ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔83 7/1 16ページ
  • ニュースの内面を見る

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • ニュースの内面を見る
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 被害者にとって公正な処置
  • 空想か科学か
  • 今日の福音宣明者たち
  • サイエンス・フィクション ― 始まりから,人気を博するまで
    目ざめよ! 1995
  • サイエンス・フィクション 今日の実情を見る
    目ざめよ! 1995
  • 解決策はどこにあるか
    目ざめよ! 1972
  • すべての人が公正に扱われる ― いつ,またどのように
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 7/1 16ページ

ニュースの内面を見る

被害者にとって公正な処置

「刑法にかかわる最大の問題の一つは被害者に対する損害賠償である」と,米国ノース・カロライナ州のマイケル・ビール判事は語りました。夜盗や強盗や泥棒に遭ったり,その他の破壊行為の犠牲になったりした人であればお分かりのとおり,被害者は損害に対する賠償をめったに受けないばかりでなく,その犯罪者が刑務所に送られた場合に税金を通して事実上犯罪者を扶助する費用を支払わなければなりません。これが刑事裁判の現状です。

ニューヨーク・タイムズ紙によると,現在,この問題を是正するための計画がノース・カロライナ州で試されています。未成年の非行者は刑務所や教護院に送られるのではなく,土曜日や休日には農場に働きに行かされ,畑を耕したり,木を切ったりします。非行者の賃金の大半は被害者のもとにゆきますが,そのうちのわずかな部分が緊急用積立金として取っておかれ,被害者に対する返済が完了した後に非行者に戻されます。最初の1年間に,10歳から15歳の少年34人がこの計画に組み入れられました。引っ越しした一人の少年を除いて全員が被害者に全額を返済しました。ついに,被害者に対する公正な処置が取られたのです。

しかし,このような公正な処置は,神がイスラエルの国民に与えた律法に最初から組み込まれていました。盗みや財産に対する破壊行為があった場合,非行者が被害者に定められた量のものを返済できないなら,非行者は奴隷として売られることがあるという条項が律法にはありました。そのようにして,被害者には弁済がなされ,犯罪者は自分が生きてゆくために働くことになりました。(出エジプト記 22:1-6)こうした律法は,完全な「裁き主」,「法令授与者」,および「王」であられるエホバ神の公正と知恵を反映しています。―イザヤ 33:22。

空想か科学か

近年,宇宙人に対する関心が一般の人々の間で大いに高まってきています。その理由は少なからず,宇宙旅行や空想科学小説や映画産業にあります。確かに,歴史上最も人気の高かった映画2本 ―「スター・ウォーズ」と「E.T.」― はいずれもこのことを扱ったものでした。同時に,宇宙空間に知能を持つ生物を見いだすための科学的な計画が,多額の費用を掛けて,非常に熱心に行なわれています。その結果,多くの人々,それも特に若い人々にとって,どこまでが科学で,どこからが空想なのかがいよいよ分からなくなってきています。宇宙人の存在とか,宇宙人と交信したりその影響を受けたりする可能性などが,いわば裏から,巧妙に意識の中に忍び込んでいます。

この現象について論評した,宇宙産業の一科学者,ジャック・キャトランは,「E.A.=Enough Already(もう沢山)」と題するニューズウィーク誌の一記事の中で次のように書いています。「作家や映画製作者たちには,どんな科学的な論題についても推測をする権利はあるが,それを科学と呼ぶのではなく,空想科学小説というその本来の名称で呼ぼうではないか。そして,それらの人たちの目的としている事柄もはっきりさせておきたい。それは搾取と売上げであり,教育ではない」。確かに,事実と,「誤って『知識』ととなえられている」ものとを見分けるようにという聖書の助言は知恵の道です。―テモテ第一 6:20。

今日の福音宣明者たち

昨年の12月,NCCB(米国カトリック司教会議)は,福音宣明の業を促進するための5年来の計画と委員会に終止符を打つことを票決しました。ナショナル・カトリック・リポーター誌はこう述べています。「『良いたより』を広めることはもはや司教会議にとって全国的な優先事項ではなくなった。それは地方的なレベルと偶然の事柄とに委ねられた」。

しかし,NCCBはどうしてその福音宣明の努力を放棄してしまったのでしょうか。同リポーター誌は,「カトリック教徒の大半がその信仰の本来の構成員として福音宣明を行なうよう召されていることを受け入れる時はまだ来ていない」と述べ,さらにこう付け加えました。「福音宣明がすべてに優先する一つの大きな活動で,教会の行なうあらゆる事柄がそれを中心にしていなければならないという意識はあまり見られなかった」。

これは1世紀のクリスチャンたちの燃えるような福音宣明の精神と何と著しい対照をなしているのでしょう。反対者たちでさえ,『見よ,あなた方はエルサレムをあなた方の教えで満たしてしまった』と言わざるを得ませんでした。(使徒 5:28)福音宣明を「偶然の事柄」に任せておくどころか,使徒パウロはこう言明しました。「そうしなければならないことだからである。ああ,私が福音をのべないなら,禍いなことだ!」―コリント第一 9:16,カトリックのバルバロ訳。

今日,マタイ 24章14節と28章19,20節にあるイエスの言葉にこたえ応じて,エホバの証人は神の王国の良いたよりを宣べ伝える業を確かに自分たちの生活の中で,「すべてに優先する一つの大きな活動」にしています。エホバの証人の組織は,世界的な福音宣明の組織です。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする