若い人たち,世の圧力に抵抗しなさい
「あなたは周囲の世によって世自身の型にはめ込まれないようにしなさい」― ローマ 12:2,フィリップス訳。
1,2 (イ)わたしたちはどんな諭しを真剣に考えるべきですか。(ロ)この諭しを今考慮することが特に大切なのはなぜですか。
聖書は,命への狭い道から足をそらさせようとする悪魔の努力に抵抗することをしきりに勧めています。例えば使徒パウロは,「あなたは周囲の世によって世自身の型にはめ込まれないようにしなさい」と書きました。ローマ 12章2節にあるこの諭しを真剣に考えましょう。これはわたしたちを保護し導くために記録されています。上記の聖句は,J・B・フィリップス訳新約聖書からの引用ですが,他の聖書の訳を読むのも有益です。「あなたの周囲の世の行状に倣ってはなりません」。(エルサレム聖書)「この世のならわしを取り入れてはなりません」。(アメリカ訳)「自分をこの事物の体制に合わせてはなりません」― 新世界訳。
2 自分をこの事物の体制に合わせないように用心することは,かつてない急務となっています。それは最近 ― まだ生きている幾百万もの人々の生涯中に ― サタンとその使いたちが,キリストとそのみ使いたちにより天から追放されたからです。この処置について説明したあと聖書は,「地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである」と述べています。(啓示 12:9,12)わたしたちはちょうど今,この短い災いの時に生きているのです。ですから,怒りをいだくサタンは,世の行状に同調させるようわたしたちに圧力をかけることに全力を注いでいます。ではサタンはそれをどんな形で行なっているでしょうか。
不倫な性行為
3,4 昔,神のしもべたちに忠実の道をふみはずさせるのにどんな方法が功を奏しましたか。
3 もしある方法がうまくいくなら,サタンがその方法を利用しつづけるのは道理ではないでしょうか。ところで,み使いたちが天におけるそのあるべきところを離れる原因となったのは何だったでしょうか。それは性関係を求める間違った欲望でした。(創世 6:1-4。ユダ 6)またイスラエル人が40年近く荒野をさまよい,間もなくカナンの地に入ろうとしていた時に起こったことを考えてください。モアブ人は彼らを見たとき,『非常な恐れ』を感じました。イスラエル人が大変数が多いうえに,エホバの祝福が彼らの上にあったからです。(民数 22:1-3,新)そこでモアブ人は預言者バラムを雇って神にイスラエル人をのろわせようとしました。このたくらみは失敗しました。しかしバラムは,サタンの導きを受けたに違いありませんが,ついに一つの計画を思いつきそれに成功しました。それはどんな計画だったでしょうか。
4 バラムは,モアブとミデアンの女たちにイスラエル人を歓待させたのです。その女たちがイスラエル人を大変なごちそうとぶどう酒の出る宴会に招いたことは明らかです。イスラエル人はごちそうを食べ,すぐ頭にくるぶどう酒を飲んで,緊張をゆるめました。彼らの欲情をかきたてる目的で,きわどい踊りも利用されたことでしょう。彼らは警戒を解いてしまいました。そのために女たちは,イスラエル人が自分たちと性関係を持つように仕向けました。イスラエル人に偽りの神々を礼拝させることまでしました。それはどんな結果を招いたでしょうか。エホバの怒りはその民に向かって燃え,そのうちの2万4,000人が殺されました。このことを考えてみてください。その2万4,000人は,無人の荒野を何十年もさまよった末,これからカナン ― 約束の地 ― に入ろうとするところでした。しかし,不品行に誘い込まれたために,約束の成就にあずかることができませんでした。―民数 25:1-9,16-18; 31:16。
5 約束の地に入ろうとしていたイスラエル人と,今日のわたしたちの立場とにはどんな類似点が見られますか。それでわたしたちはサタンが何をたくらむことを予期できますか。
5 わたしたちが今日置かれている状況にもこれに似たところがあるでしょうか。確かにあります。(コリント第一 10:11)わたしたちは今,神が約束された新しい体制のまさに入口にあり,イスラエル人が約束の地に入ろうとしていたように,その新しい体制に入ろうとしています。過去の例から判断するなら,サタンが何をたくらむことが考えられますか。そうです,神の民を性の不道徳に陥れるように工作することです。そうすればエホバが彼らを,義の新秩序に入る資格のない者と判定されるからです。
