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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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神の保証と調和した生活を送る

来たるべき裁きに関する神の保証に確固とした信仰を抱いているなら,その信仰を実証する業が見られるはずです。聖書は,「霊のない体が死んだものであるように,業のない信仰も死んだものなのです」と述べています。―ヤコブ 2:26。

もし,イエス・キリストに全く偏りのない裁きを期待するのであれば,当然のこととしてわたしたち自身えこひいきを避けなければなりません。これは,すべての人にしかるべき敬意を配すること,つまり低い立場にあるとか能力が限られているとかいう理由で他の人々を見下したり,富んでいるとか著名であるというだけの理由である人々を特別に優先してはならないことを意味しています。また,自分を過度に重視する態度も避けたいものです。他の人が犯していると思われる倫理上の悪行を苦々しく思いながら,その一方で利己的にも絶えず自分の益だけを追い求めるとはなんと矛盾したことでしょう。

イエス・キリストを通してなされる神の裁きは,自分以外の人々だけを対象にしているわけではなく,わたしたちの身にも及ぶという事実をいつも念頭に置いておくのはよいことです。聖書は,「おのおのの業にしたがって公平に裁かれる父を呼び求めているのであれば,外人居留者として過ごす間,恐れの気持ちをいだいて生活しなさい」と告げています。(ペテロ第一 1:17)創造者と,その任命された裁き人に対して,健全な恐れつまり敬意を抱いているなら,他の人が何をしているか,あるいは何をしていないかといった点に目を向けることはないでしょう。むしろ,自分の生活態度に注意を払います。すべての物事は,イエス・キリストを通してエホバ神によってのみ正されるということを認識していれば,不正に過度に悩まされたり,怒りに燃えて自分の手で事態をただそうとしたりすることはないでしょう。聖書はわたしたちにこう告げています。「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」― ローマ 12:19。

同時に,もし,来たるべき裁きに関する神の保証と調和した生活を送ることの重要性を認識するよう他の人を援助できるなら,わたしたちは必ずやそうしたいと思うことでしょう。わたしたちに対して不正な態度を執る人々に親切に接することによっても,それを行なえます。聖書はこう勧めています。「『あなたの敵が飢えているなら,食べさせなさい。渇いているなら,飲む物を与えなさい。そうすれば,燃える石炭を彼の頭に積み上げることになるのである』。悪に征服されてはなりません。むしろ,善をもって悪を征服してゆきなさい」。(ローマ 12:20,21)親切に応じるなら,不正を働いた人は恥じ入り,自分の行動を後悔することになるでしょう。このように,親切に接することが,相手のより良い特質を引き出す,精練効果を発揮することもあるのです。

もちろん,神の保証と調和した生活を送る必要を他の人に自覚させるには,わたしたちが模範的な行状を示すだけでは不十分です。神のご意志と目的を人々に知らせることが必要です。使徒パウロは,アテネの人々に向かって,「[神は]どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます」と語りました。(使徒 17:30)神の公正が行なわれる日はまだ到来していませんから,この音信は依然,遠く広く宣明される必要があります。当然のこととして,この音信の宣明者は,イエス・キリストをエホバの任命された裁き人として受け入れた人であるはずです。神の保証に真実の信仰を抱いている人々はそれについて話さずにはいられません。「心に満ちあふれているものの中から口は語る」からです。―マタイ 12:34。

悔い改めるようにとの招待に答え応じる時間は限られています。自分が明日どうなるかはだれにも分かりません。明日では遅すぎるかもしれないのです。(箴 27:1。ヤコブ 4:13,14)悔い改めるようにとの神の招待に機敏に答え応じ,神の公正が必ず行なわれるという信仰を生活に反映させる人が真に賢明な人であると言えるのはそのためです。

今日でも,そのような生き方は実りの多いものと言えます。それは神と人とに対する清い良心を得るのに役立ち,その結果として内なる平和と満足を味わえます。利他的な態度で他の人と接するなら,与えることからもたらされるより大きな幸福を享受できます。(使徒 20:35)わたしたちの前途には輝かしい将来が横たわっています。偏ることなく公正な裁きが行なわれるのを見るだけでなく,人類が幾千年にもわたって味わわされてきたすべての苦悩が過去のものとなるのです。聖書は心をときめかすそうした約束を次のように言い表わしています。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:4。

神の保証と調和した生活を送ることには確かに十分の理由があります。創造者の壮大な目的と,創造者があなたに何を行なうよう勧めておられるかについてさらに学びたいと思われるなら,お近くのエホバの証人は,自分たちが聖書から学んだ知識を喜んでお分かちいたします。エホバの証人の勧める無償の家庭聖書研究をお始めになってはいかがですか。

[7ページの図版]

聖書の知識を得てそれを適用することが肝要

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