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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
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読者からの質問

● ヤコブ書 1章12節に述べられている「命の冠」とは何のことですか。そしてこの冠を得るのはだれであると言えますか。

ヤコブ書 1章12節にはこう書かれています。「試練に耐えてゆく人は幸いです。なぜなら,その人は是認されるとき,エホバがご自分を愛しつづける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受けるからです」。

「命の冠」という表現は,キリストの足跡に従う油そそがれた追随者たちが第一の復活の際に受けるような最高形態の命,不滅の命を意味すると説明されてきました。(コリント第一 15:53,54。啓示 20:4,6)このような命がそれを所有する人々にとっては冠であり,命の最高の形態であることは疑いありません。しかし,ヤコブは「冠」という言葉を用いてそのような命の最高形態のことを言おうとしていたのでしょうか。

「命の冠」という表現に最高のものという概念を付与する必要はないように思われます。そのギリシャ語はステファノスです。この語は「取り囲む」を意味する語根から派生しているため,王冠,花輪,競走の勝者が獲得する賞つまり報酬を指すものとして用いられています。したがって使徒パウロはテモテ第二 4章7,8節で,「わたしは…走路を最後まで走り…ました。今からのち,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです」と書いています。パウロが述べていたのは最高の義ではなく,将来得ることになっていた賞,義の報いでした。(フィリピ 4:1,テサロニケ第一 2:19,20と比較してください)ですからヤコブ 1章12節の「命の冠」も,患難を耐えたことによって得る賞,命の賜物のことです。患難を生き残る「大群衆」に関しては,忠実に忍耐するなら「命の冠」つまり彼らの場合に地上での永遠の命を得ると言うことができます。―啓示 7:9,10。

啓示 2章10節にも命の賞のことを述べている類似の表現があります。それを得るのは死に至るまで忠実に耐え忍んだ人々です。しかしこの箇所で話しかけられているのは,天で不滅の命を得ることのできる油そそがれたクリスチャンたちです。(啓示 2:26,27)ヤコブ 1章12節の言葉は,啓示 2章10節とは違って,特別な人々の級に言及するものではなく,一般的原則を述べていると言えるかもしれません。

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