6,7 世が正しい道徳規準を捨てつつあるどんな証拠がありますか。
6 サタンの世の不道徳は今日,クリスチャンの霊的健康にとって大きな脅威となっていると,あなたは思われませんか。この世が正しい規準を次々に投げ捨てて来たことを考えてご覧なさい。23歳の女性が15歳の少年と性関係をもった事件に判決を下すにあたって,ニュー・メキシコ州の一判事は,その行為が違法つまり法律に反するものでないことを示しました。「州議会は淫行を犯罪とすることを廃止した」,「同議会はこれを公序の問題とし,この行為が20世紀の慣習を犯すものでないことを認めた」と,同判事は書きました。この判決に同調して,ペンシルバニア州,イーストンのザ・エクスプレス紙は,「性革命は終わり,性が勝利を収めた。もはや性を,権威に逆らうためのおもな手段と考えているティーンエージャーはほとんどいない。多くのティーンエージャーにとって性行為は,日常生活のパターンの一部になってしまっているのである」と論評しました。
7 若いクリスチャンたちが毎日どれほど性の不道徳への危険にさらされるか,ある年配の人々には想像もつかないかもしれません。今日の若者の中には,10代の初めまたはそれ以前から性行為を始める者が驚くほど多く,性に関するいたずらが話題になることは少しも珍しくないのです。調査によると,アメリカでは,16歳になるまでに性行為にふけるようになった少女が,五人につき二人以上います。他のいくつかの国ではその数字はこれをさらに上回っています。タイム誌は,1万8,349名の女性を対象にしてレッドブック誌が行なった調査について,次のように伝えています。「25歳未満の女性の90%は婚前交渉があったと報告している。……ほとんどの女性 ― 89% ― が口腔交接を経験している」。
8,9 (イ)不道徳な行ないをさせようとする圧力はどれほど大きなものですか。(ロ)この圧力に屈しつつある証拠を示している人々が会衆内にいますか。
8 若い人々に不道徳な行ないをさせようとする圧力は非常に強いものがあります。ある22歳の処女は,「近ごろは,18歳になるまでに性体験をしないくらいなら尼になるほうがましだ,と考えられています。わたしの友だちはみな,高校のときから性行為を行なっています。わたしはみんなからさんざん冷やかされるので,自衛のために,自分が“いたずら”をした話をつくり上げたほどでした」と嘆かわしげに語りました。男子はおそらく不道徳を行なわせようとするもっと強い圧力を友だちから受けるでしょう。淫行にふけるのは一般に若い女性よりも若い男性のほうが多いからです。例えば,フランスのある雑誌によると,フランスでは15歳の少女のうち28%が処女でないのに対し,15歳の少年たちの場合は54%が性交渉を経験しています。
9 悲しいことに,若いクリスチャンたちの中にも,昔2万4,000人のイスラエル人が不道徳なモアブ人とミデアン人の誘惑の犠牲になったと同じように,性中心の世の圧力に屈した人が少なくないことを示す報告が寄せられています。確かにこれは,神のしもべたちを捕えるためにサタンが今なお用いているわななのです。自分の身を守って神の祝福を実際に得るには,どうすればよいでしょうか。
異性に対する振舞い
10 神は淫行をどのようにご覧になりますか。(コリント第一 5:1,9-13)
10 まずエホバの導きに対して敏感であり,神の言葉の戒めを人間から出たものと考えないことが大切です。淫行の者は神の王国の祝福を受け継ぐことができません。「淫行から逃れなさい」と聖書は命じています。「神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」。(コリント第一 6:9,18。ヘブライ 13:4)人間の作った立法府で,神のおきてを変え得るものは一つもありません。人間が許容し是認しようとも,それによって悪い行ないが神の目に正しいものになるわけではありません。未婚の人々が性交渉をもつのは間違いです。それはだれがなんと言い,また何を行なおうとも,重大な罪です。「新しい地」には不道徳な人が占める場はありません。(啓示 21:1-4,8)ではこのことは,異性に対するわたしたちの振る舞いに関連して何を意味するでしょうか。例えばデートについてはどうでしょうか。
