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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 11/15 3–4ページ

だれが世界を救えるか

この質問に対して,『だれにも救えない』と答える人もいるでしょう。世界の諸問題は非常な勢いで増え続け,その性質も極めて複雑になっているため,世界を救うという仕事は現在の人間の諸政府や国際連合にさえ手に負えないものになっているように見えます。このことを否定できる人はだれもいません。

しかし,これにはわたしたちの命と将来が関係しているので,世界を救う方法が果たしてあるのか,あるとすればだれが救えるのか知りたいと思うのはもっともなことです。

世界の指導者たちは将来に対して暗い見方をする傾向があります。ワルトハイム前国連事務総長は,26ページにわたる国際情勢に関する報告書の中で次のように述べています。「過ぎ去った1年は新たな危機とわずかばかりの励みをもたらした。……世界情勢の型は意外な,そして時には不気味な変わり方をし……既に存在する数多くの問題を悪化させる傾向がある」。そして,人々が「この情勢を見て憂慮している」とすれば,間違ってはいないとも述べています。

1981年の終わりに,ラテンアメリカのデーリー・ポスト紙の社説の中で,下記のような的を射た質問が提起されていました。「今朝目を覚まして新聞の見出しを読んだとき急に,近ごろ世界が非常に危険で,不安定な場所になっているように思えてはこなかっただろうか」。国際的な問題の幾つかの面を検討した後,この社説はこう結んでいます。「明日の朝目を覚まして新聞の見出しに目を通し,物事が良い方向へ向かっていると感じられるようであればよいのだが,どういうわけか,事態がそのようになるとはどうしても思えないのである」。

若者たちは特に,世界情勢に対して消極的な見方をする傾向があります。伝えられるところによると,西ドイツは,「目的のない,時には暴力を振るい,何も言わず,無職が普通で,大抵の場合使いものにならない若者たちが増えて大群になりつつある」のに悩まされています。一社会事業家は,それらの若者たちのことを,「視野も,展望も,希望も持たない」人々と描写しています。そうした若者の一人はこう言いました。「心の中で,私はこの世界があと5年か10年くらいしかもたないと信じています。しかし,広く見られる悲惨な状態は何とかしなければなりません。私たちは自分が是認しない体制のために責任を取ることを拒むところにまできているのです」。

読者は個人としてどう思われますか。ほんのつかの間でしかない人生を振り返ってみて,今日の世界が生きてゆくのに以前より良い所になっていると言えますか。大抵の人はすぐに,いいえ,と答えるでしょう。むしろ,世界はまっしぐらに滅びへ向かっているように思えます。この世界を救うことができるでしょうか。この地球が生きてゆくのにすばらしい場所であること,また自分の命をできるかぎり長らえさせるためにはどんなことでもするということに異存はないに違いありません。問題はどこにあるのでしょうか。前節の若者の言葉にお気づきでしょうか。この若者は自分が是認しない「体制」について語っています。興味深いことに,イエス・キリストの使徒たちはイエスに,「事物の体制の終結」について尋ねました。(マタイ 24:3-14)それに対して,イエスは長期に及ぶ預言をされ,それは今日成就しています。ですから,世を救うことについて語る場合,この地球としての世界を救うことを考えるべきではありません。また,神の言葉からすると除き去られる定めにある現存するこの事物の体制を救うことについて考えるべきでもありません。むしろ,問題の中心は人々,つまり人類の世です。

では,だれが人類の世を救うのでしょうか。この点は分からないままにされてはいません。神のみ言葉は次のように述べているからです。「神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです」。(ヨハネ 3:17; 12:47)人間の創造者こそ,ご自分のみ子イエス・キリストを通して世を救うための措置を講じられた方なのです。かつてはユダヤ人を憎んでいたサマリア人の一団でさえ,イエスについて,「この人こそ確かに世の救い主だということが分かるのだ」と言いました。―ヨハネ 4:42。

今日の宗教現象に,ジーザス[イエス]運動と呼ばれる数々のグループの出現があります。米国では,イエスの名が車や建物にはりつけられたり,地方へ行くと岩にペンキで書いてあったりするのが見られます。また,“ジーザス[イエス]”運動に参加している人々の大集会について読むこともあります。そうした人々の多くは,伝統的な諸教会を捨てた人々で,人類の希望はイエス・キリストにあると大声でふれ告げています。その中には,イエスが今日生きておられれば,自分たちと一緒にその特定の革命に加わり,“体制の”腐敗や不公正と闘っているだろうと信じる人が少なくありません。

ブラジルに住むそのような人々の一グループは,イエスについてどう考えているかを文章にするよう求められました。意見の一致を見たのは,イエスが善意で物事を行ない,愛のない無慈悲な世の中にあって愛を宣べ伝えた人だったという点です。また,イエスは人間の平等を説き,勇気と信仰と希望のりっぱな模範を残したとも言います。しかし,イエスは自分の任務を果たす面で余り成功しなかったと考えているのです。カトリックの一司祭は,「イエスをご覧なさい。イエスは始終祭司たちと論じ合われたが,その結果得たものは十字架だけだった」というふうに述べています。

読者はイエス・キリストをどのように見ていますか。紛れもない革命分子と見ていますか。偉大な哲人また賢人,さらには預言者とさえ見ていますか。イエスの教えが過去1950年間に人類に非常に大きな影響を及ぼしてきたことは否めません。事実,イエスによって既に個人として救われたと主張する人々が今日幾百万人もいます。

人類の世の一部にとってイエスが救われるための手段であるということは,ヨハネ 3章17節で読んだ通り,否定できない事柄です。使徒ペテロは,「人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにない(の)です」と言明し,この点を確証しました。(使徒 4:12)しかし,イエスはどのようにしてこの世を救うのでしょうか。人類すべてがイエスを受け入れて救いのための神のご要求を満たすのではないとすれば,人はいったいどのようにして救われるのでしょうか。その救われる人が自分であるとしたら,何から,何へと救われるのでしょうか。では次に,これらの当を得た質問を検討することにしましょう。

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