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  • 奉仕の僕たち ― エホバの民にとって祝福
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 9/15 14–19ページ

奉仕の僕たち ― エホバの民にとって祝福

「その人たちがふさわしいかどうかまず試し,とがめのない者であるなら,奉仕者として仕えさせなさい」― テモテ第一 3:10。

1 会衆の幸福と一致を確かなものにするのに役立っているのはだれですか。

エホバは「幸福な神」であり,ご自分の僕たちが幸福であることを望まれます。(テモテ第一 1:11)その目的にかなうよう,神はご自分の民に対する祝福として長老と奉仕の僕を備えてくださいました。責任の重いこれらの男子は有益な目的に貢献しており,クリスチャン会衆の幸福,一致,円滑な働きを確かなものにするのに役立っています。エホバの証人は,神の神権組織の中で,任命を受けたこれらの人たちが行なう愛ある有用な奉仕を深く感謝しています。

2 長老と奉仕の僕はどんな態度を持つべきですか。しかし,何を決して見失うべきではありませんか。

2 しかし,長老と奉仕の僕は会衆に大きく貢献してはいても,自分自身の重要性を誇示してはなりません。イエス・キリストが追随者に対して謙遜であるよう諭された事実を思い起こさなければなりません。イエスはかつて追随者にこう言われました。「だれでもこの幼子のように謙遜になる者が,天の王国において最も偉大な者なのです」。(マタイ 18:4)そして弟子ヤコブは,「エホバのみ前にあって謙遜になりなさい。そうすれば,あなた方を高めてくださるでしょう」と書きました。(ヤコブ 4:10。ローマ 12:3)しかし,謙遜な態度を持つと言っても,これらの男子に対して,長老また奉仕の僕としての働きの重要性を軽視することが求められるわけではありません。謙遜であり,同時に奉仕の活動において率先することができます。それらの男子は自分たちの活動が貢献している有益な目的を見失ってはならず,むしろエホバとクリスチャンの兄弟たちに対する責務を絶えず思い起こし,自らの務めを果たす点で可能な最善の事柄を行なわなければなりません。

3 エホバの証人の間の一致した活動は何に例えることができますか。献身した男子は,どのようにそうした一致と王国の関心事の促進を推進できますか。

3 今日のエホバの証人の間の一致した活動は,人体の一致に例えることができます。実際,使徒パウロはキリストの霊的な体を,多くの肢体で成る人体になぞらえています。しかし,体のすべての肢体は互いの益のために共に働きます。(コリント第一 12:12-31)ですから,任命された長老と奉仕の僕はエホバの民にとって確かに祝福です。これらの男子は,今日のクリスチャン会衆の一致した働きを促進するからです。(コロサイ 2:18,19と比較してください。)『監督の職をとらえようと努める』ことにより,エホバの組織上の取り決めを支持することに励む会衆内の献身した男子の成員は,クリスチャンの一致や,王国の関心事の促進に大きく貢献しています。(テモテ第一 3:1)しかし,そもそもクリスチャンの男子はどのようにして奉仕の僕となるための資格を得るのでしょうか。

『ふさわしいかどうかまず試される』

4 (イ)奉仕の僕となる見込みのある人が『ふさわしいかどうかまず試される』べきなのはなぜですか。(ロ)それらの男子は進んでどんなことを行なうべきですか。

4 使徒パウロは,男子が奉仕の僕として任命される前に求められる事柄を,同労者であったテモテに告げました。その中でパウロは特に,「その人たちがふさわしいかどうかまず試し,とがめのない者であるなら,奉仕者として仕えさせなさい」と書きました。(テモテ第一 3:10)そのようにすれば,資格のない男子,つまり基本となる聖書的な特定の要求にかなっていない人々を任命してしまうことを防げます。さらに,奉仕の僕となる見込みのある人々の動機を見定める時間が与えられることになります。もちろん,これらの男子は名声を得たいという欲求を動機としていてはなりません。それは謙遜さの欠如を示すことになるからです。むしろ,兄弟であれば,神に対するクリスチャンの献身が無条件かつ包括的なものであることを認識し,神の組織内でエホバがふさわしいとご覧になるどんな立場においても進んで仕えるようでなければなりません。確かに,奉仕の僕になる見込みのある人々は,「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」と述べた忠実なイザヤのように,進んで仕えなければなりません。―イザヤ 6:8。

5 (イ)テモテ第一 3章8節には奉仕の僕に対するどんな要求が記されていますか。(ロ)「まじめ」であるとはどんなことを意味していますか。(ハ)奉仕の僕は「二枚舌を使ったり」せずと述べたパウロは何を言わんとしていましたか。