11 (イ)エホバを崇拝しない人と結婚することについて,聖書にはどのように述べられていますか。(ロ)この助言が現代にもあてはまるのはなぜですか。
11 神は結婚に関しイスラエル人に次の律法をお与えになりました。「彼らと姻戚関係を結んではなりません。あなたの娘を彼の息子に与えてはならず,彼の娘をあなたの息子のためにめとってはなりません」。同様にクリスチャンは,「主にある者とだけ」,つまり自分と同じようにエホバを崇拝する仲間とだけ結婚しなさい,と助言されています。(申命 7:3,新。コリント第一 7:39)このような要求は人を拘束しすぎると思えるかもしれません。しかし本当にそうでしょうか。今日性の不道徳が世界にはびこっていることから考えれば,その要求は,神の民が堕落したカナン人の近くで,また古代コリントの,性におぼれた住民の間で住んでいた時と同じように,実際に適切で妥当な要求です。では,別の信仰の人と結婚しないようにと諭されているのであれば,そういう人たちとデートして外出するのは当を欠いてはいないでしょうか。
12 (イ)デートとは何ですか。(ロ)エホバを崇拝しない人とデートすることがひどく賢明さを欠いた行ないであるのはなぜですか。
12 デートとは何ですか。ウエブスター新国際辞典第三版では,「なんらかの社交活動を相互に楽しむための二人の異性間の約束」と定義されています。しかし,エホバの真の崇拝者たちは,エホバを崇拝しない人々と「社交活動を……相互に楽」しむことを求めてよいでしょうか。それをした2万4,000人のイスラエル人のことを思い出してください。それにデートの目的は普通,将来配偶者となる人をよりよく知ることにあります。したがって,エホバの崇拝者は別の信仰の人と結婚しないようにという聖書の助言を考えるとき,そういう人のデートの申し込みを受けることも,またそういう人にデートを申し込むことも,賢明とは言えないでしょう。では仲間のクリスチャンとのデートについてはどうでしょうか。
13,14 決まった人とデートすることは一般にどのように考えられていますか。にもかかわらずしばしばどんな結果が生じますか。
13 若いクリスチャンたちにデートをさせようとする圧力は強いものがあります。ギャラップの青少年調査によると,アメリカの10代の少女三人のうちひとりは,決まった男友達を持っていると言いました。しかし,そういうデートは賢明ですか。どんなことが起きますか。ひとりの少女はこのように説明しています。「好きな男の子と暗いいなか道を歩いたり,自分の居間のソファーに一緒に座ったりしていると,問題が起きます。……『今度は潔白でいよう』と自分に言い聞かせるのですけれど,キスしたり,抱き合ったりしていると,しだいに男の子に愛の営みをさせずにはいられなくなってしまうのです」。
14 これは例外的な,異常な反応でしょうか。そうではありません。ごく当然の反応です。別の若者が書いているとおりです。「二人の若者が何か月も何年も,朝昼晩と顔を合わせていれば,親密な間柄にならずにいられるわけがありません。手を握ることもキスも,しばらくするともの足りなくなり,自分たちは“愛し合っている”と考えるようになります。わたしは今18歳で生後一か月の子供がいます。……そうです,わたしたちは結婚しなければならなかったのです。ですからこの問題についてはよくわかっているつもりです」。証拠はこの若者の言葉が真実であることを示しているようです。1978年6月18日付のニューヨーク・タイムズ紙は,「増えるティーンエージャーの妊娠」という見出しで次のように報じました。「毎年,10代の少女約100万人,つまり15歳から19歳までの年齢の少女10人にひとりが妊娠する。そのうち実際に子供を生むのは約60万人で,子供の誕生は,その後の母親の生活を暗いものにしてしまう場合が多い」。それは確かに重大な,そして考えさせられる事実です。
15 (イ)若い人々のデートを弁護して,ある人々はどのように論じますか。(ロ)しかし,エホバを愛する人々が悪行に巻き込まれることがあり得ますか。どんな例がありますか。
