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  • 「二人は一人に勝る」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 6/15 11–13ページ

「二人は一人に勝る」

わたしたちが幸福であるためには,自分が感謝され,必要とされている,つまり愛されていると感じなければなりません。そして,人から愛されるには,わたしたち自身が愛を示す必要があります。自分の活動に他の人を含めることにやぶさかであってはなりません。賢い王ソロモンは次のように述べています。「二人は一人に勝る。なぜなら,彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである」― 伝道 4:9,新。

その報いとは何でしょうか。ソロモンはこう続けています。「もしそのうちの一人が倒れることがあれば,他方の者がその仲間を起き上がらせることができる……。しかしたった一人の者が倒れ,これを起き上がらせる他の者がいない場合はどうであろうか。さらに,二人の者が共に身を横たえるなら,彼らは確かに暖まることにもなる。しかしただ一人では,どうして暖かくしていられるだろうか。そしてだれかが独りだけの者を打ち負かすことができたとしても,二人一緒であればその者に立ち向かうことができる」。(伝道 4:10-12,新)このように,良い友と一緒に働くなら,援助や励ましや保護という報いが得られるのです。さらに,友だちと仕事をすると仕事が楽になったり,時間があっという間にたつように思えたりするのではないでしょうか。いやな仕事をする時でも,骨が折れるという気持ちをいつの間にか忘れてしまいます。

信頼できる仲間がいるとありがたいのは,一般的な仕事の場合だけではありません。「良いたより」を宣べ伝えるという大切な業の場合にも,「二人は一人に勝る」と言えます。その証拠に,イエス・キリストは,「神の王国はあなたがたの近くに来ました」と宣明する使命を与えて七十人を派遣する際に,「ふたりずつお遣わしになり」ました。その良い取決めにより,弟子たちは築き上げられ,互いに助け合えました。―ルカ 10:1,5-9。

「良いたより」を宣べ伝えるとき

友と一緒に働くのがイエスの弟子たちにとって有益であることは,イエスが復活して天に昇られたのちに再三示されました。サマリアで大勢の人がフィリポの伝道に答え応じたことを知ると,信仰を持つサマリア人に「聖霊」が与えられるように,使徒たちはペテロとヨハネを派遣しています。(使徒 8:14,15)またバルナバは,アンティオキアの会衆を援助するためにエルサレムから一人で派遣されましたが,そこで「良いたより」を広めるには自分を助けてくれる友が必要なことをすぐに悟り,タルソスに出かけて行ってサウロ(パウロ)を捜し出しました。その後,二人はアンティオキアで弟子を作り,教える業に共に励みました。二人の一致協力した努力は豊かに祝福され,増加がもたらされました。(使徒 11:22-26)それからパウロとバルナバはキプロス島と小アジアで「良いたより」の宣明にあずかるよう聖霊により指示されました。―使徒 13:2。

注目できるのは,バルナバが,自分の助けになってくれそうな友を見つけるのに相当の努力を払ったということです。陸路を使ったとすれば,バルナバは200㌔余りの旅をしてタルソスへ行き,そこでサウロを懸命に捜したことになります。近所の人々に伝道する際の友を探しておられる方は,一緒に働く仲間の必要性をバルナバのように切実に感じておられるでしょうか。交わっている会衆の中のどの人と一緒に宣べ伝える業を行ないたいと思われますか。あなたの方からその人に,あるいはその人々に尋ねたことがおありですか。

期待し過ぎない

言うまでもなく,奉仕の友に多くを期待すべきではありませんし,思い通りに事が運ばないからと言ってあきらめるべきでもありません。パウロとバルナバは福音宣明者として何年か一緒に働きましたが,ずっと組になって奉仕したわけではありませんでした。二人が多くの新しい会衆の設立に貢献したのち,パウロはそれらの会衆を再び訪問しようと言いました。バルナバもそのことには同意しましたが,いとこのマルコも一緒に連れて行きたいとの意向を示しました。しかし,パウロはそれを聞き入れようとしませんでした。第一回目の宣教旅行の時,マルコが最後まで二人に同行しなかったからです。その結果,バルナバはマルコを連れてキプロスへ行くことに決め,一方パウロはシラスを友として選んでシリアとキリキアを通って旅行し,「諸会衆を強め」ました。―使徒 15:36-41。