5 「同様に,奉仕の僕たちもまじめで,二枚舌を使ったりせず,大酒にふけらず,不正な利得に貪欲でなく」と,パウロは説明しました。(テモテ第一 3:8)奉仕の僕の中に比較的若い人がいるとしても,彼らは若者ではなく,「まじめ」でなければなりません。重要な事柄をまじめに考えることを学んでいなければなりません。(箴言 22:15と比較してください。)信頼の置ける良心的な人で,責任を軽く見るような傾向のある人であってはなりません。まさに,頼りになり,自分の務めをまじめに考える人であるべきです。結局のところ,エホバへの神聖な奉仕以上にまじめに考えるべき事柄があるでしょうか。それは,自分たちにとっても他の人にとっても,生死にかかわる問題なのです。(テモテ第一 4:16と比較してください。)加えて,奉仕の僕は『二枚舌を使っては』ならないと述べたパウロが言わんとしていたのは,奉仕の僕は正直な,真実を語る人であり,うわさ話をせず,偽善的でなく,ねじくれていてはならないということでした。―箴言 3:32。

6 奉仕の僕はどのような幾つかの点で平衡を保っていることをはっきり示していなければなりませんか。

6 奉仕の僕となる資格のある男子には,個人的な生活における正しい平衡が絶対に必要です。奉仕の僕は「大酒にふけらず」,「不正な利得に貪欲」であってはならないと述べたパウロは,酩酊・貪欲・不正を避けるべきであると言おうとしていたに違いありません。これらのクリスチャンの男子は,自分たちが快楽や物質的な物に過度に関心を抱いているという印象を与えることさえ慎まなければなりません。生活の中で霊的な事柄を第一にするよう絶えず努力すべきです。そうすれば,仲間の人間の前で,さらに重要なこととして神の目の前で「清い良心」を保つ助けが得られます。―テモテ第一 3:8,9。

7 (イ)奉仕の僕の責任が若い人たちのために意図されたものではないとなぜ言えますか。(ロ)奉仕の僕が独身であるという事実は当人について何を明らかにするかもしれませんか。

7 奉仕の僕たちが担うことになる重い責任は,若い人のために意図されたものではありません。これらの男子は聖書の中で,結婚して家族をもうけることのできる年齢の人として言及されています。そのような状況にある奉仕の僕は,「子供と自分の家の者たちをりっぱに治めている」べきです。(テモテ第一 3:12)これは,若い人はまず結婚して家族を養うようにならなければ奉仕の僕の資格を得られないという意味でしょうか。決してそのようなことはありません。事実,十分な準備もなく,あるいはバプテスマを受けたふさわしいクリスチャンの伴侶が見つかる前にあわてて結婚することをいとう態度は,個人的な問題や,それよりはるかに重要な会衆内の責任を正しく顧みるために必要なある程度の円熟性を表わすものと言えるかもしれません。

8 テモテ第一 3章13節およびマタイ 24章14節と関連して,奉仕の僕にはどんな責任が課せられていますか。

8 パウロは,「りっぱに奉仕する人は自分のためにりっぱな立場を得,キリスト・イエスに関する信仰にあって少しもはばかることなく語れるようになるのです」と述べました。(テモテ第一 3:13)必要とされている『少しもはばかることなく語れる態度』を示す一つの方法は,「王国のこの良いたより」を宣べ伝える業に積極的に参加することです。(マタイ 24:14)それらの兄弟たちは,家から家に宣べ伝える業や他の形の宣教にあずかることに率先する面で,長老たちと同様,自分たちにも責任があるということを悟らなければなりません。(使徒 5:42; 20:20,21)サタンの邪悪な体制の終わりが急速に近づいているので,宣べ伝える活動はますます緊急性を帯びてきています。したがって奉仕の僕たちは野外宣教において優れた個人的な模範を示すことにより,王国を宣べ伝える業の緊急性を会衆の前でいつも示さなければなりません。

全時間宣教は助けになる

9 この時代の緊急性を考え,多くのクリスチャンはどんな奉仕を始めましたか。

9 多くのクリスチャンの男女は,この危機的な時代の緊急性を考え,全時間宣教に入りました。開拓者と呼ばれる大勢の人々は,宣べ伝える業に毎日平均2時間ないし5時間を費やしています。そうした開拓者の中には,外国の地で宣教者として働く人もいます。ものみの塔協会の本部や,世界各地の支部事務所で全時間奉仕する人もいます。その奉仕は,本人にとっても,本人が仕える人々にとっても喜びと満足の源です。しかも多くの場合,全時間奉仕の経験は,奉仕の僕として会衆に益を及ぼすような仕方で仕えるのに必要な資格を培う面で,人々を助けるものとなってきました。