15 それでも中には,デートを弁護して,『わたしたちはクリスチャンです。淫行が悪いことは知っていますから,そのようなまねはしません』と言う人がいるかもしれません。実際,そういうことをするつもりはないでしょう。しかし,心を引かれている人とふたりだけでいるなら,性的衝動によって間違った行為に引き込まれないとは言えません。ダビデ王のことを考えてご覧なさい。彼はエホバの著名なしもべで,『神ご自身の心にかなった』人でした。彼は神の律法を知っていました。人妻であるバテシバと性関係をもつことは間違いであることを知っていました。それなのに間違いを犯したのです。なぜでしょうか。それば性的誘惑にさらされる場所に身を置いたからです。―サムエル前 13:14,新。サムエル後 11:1-4。
16 (イ)若いクリスチャンたちにとって一番良いのはどんな交わりですか。(ロ)結婚するつもりでデートする人たちはどんなことに注意する必要がありますか。
16 ですから,デートとなれば確かに注意が必要です。若い人たちが一緒に交わりを楽しめるのは良いことです。しかし一番良いのは,デートをしてふたりだけで出かけるのではなく,グループの中で交わることです。親とか会衆内の他のおとなが時々ピクニックその他の健全な集いを計画するのもよいでしょう。しかし,そのような時にクリスチャンにとって大切なことは,自分の振る舞いがいつでも自分の崇拝する神の誉れとなるように注意することです。もし結婚するつもりで正式にデートしているなら,個人的な問題を話し合うふたりだけの時間がほしいという気持ちはわかります。しかし,淫行につながる恐れのあるキスや抱擁や愛ぶなどを避けるように注意しなければなりません。性行為に追い込まれやすい人目につかない場所は避ける方が賢明です。
ディスコ音楽とディスコテック
17 (イ)ディスコテックおよびディスコ音楽とは何ですか。(ロ)それはどれほど流行していますか。
17 最近,多くの若者はディスコ音楽を聞いたりそれに合わせて踊ったりすることを楽しむようになりました。ではディスコテックに行くことについてはどうでしょうか。ディスコ音楽は非常な人気を集めており,ディスコテックは人々が好んで出かける娯楽場となっています。ディスコテック ― 略してディスコ ― とは,レコード音楽をかけて踊らせるところですが,ダンス・バンドが生演奏をすることもあります。今日のディスコ音楽は,独特のビートを繰り返す,モダン・ダンシングのためのものです。狭いダンス・フロアの小さなサパー・クラブから,ぜいたくな装飾の施された広いダンス・ホールに至るまで,様々なタイプの場所がディスコと呼ばれています。ニューヨーク市内だけでも1,500以上のディスコがあると言われています。「これらの店は,音楽と刺激の強すぎる雰囲気とが共通しているために,他の点では異なっていても,同じ部類に入れられる」と,エスクワイア誌は説明しています。
18 ディスコについてどんな質問が生じましたか。なぜですか。
18 クリスチャンがそうした場所に娯楽を求めるのはふさわしいことですか。これは多くの人から受けた質問です。例えば16歳の少女から手紙が来ています。この少女は,お姉さんがディスコに行くようになって変わってきたことを嘆いています。「私はいま,姉が永遠の命を得そこないそうな気がしてならないので,これはとても大切なことなのです。……兄弟たちにお願いしたいことは,そういうところで受ける影響やそのような場所に行くことの危険を説明した記事を出していただきたいということです。多くの人の助けになると思います」。
19-21 (イ)ディスコテックとはどんなところですか。(ロ)クリスチャンにはそういう場所を避けねばならないどんな理由がありますか。(コリント第一 15:33。ヨハネ 17:16)
19 では考えてみましょう。ほとんどのディスコの特徴であるこの『共通している強すぎる刺激』とは何でしょうか。ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙は次のように見ています。「官能を刺激する思わせぶりな装飾,原始的なビートのきいた音楽,人々の服装と踊り方 ― ディスコテックと関係のあるものはすべてが性的である。ディスコの踊りは,体を前後に突き出したり,回したり,しなやかにくねらせたりする動作を自由にミックスしたものである。……ディスコテックでは,性を刺激するような上音と低音をただ強くし,誇張し,大きくして演奏しているだけのことである」と評しました。またエスクワイア誌は,「ライト,サウンド,動き,麻薬,見せ物,幻覚」などの氾濫を指摘し,「あらゆるものを取り入れ得る限り取り入れ,それを他のあらゆる極端と組み合わせて,最終的に人間の感覚中枢をめちゃくちゃに刺激するものを作り出すのである」と述べています。
