読者からの質問
■ サムエルは預言者だったのでしょうか。私はそのように考えてきましたが,私の持つ聖書のヘブライ 11章32節を読むと,そうではなかったように取れます。
確かに,サムエルは預言者であり,同時に裁き人でした。ある聖書のヘブライ 11章32節の訳し方は,この点で混乱を生じさせるかもしれませんが,この節を理解できるような仕方で訳出することは可能です。
サムエルがまだ少年であったころ,エホバは宣告を伝えるためにサムエルを用い始められ,全イスラエルはサムエルを預言者として認めるようになりました。(サムエル第一 3:1-21)サウル王は,預言者から得られるような情報をサムエルに求めました。(サムエル第一 9:6,9; 28:11,15)「預言者の年長の者たちが預言し,サムエルがこれをつかさどる立場に立ってい(た)」ことが一度ありました。(サムエル第一 19:20)預言の業を行なうと共に,サムエルは民を裁きました。―サムエル第一 7:15-17; 12:6,7。
しかし,ヘブライ 11章32節の信仰の人々のリストが多くの翻訳で次のように訳出されているために,サムエルが預言者であったことが疑問視されるかもしれません。「もしギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,サムエル及び預言者たちについて語り出すなら,時間が足りないであろう」。(口語訳)この句は,サムエルがギデオン,バラク,サムソン,そしてエフタなどの裁き人やダビデと同じように,預言者たちとは別個に扱われていたという意味に理解することもできます。
しかし,中には,ヘブライ 11章32節に「ほかの」という言葉をそう入している翻訳もあります。「リビングバイブル」では,「……エフタ,またダビデ,サムエル,そのほかの多くの預言者」となっています。クリスチャン・ギリシャ語聖書にはそれ以外にも,意味を明確にするために「ほかの」という言葉をそう入するのがふさわしい箇所があります。例えば,文語訳聖書によると,ルカ 21章29節でイエスは,『無花果の樹,また凡ての樹を見よ』と言われました。このままでは意味をなさなくなってしまいます。いちじくの木もやはり木だからです。ですから,イエスの言葉は日本語で,「いちじくの木やほかのすべての木をよく見なさい」とも訳出できます。―新世界訳,今日の英語聖書,新英訳聖書。ルカ 13章4節と比較してください。
ですから,新世界訳はヘブライ 11章32節を明快で,ヘブライ語聖書とも調和する仕方で次のように訳出しています。「さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,またサムエルやほかの預言者たちについて語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう」。