感謝しているかしれません。この大会は,エホバがご自分のみ言葉の中で述べておられる事柄を思い起こさせ,一致を強化して問題の解決を図る上で私たちを助けるために必要なものでした。私たちは強められ,幸福感を抱いて大会から帰って来ました」。
神の言葉という確かな土台に根ざした勝利の信仰は,個々の人に影響を及ぼします。それは彼らに益を与えます。英国のシェフィールド市での国際大会でバプテスマを受けた,62歳の老婦人の場合はこの点を示す良い例と言えます。ジャーナリストであったこの婦人は,土地の教会の機関誌を執筆し,編集していました。しかし,20年前にこの婦人が卒中で倒れると,もはや教会は彼女に何の関心も示しませんでした。1977年に一クリスチャン婦人は,この体の不自由な人と聖書を研究するようになりました。次のように伝えています。「毎週,彼女は質問を書き出したノートを手にしていました。そして,すべての聖句を自分で捜しました。私たちは彼女に会うたびに,エホバの霊が活動しているのを本当に見ることができました。その進歩はすばらしいもので,研究を続けるに従って,彼女は節を読み,会話を進めてゆくまでになりました」。
その婦人の夫は,「妻の霊的な状態が向上するにつれて,身体面の健康も向上しました」と述べています。この婦人は,喫煙がエホバに喜ばれないことを知ると,喫煙の習慣をやめ,この大会でバプテスマを受けました。しかし,それは,信仰による感動的な征服でした。その婦人は車イスごと水の中に浸されねばならなかったからです。確かに,聖書の真理は,彼女に将来に対する確かな希望を与えました。バプテスマの際に,この婦人は,「ここに集まっている大勢の人々と共にいられるのは,本当に大きな喜びです」と声を上げました。人生に真の目的を持った今,この人はどのような見方を持っていますか。信仰によって希望を得た彼女はこう語っています。『私は,ただもうエホバの約束しておられる平和な将来について他の人々に語りたいだけです』。
エホバの証人は確信を抱いて将来に立ち向かいます。彼らは,障害や辛苦を克服する勝利の信仰を抱いているゆえにそうすることができます。それは,彼らの生活に変革をもたらす力のある信仰です。これらのクリスチャンは,自分たちが真に一致している唯一の世界的な兄弟関係にあるゆえに喜んでいます。その信仰は人種の障壁とは無縁のものです。それは,勇気を与える信仰です。その上,この勝利の信仰は,将来に対する希望を与えます。
聖書に堅く根ざした信仰は,あなたにも同様の影響を及ぼすものとなり得ます。そうです,あなたは勝利の信仰の益にあずかることができるのです。
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信仰は幸福な家族を築き上げる
[11ページの図版]
大会出席者は「良いたより」を分け与える
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ロトの家族に関する劇は重要な教訓を与える