20 もしある店が性を強調し,そこの常連が全体的に神の優れた健全な道徳規準に少しも関心を持たない人々であるなら,そこは明らかにクリスチャンにふさわしい場所ではありません。その場所が“ディスコ”として知られていようと,別の名前で知られていようと同じことです。サタンの世はわたしたちをその型にはめ込もうとしてあらゆる手を使っていることを忘れないようにしましょう。ですから,わたしたちをわなにかけるための偽えさとしてサタンは誘惑的な娯楽を利用するものと見なければならないのです。イスラエル人が誘い込まれたものは,最初のうちは無害な娯楽を一緒に楽しむことのように見えたかもしれませんが,それでも2万4,000人が約束の地で生活する機会を失ったことを思い出してください。わたしたちはそのようになりたくないと思いませんか。そうであれば世の圧力に抵抗しなければなりません。自分をこの事物の体制に合わせないように戦う必要があります。欺かれてはなりません。道徳上の問題 ― 排斥することが必要になる問題であることもある ― を起こす人は,多くの場合,ディスコまたは他のいかがわしい娯楽場に出入りしていた人です。
21 ディスコというディスコが性的刺激を「強くし,誇張し,大きくしている」わけでないことは事実です。例えばあるレストランは“ディスコ”として宣伝されているかもしれませんが,音楽や踊りはほかの店に比べて極端ではないかもしれません。そしてそういう“極端でない”店にも行くべきではないと他の人々に言うことはエホバの証人の統治体や地元の長老たちのあずかるところではないでしょう。しかし,非常な注意が必要であることは確かです。ディスコが道徳的慎みをすべてかなぐり捨てたという評判は事実なのです。ディスコ音楽もそれに含まれます。その傾向を指摘して,歌手兼作詩作曲家のジョニー・ブリストルは,「今日,音楽が働きかける対象は性である」と言いました。まだかなりよい映画がいくらかあるように,ディスコ音楽の中にも,道徳的な堕落を招く恐れのないものもいくらかあることでしょう。しかしその傾向のあることは間違いのないところです。世が提供する娯楽は質が低下しており,淫行は必ずしも悪いことではないという見方をそれとなく持たせるように仕組まれているのです。しかし,淫行は悪いことです。そして神は「淫行の者」に不利な『裁き』を下されるのです。―ヘブライ 13:4。
22,23 自分はディスコテックに行っても霊的に害を受けないと考えても,円熟したクリスチャンはなぜそういう場所を避けるべきですか。
22 以上述べて来たことは,子供であれおとなであれ,あなたから楽しみを奪うのが目的であるなどと思わないでください。そのような考えは毛頭ありません。わたしたちはあなたが幸福であることを望んでおり,健全な生活を存分に ― 永遠に楽しまれることを願っています。しかしサタンは,遠い昔の時と同じように,エホバの不興をもたらす活動にあなたを誘惑するもの,つまり娯楽をもっています。その落とし穴に落ちないようにし,また他の人たちがそれに落ち込まないように助けてください。たとえ自分はあるディスコに行っても道徳的な害は受けないと考えようと,あなたがそこへ行くことが他のクリスチャンたちに影響を及ぼす可能性のあることを考えてください。あなたが行くのを見たために,潜在する危険への警戒を解き,悪行に巻き込まれるクリスチャンがいるかもしれません。使徒パウロは,それ自体は必ずしも悪くはない事柄でも,クリスチャンの兄弟たちの霊的健康を保護するためなら進んで断念する心構えをもっていました。「食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら,わたしは二度と肉を食べません。わたしの兄弟をつまずかせないためです」とさえ言いました。もしパウロが現在わたしたちと一緒にいるとしたら,彼がディスコに行ってくつろいでいるところなどを想像できますか。―コリント第一 8:13。
23 ではわたしたちは一つに結合したクリスチャン団体として共に励み,エホバの恵みと義の新秩序における命をひとり残らず享受できるように,世の圧力に抵抗しましょう。
[25ページの図版]
良い仲間は常に身を慎む助けになり,神の誉れとなる