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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
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どんな体制があなたの家族を治めていますか

家庭を管理することと国を治めることの間には大きな隔たりがあるように思えるでしょう。国家は家庭よりもはるかに複雑に見えます。しかし,注意深く観察してみると,両者の間には数多くの類似点のあることが分かります。元をたどれば,国民というものはそもそも家族から発達したものです。(創世 10:5)今日よく知られている政体の多くに対応する面が現代の家族にも見られます。こうした類似性の幾つかを調べることによって益が得られます。

西欧諸国の大半は,民主主義すなわち人民による人民の支配を標ぼうしています。こうした支配の下では,個人の自由が大いに強調されています。表現の自由や望むものを何でも得る自由を求めて抗議デモやストに訴え,他の人々の生活を乱す人がいます。これと非常に類似した状況の見られる家族があります。家族の各自は“自分のことだけを気にかけ”,少しでも自分がないがしろにされているように感じると声を上げて抗議します。

よくある話だと思われますか。そうであれば,それが幸福をもたらすものでも家族の絆を強めるものでもないことに気付いておられるでしょう。一方,家族全体の福祉を考え,それに沿って行動することは,個人の幸福に大きく寄与します。

民主主義国家の政府の中には連立政権の形を取っている国が少なくありません。第一党が絶対多数を占めていないため,少数党との提携すなわち“政略結婚”を取り決める必要があると考えられているのです。こうして連立政権に加わった少数党は事実上の拒否権を手に入れます。その政党の賛同が得られなければ,法案は可決されません。反対票を投ずることにより,政権を担当している政党をその座から引きずり降ろす力を有しています。

これと同じような結婚生活を送っている人たちがいます。最大の発言権は夫にありますが,妻は自分の気に入らない事があると,その立場を利用して拒否権を行使します。夫が家族のあまり好まない事柄を提案すると,妻と子供が手を組んでそれに反対することがあります。これは,一つの組織である家族を弱め,夫が『事態を成り行きまかせにする』ことになりかねません。そのようになると,妻は,子供のしつけなど,幾つかの責任を夫が果たしてくれないことに気付くかもしれません。しかし,こうした事態をもたらした大きな責めが自分にあることには気付かないのです。クリスチャンの妻は,夫の権威を弱めるような行動を取るのではなく,むしろ進んで夫に服します。夫の方も,妻を愛しつづけなければならず,妻に対して怒るようなことがあってはなりません。(コロサイ 3:18,19)その結果生まれる安定した状態は家族全員を益するものとなります。

一方,妻は,屋根の修繕,家の塗装,自動車の修理,芝刈りなど,夫の行なうべき仕事を一々指摘して,野党のような立場に立ってしまうことがよくあります。妻はむろん,そうした事柄を指摘することが自分に求められてはいないことを知っています。妻がいつまでもそのような態度を取って夫の欠点や失敗をすべてあげつらうなら,自分は家族から少しも信頼されていないという思いを夫に抱かせることになるでしょう。しかし,結婚というものは非常にデリケートなもので,そのように接すべき関係ではありません。家族内の各自は,互いに信頼していることをその言動で示すべきです。ほかに行なえる建設的な事柄が数多くあるのですから,互いのささいな欠点を暴きたてるのは不必要なことであり,愛に欠ける行為です。あら捜しをするなら,本当に自分の力で処置を講じることのできる人,つまり自分自身の欠点を捜すことです。―箴 14:1。

では,夫の手に絶対的な権威がゆだねられており,夫は自分の望むままに何でも行なえると結論すべきでしょうか。いいえ,聖書はそのようなことを教えていません。確かに聖書は夫が家族の頭であると告げています。(エフェソス 5:22,23)それは今日のある支配者たちが試みている,独裁的仁政のようなものでしょうか。そうではありません。夫には限られた権威しか与えられていないのです。クリスチャンの夫は,政府や自治体,会衆の長老たち,そして何よりも重要なことに神とキリストに服しています。(コリント第一 11:3。テトス 3:1。ヘブライ 13:17)さらに,クリスチャンの夫や父親には,愛のうちにその頭の権を行使するようにという聖書の要求が課されています。―エフェソス 5:25-30,33; 6:4。

現代の社会では,服従という言葉に不快感を抱く女性が少なくありません。しかし,平衡の取れた見方を持つなら,そうした考えを変えることができます。権威をゆだねられている人はより大きな責任を負っており,従う人より,必然的に多くの問題を抱えることになります。子供は親に服していますが,だからと言って子供は別段苦労するわけではありません。しかし親は,子供に衣食を備え,教育を受けさせなければなりません。ですから,子供の服従は,実質的に子供の自由を増し加えることになります。権威を持つ人には多くの要求が課されています。母親は子供に対して権威を持っていますが,赤ん坊が病気になったり絶え間なく泣いたりする時に赤ん坊の必要や求めを満たす務めが課されているのは母親です。夫は家族の頭です。しかしその夫は,自分が不断の努力の求められる様々な状況下に置かれることや種々の責務を負っていることを知っています。当然のことながら夫は,妻子に対する務めを行なうなら自分の権威が損なわれるなどと考えるべきではありません。強い者は弱い者を助けるべきです。―ローマ 15:1,2。

家庭,国家,世界のいずれを問わず,人間を統治する最良の取決めは神権統治すなわち神の支配です。神の王国がその全権を世界中に及ぼすようになるまで,クリスチャンは,いかなる形態の政府であれ,自分の住んでいる地域を治める政府に相対的に服従する立場にあります。クリスチャンは,改革運動を行なったり政府の転覆を図ったりするようなことはせずに,服します。(ローマ 13:1,2)同様に,家族の頭が聖書的な秩序に従って事を行なわない家庭にあっても,分裂を引き起こすようなことをすべきではありません。クリスチャンの妻や子供は,神の律法に違反しないすべての事柄において,夫に服します。(使徒 5:29。ペテロ第一 3:1)辛抱強い謙遜さや相対的な服従は神のご意志にかなうものであり,神によって定められた自分の立場を固守することは神を信頼していることの表われです。また,愛のうちに頭の権を行使することにより,夫は自分が神に服していることを表わせます。

では,どんな体制があなたの家族を治めていますか。“ミニ独裁支配”が見られますか。それとも,家族の各自が“自分のことだけを気にかけ”ていますか。家族の頭は神によって定められた自分の役割を愛ある仕方で果たしていますか。家族の他の成員は,然るべき敬意を示して協力しているでしょうか。また,個人として,キリストとその会衆の模範に倣っていますか。神の仕方で物事を行なうことは家族の一致と幸福に最も大きく寄与します。このことに疑問の余地はありません。

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