10,11 ここに引用されているある人の意見が示しているように,奉仕の僕になることを願う男子は,全時間奉仕からどのように益を受けるかもしれませんか。

10 ドイツのベルリンの一会衆で以前は奉仕の僕であり今は長老となっているある人は,何年か前の若い時に始めた開拓者の業についてこう述べています。「私はこの段階に進んだことを一度も後悔したことがありません。エホバは私を祝福してくださいました。私と神との関係は一層親密になりました」。そうです,この兄弟は他の幾千幾万もの人と同じく,全時間宣教が神との個人的な関係を深め,クリスチャンの円熟へと進歩する速度を速める助けとなることに気づいたのです。

11 長いあいだ開拓奉仕を続けてきたもう一人の人は,全時間奉仕がどのように助けとなったかをこう説明しています。「私は落ち着いて行動するようになり,軽率な判断を下していたのが,より平衡の取れた見方をするようになりました。以前よりも幸福になり,さまざまな種類の人と接する際にも一層順応性を示せるようになりました」。これらの特質は,奉仕の僕として仕えることを望む男子に必要とされる特質の一部ではないでしょうか。

12 (イ)全時間宣教に携わるためのどんな機会がありますか。(ロ)全時間宣教に携わるには,奉仕の僕が自分の務めを果たす際の助けとなるどんな能力が求められますか。

12 聖書的な責任から見て可能であるなら,クリスチャンの男子が全時間の宣教に携わることは『ふさわしいかどうかまず試される』ための優れた機会となります。そのような宣教を常時行なえる人もいれば,時々行なえる人もいます。若い人々は学校の休みの期間中にできるかもしれず,年長の人々は,休暇の時期,あるいは1年のうち他のふさわしい時にできるでしょう。無論,全時間奉仕に携わるには平衡と注意深い計画が求められます。これらの能力は,奉仕の僕にとって必要なものであり,自分の務めを果たす際の助けになるでしょう。それはどんな務めでしょうか。

奉仕の僕の務め

13 使徒 6章1-6節は,奉仕の僕に割り当てられる仕事の種類について何を示唆していますか。

13 使徒 6章1節から6節は奉仕の僕の任命には直接当てはまりませんが,そこに述べられている事柄は,概して奉仕の僕に割り当てられる仕事の種類や,務めの特色を示唆していると言えます。その時に選ばれた「確かな男子七人」は仲間の信者を教えることによってではなく,食物を分配することによって,使徒たちが「祈りとみ言葉の奉仕とに専念する」ことができるようその負担を軽くしました。奉仕の僕は今日も同様の務めを顧みることにより,長老たちが牧羊と「神の羊の群れ」を教えるための時間をより多く持てるようにしています。―ペテロ第一 5:2,3。

14 奉仕の僕にはどんなさまざまな務めが割り当てられるかもしれませんか。

14 奉仕の僕の務めに関し,「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」と題する本はこう述べています。「一人の奉仕の僕は会衆の文書を取り扱うように割り当てられて,わたしたちすべてが個人的な使用や野外奉仕のために必要とする文書を入手しやすくしてくれるでしょう。別の奉仕の僕は会衆で必要とする雑誌を取り扱えるかもしれません。他の奉仕の僕たちは,会衆の会計や,区域の割り当ての記録を付ける務めを割り当てられ,あるいは,マイクロホンを扱ったり,音響設備を操作したり,演壇の世話をしたり,さらに他の面で長老たちを助けるために用いられることでしょう。王国会館を維持管理し,それをいつもきれいにしておくためにも多くの仕事がなされなければなりませんから,奉仕の僕たちにはしばしば,そのような責任を果たす面での援助も求められるでしょう。奉仕の僕たちはまた,案内者として奉仕し,新しい人たちを歓迎したり,会衆の集会における秩序の維持を助けたりする割り当ても受けるでしょう」― 57,58ページ。

15 (イ)奉仕の僕として効果的に仕えるには,実地の能力のほかに何が必要ですか。(ロ)奉仕の僕はさまざまな事柄の世話をするとはいえ,その主要な関心事は何であるべきですか。

