鎖を断ち切る
迷信は地上のほとんどあらゆる場所で多くの人々の生活を支配しています。多くの西洋人は蹄鉄やうさぎの足が身の守りになると信じており,アフリカ人の中には,邪悪な霊から身を守るためにグリグリ(お守り)を首にかけている人が少なくありません。また同じ理由で,新生児の手首に保護のひもを結び付けます。このひもにゴリラの骨の小片を結び付けると,赤ん坊は大きくて丈夫な子に育つと信じている部族もあります。
中央アフリカ共和国の川辺に住む人々は,マミワタと呼ばれる人魚を信じています。それらの人魚は長い金髪をしていると考えられており,人々を水辺におびき寄せては捕まえておぼれさせようとする,と信じられています。中にはこの信仰を利用する人がいて,次に敵が川岸にやって来た時その敵をマミワタが捕まえてくれるよう,犠牲を川に注ぎます。
アフリカの迷信の中で重要な地位を占めているのは呪物崇拝者と祈とう師です。この地方の呪物崇拝者はヌゼケ(小さな貝がら)を投げて将来を占います。祈とう師は,配偶者の衰えた愛を増進させる媚薬を調合することもします。近くで落雷があると,それは,自分と言い争った相手が復しゅうをしようとして呪術医を雇ったものと考えられます。呪術医は男を女に,女を男に変えることができ,人間を動物に変えることさえできると信じている人もいます!
迷信深い人々にとっては偶然の出来事も不吉な意味を帯びてきます。もし蛇またはカメレオンに出くわしたなら,よくないことが起きないうちに早々に家に帰ります。一羽の小鳥がたまたま家の中に飛び込むなら,その家のだれかが死ぬということです。夜間に犬たちが妙に騒ぐなら,だれかが死にかけているか,または死んだかです。
アフリカや世界の他の国々に住む教育のある人々にとって,このような迷信は不合理なものに思えるかもしれません。しかし,教育があっても,はしごの下を歩かないように注意したり,13日の金曜日には不必要な旅行を取りやめたり,食卓に着く人が13人にならないようにするために,時間ぎりぎりになってから急いでもう一人お客を招待したり,朝刊に載っているホロスコープを調べたりする人々はどうでしょうか。その人たちもやはり迷信の鎖につながれているのではありませんか。
しかし迷信とは何でしょうか。そして迷信が人々を支配できるのはなぜですか。
未知のものに対する恐れ
迷信とは,「無知,未知のものに対する恐れ,魔法や偶然に対する期待,などから生まれる信仰もしくはならわし」と定義されています。人々が無知のままでいてそれを信じている限り,迷信は人々をとらえています。迷信家が真の知識を得,自分の信じていることの不条理を悟るなら,その人をとらえている迷信の力は消え去ります。そして,迷信を相殺する知識の最善の源は聖書です。
ワワはそのことを知りました。死者の実際の状態を知ってから彼女の恐れはなくなりました。迷信が要求する多くの事柄をするのをやめましたが,それでも害はありませんでした。今ではその迷信的な恐れが理由のない恐れだったことを知っています。
同様の経験をしたアフリカ人は少なくありません。神が各動物を「その種類にしたがって」創造されたことを聖書で読むと,半人半魚のマミワタなど存在するはずがないことに気付きます。(創世記 1:20-27)それに,そのような生物を網で捕らえて展示した漁師など一人もいません。同様に,呪術医が人をヒョウやワニなどに変えることもできないことに気付きます。それらは「種類」が全く異なっているからです。
聖書も動物を「理性のない」ものと呼んでいます。(ペテロ第二 2:12)では,どうして鳥や犬に,人が死にかけていることが分かるでしょうか。蛇やカメレオン(ヨーロッパでは黒ネコ)が,どうしてたまたま出くわした人に災いをもたらし得るでしょうか。事実,実際に将来を知っているのは神だけであると聖書が述べているのに,どうして呪物崇拝者が将来を予告できるでしょうか。(イザヤ 44:6-8)彼らにそれができないことは理性で判断できます。同じく,何十億キロものかなたにある星や惑星にも,地球というこの惑星に住む,ホロスコープを信じる人々の生活に影響を及ぼす力はありません。
『しかし,蛇に出くわしてから二日後に長男が病気になりましたよ』と言う人があるかもしれません。もちろん,そういうこともあり得ます。しかし,子供が病気になる人で蛇もカメレオンも見ない人たちはどうなのでしょうか。あるいは,それらを見ても,その直後に何事も起きない人々はどうなのでしょうか。聖書は人間の経験する事柄について,「時と偶然は彼らすべてに臨む」と述べています。(伝道の書 9:11,改訂標準訳)確かに物事は単に偶然に生じ得ます。あいにくある場所にいたために嵐に遭ってけがをすることもあるでしょう。病気や事故は敵の悪巧みによるとは限りません。多くの人がこのことに気付きつつあり,その人たちの生活はもう迷信的な恐れに支配されてはいません。