聖書が使徒たちの活動で明らかにしている通り,この変化は「良いたより」の宣明の妨げとはなりませんでした。同様に,しばらくの間一緒に証言活動をしていた人を失っても,がっかりしてはなりません。だれかと一緒に奉仕しようという気持ちがあなたにあるなら,会衆内の他の人がその代わりを務めてくれるでしょう。他の信仰の仲間と一緒に戸別の伝道をすると驚くほど精神が高揚するものです。もちろん,そうだからといって,いつもだれかと連れ立っていなければならないというわけではありません。奉仕の友の近くで奉仕しながら単独で証言すれば,多くを成し遂げることができます。

聖書中の手本に学べる

聖書に載っている,「良いたより」を促進するため他の人々と共に忠実に奮闘した人々の手本を考えると,今日わたしたちが『自分たちの勤労に対する良い報い』を理解するのに役立ちます。バルナバは温かく,同情心にあふれた人でした。だからこそ,使徒たちは彼に“慰めの子”という意味のバルナバという異名を与えたのです。(使徒 4:36)バルナバには優れた特質がありましたが,いろいろな記述を読むとパウロには勝った賜物があったことが分かります。「良いたより」を伝えるという点では,明らかにパウロが「先に立って話して」いました。(使徒 14:12)しかし,そのためにねたみや競争心が生じたことを暗示するものは全くありません。ですから,他の人々と一緒に楽しく奉仕したいと考えているなら,エホバがご自分の業を行なうために会衆の成員すべてを用いておられることを認識する必要があります。(コリント第一 3:9)わたしたちはお互いに相手から学べますし,励ましたり築き上げたりし合えます。使徒パウロはその点を認めていました。それで,ローマの人々にこう書き送ることができました。「わたしはあなたがたに会うことを切望しているのであり,それは,あなたがたが確固とした者となるよう,霊的な賜物を少しでも分け与えるためです。いえ,むしろそれは,あなたがたの間で,おのおの互いの,つまりあなたがたとわたしの信仰によって,相互に励まし合うためなのです」― ローマ 1:11,12。

信仰の仲間の能力や優れた特質を本当に認めるなら,自分自身の賜物をさらに活用したいという気持ちになります。例えば,証言活動で会う人に対して自分は親しみ深く親切であると思っている人がいるとします。ところが,思いやりの深いおじいさんかおばあさんと一緒に奉仕してみて,自分の親しみ深さは上辺だけのものだということに気づくかもしれません。聖書を注意深く研究しており,口からよどみなく言葉の出て来る人と一緒に行けば,もっとよく考えてから言葉を出す必要があることに気づくでしょう。互いに手本を示し合えるので有益であるということに加えて,奉仕の友と一緒に働くと,相手を一人にさせたくないため比較的長い時間証言活動をすることになる場合が少なくありません。

エホバ神と主イエス・キリストは,地上で最も重要な業を成し遂げるのに普通の人を用いることに満足してこられました。それは,他の人々がみ子の忠節な弟子として至高者の忠節な僕となり,その立場に忠実にとどまるように助ける業です。(マタイ 28:19,20。コリント第一 1:26,27)それは神の業なので,エホバ神がどんな方法で人々の心を開かれるかは分かりません。口から出る言葉だけでなく,特に大切なのは音信を伝える際に示す精神です。二人の人が一緒に働く場合,二人は共にその精神に寄与します。何か月か,あるいは何年かたつと,人がわたしたちの語る事柄に耳を傾けたのは神の言葉を流ちょうに伝えたからではなかったことが分かるでしょう。それよりも,「良いたより」の宣明に参加してまだごく日の浅い奉仕の友の輝くようなほほえみが耳を傾けるように人を動かしたのかもしれないのです。

あなたは,奉仕の友と一緒に証言の業を行なって得られる祝福を現在経験しておられますか。友と一緒に奉仕を行なうと「良いたより」を広めることに一層多くの時間をささげられ,それがさらに楽しくなってくると感じたことがありますか。他方,証言の業を独りで行なうことの多い人は,福音宣明者のフィリポのことを思い出すとよいでしょう。エルサレムで迫害が起きたために,フィリポはサマリアに逃れ,信仰を持っていたサマリア人にバプテスマを施しました。のちに,エホバの使いはエチオピアの宦官を改宗させバプテスマを受けさせるためにフィリポを遣わしました。そのあと,『エホバの霊がフィリポを急いで連れ去り,……フィリポはアシュドドに来ていました。そして,その地域一帯をまわり,カエサレアに着くまで,すべての都市に良いたよりを宣明していきました』。(使徒 8:1-40)今日でも同様に,神の霊の援助を受けながら一人で奉仕する勇敢なエホバの証人によって王国の証言が開始された区域は少なくありません。

[12ページの図版]

イエスの時代におけると同様,他の人と連れ立って「良いたより」を宣べ伝えるなら強められる

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