15 どのような兄弟であれ,実地の能力を持った人がそうした仕事を行なえるのでしょうか。そうではありません。1世紀のエルサレムで選ばれた「確かな男子」は,「霊と知恵に満ちた」,あるいは,「実地の経験を積み,しかも霊的な事柄に関心のある」人だったからです。(使徒 6:3,フィリップス訳)彼らが既にエホバの民の間で年長の男子であったとしても,彼らに割り当てられた仕事は,今で言えば奉仕の僕が行なうような仕事でした。ですから,現在の奉仕の僕が自分たちの務めを効果的に果たしたいのであれば,『実地の経験を積み,しかも霊的な事柄に関心を持って』いなければなりません。奉仕の僕は組織に関する細かな仕事を行ないますが,その主要な関心事は,霊的に益を与える仕方で人々に仕えることであるべきです。

16 会衆内に十分の数の長老がいない場合,奉仕の僕はどんな務めに割り当てられるかもしれませんか。

16 奉仕の僕は霊的な事柄に関心を持っているべきなので,普通は長老の行なう仕事に時々彼らを用いることができます。「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」(58,59ページ)はこう説明しています。「会衆の書籍研究を司会するために十分な数の長老がいなければ,奉仕の僕たちのうち,より資格のある人々が研究司会者として用いられて,割り当てられた群れの世話をします。それらの奉仕の僕たちには,奉仕会や神権宣教学校のある部分を扱うことや,土地の会衆で公開講演をすることを割り当てることもできます。ある奉仕の僕たちにはさらに他の特権をも差し伸べることができますが,それは,特別の必要があり,それらの人たちがその割り当てのための要求にかなっている場合です。―ペテロ第一 4:10と比較」。

17 ステファノはどんな人でしたか。そのことは奉仕の僕に関してどんな質問を生じさせますか。

17 聖書時代の「確かな男子七人」の中に,「信仰と聖霊に満ちた人ステファノ」がいました。(使徒 6:5)忠実な殉教者としての死を遂げる前,ステファノはユダヤ人のサンヘドリンの前で感動的な証言を行ないました。その記述を読めば,ステファノが霊的な事柄に関心を持ち,神の聖霊の導きを受け入れる際立った証人であり,エホバの奉仕のために進んで命を投げ出す人であったことが確信できます。(使徒 6:8-7:60)あなたが奉仕の僕であるなら,自分に与えられた種々の責任と,真理を語る特権とをまじめに受け止めていたに違いないステファノと同じほど,会衆の務めと野外宣教をまじめに受け止めていますか。

どのように基準に達するのか

18 大勢の奉仕の僕の働きについては何と言えますか。彼らにはどんな保証の言葉が与えられますか。

18 大勢の奉仕の僕はクリスチャンの生活においてりっぱな模範を示し,会衆内の責任を非常によく顧み,野外宣教において十分に率先しています。その働きは仲間の崇拝者から大いに感謝され,エホバ神からの報いを受けずに終わることはありません。ヘブライ人のクリスチャンたちは次のように保証の言葉を与えられているからです。「神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされない(の)です」― ヘブライ6:10。

19 (イ)奉仕の僕各人はどんなことを自問できますか。(ロ)一部の奉仕の僕が経験した問題を検討することはなぜ有益ですか。

19 しかし,奉仕の僕各人はこのように自問できます。自分はどれほど聖書的な要求の基準に達しているだろうか。自分は会衆の一致に本当に貢献しているだろうか。割り当てられた務めをきちんと,勤勉に顧みているだろうか。野外宣教において良い模範となっているだろうか。一部の奉仕の僕たちは自分たちに要求されている基準に達する点で問題に直面しました。ですからその問題の幾つかを検討してみましょう。そのようにすることは,奉仕の僕各人が,『自分の業がどんなものかを吟味する』ための助けとなります。(ガラテア 6:4)それはまた,エホバの証人の間で有益な目的に貢献し,神の民にとって確かに一つの祝福となっているそれらの男子が行なう愛の労苦に対し,他の人たちが抱く認識を増し加えるものともなるはずです。

説明できますか

□ 奉仕の僕はどのような点でエホバの民にとって祝福ですか

□ 全時間宣教は,奉仕の僕になることを願っている兄弟たちにどのように役立つものとなりますか

□ 奉仕の僕が「実地の経験を積み,しかも霊的な事柄に関心のある」人であるべきなのはなぜですか

□ 忠実なステファノはどのように今日の奉仕の僕に対するりっぱな模範となっていますか

[15ページの図版]

長老も奉仕の僕も会衆にとって祝福である

[17ページの図版]

開拓奉仕は,奉仕の僕や長老となることを願っている人にとって,優れた訓練の機会である

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