魔法に対する信仰
しかし迷信には無視できない面があります。時々,偶然の一致とも全くの偶然とも言えない不思議な力が関係していることがあるようです。その力を魔法と呼ぶ人もあるでしょう。欧米の人々は,降霊術の会の最中に不思議なことが起こるのを知っています。ある青年は霊応<ウィジャ>盤を使っていた時に経験したことを語りました。それによると,その青年は幾人かの友達と,何が起こるか見ようとして霊応盤の周りに座っていましたが,その時青年は激しい勢いでいすから投げ出され,部屋の端のかなり離れていた壁にたたきつけられました。
アフリカでも不可解なことがあると言われています。人々は,川に入るよう手招きする金髪の人魚を確かに見たと言います。あるいは動物が物を言い,自分たちはかつては人間だったと言ったのを聞いたとも言われています。また,呪術医が魔法をかけたために起こる病気もあるようです。こうしたことはどう説明できるでしょうか。
不可解なことが起きるのは確かです。聖書はその理由を教えています。この場合もやはり,迷信の鎖を断ち切るのは知識です。聖書によると,わたしたちを欺こうとしている邪悪な霊の勢力が確かに存在します。しかし,それは死者の霊ではありません。そして人はその力に抵抗することができるのです。
まず,これらの霊の力はだれ,または何なのでしょうか。聖書の中で彼らは悪霊と呼ばれています。そして悪霊の頭はサタンです。悪霊や悪魔が存在するという考えを一笑に付すことは禁物です。イエスご自身彼らのことをご存じでした。では彼らの起源はどこにあるのでしょうか。彼らは神の僕であるみ使いたちでしたが,反逆して反対者になりました。―マタイ 12:26-28。ペテロ第二 2:4。
聖書はまた,サタンは「人の住む全地を惑わしている」とも述べています。(啓示 12:9)したがって,サタンが人々を迷信という鎖に縛り付けておこうとするのも不思議ではありません。サタンは,人々を欺くために超自然的な業を行なえるのでしょうか。確かに行なえます。例えば聖書は,ある「不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴な(う)」と述べています。―テサロニケ第二 2:9,10。
ですから,もし不思議なことが起こるようであれば,それはサタンとその配下の悪霊たちの影響によって生じているに違いありません。もちろん,サタンはどんな人間よりも強力です。しかしわたしたちに助けがないわけではありません。神はサタンよりも強力な方であられ,望む者にはその神が助けを差し伸べておられるからです。
聖書記述者のヤコブは,「したがって神に服しなさい。しかし,悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります」と言いました。(ヤコブ 4:7)ワワをはじめ他の多くのアフリカ人がこの勧めを受け入れました。神の言葉である聖書の真理を受け入れ,自分の身をどう律するかについて神の命令に従うようになったため,彼らの生活の中ではサタン的な迷信は何の力も持たなくなりました。そうした人々は以前の恐怖から解放されたのです。
そういうわけで,彼らはグリグリを首からはずし,子供の手首に結び付けていた保護のひもを解き,そうしたものを焼き捨ててしまいました。死者の霊をなだめる迷信的な儀式も行ないません。また,呪術医の呪文も恐れてはいません。そして,不道徳や暴力行為などの悪いことを行なわないように気を付けています。
その人たちはそういう大胆な行動を取ったために苦しい目に遭ったでしょうか。むしろその逆でした! イエスは弟子たちに次のように約束されました。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。(ヨハネ 8:31,32)罪はもはやこの人たちの主人ではないのです。彼らは悪霊たちが起こすかもしれない活動から神によって守られています。そして新たに得た知識から,以前信じていた迷信が無価値なものであることを知りました。真理は彼らの手かせを断ち切ったのです!
望む人はだれでもこの自由を得ることができます。もしあなたも,ワワが現在得ているような,恐怖からの自由を得たいと思われるなら,エホバの証人はワワの場合と同じように喜んでご援助したいと思います。