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  • モアブ碑石 ― 壊されたが失われなかった
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
塔90 4/15 30–31ページ

モアブ碑石 ― 壊されたが失われなかった

モアブ碑石,もしくはメシャ碑石が故意に壊されたのは,1868年にそれが発見されてから1年もたっていない時でした。これはほぼ3,000年前の碑石で,黒光りする玄武岩の頂上部がきれいに丸くカットされていました。高さは112㌢,幅は71㌢,奥行きは36㌢です。壊されてからしばらくして,二つの大きな断片と18のやや小さ目の破片が回収されましたが,碑石の3分の1は完全に失われてしまいました。

どんな経緯があって,これほど特異な文化遺物が永遠に失われそうになったのでしょうか。また,聖書を研究する者にとって,この碑石はどれほど価値があるのでしょうか。

策謀と疑惑

ヨーロッパ人として,壊されていない状態のモアブ碑石を見たのは,F・A・クラインが最初で最後でした。その碑石は,死海の北東にあるディボンの遺跡の中にありました。この碑石には周りに一段高い縁があり,34行の碑文が刻まれていました。クラインは碑文の各部の簡単なスケッチを描き,エルサレムに戻ってから,プロシア人の上司に発見の報告を行ないました。するとすぐに,その文字はフェニキア文字と同定され,重要性が認められました。ベルリンの国立美術館は,碑石を買うためにお金を出そうとしましたが,すぐにほかの利害関係者との競合になりました。地元の首長たちは碑石の価値に気づき,碑石を隠して,その値段を法外な高さにつり上げました。

フランス人のある考古学者が,何とかして紙で碑文の型を取ろうとしましたが,乾く前にはがさなければならなかったため,写しとった文字はほとんど判読できませんでした。やがてベドウィン族は,碑石を政府の役人に引き渡すようにという命令をダマスカスから受けました。ベドウィン族はそれに従う代わりに,碑石を壊すことに決めました。この貴重な遺物の周りに火を放ち,繰り返し水をかけたのです。碑石が割れると,その破片は直ちに地元の家族の間で分配され,豊作が保証されるという名目で穀物倉に置かれました。また,分散した破片を各人が個人的に交渉して売るのが一番の得策ともなりました。

聖書の歴史がよみがえる

買い取られた破片は,石膏の型や紙の型の助けによって継ぎ足され,碑石の碑文がついに復元されました。その全文が明らかになった時,学者たちは驚嘆しました。この古代の碑石は,当時,「これまでに発見された石柱の中で最も顕著なもの」と評されました。

モアブのメシャ王は,自分がイスラエルの支配を打破したことを記念し,自らの神ケモシュのためにモアブ碑石を建てました。メシャに言わせれば,40年にわたるイスラエルの支配がケモシュによって許されたのは,ケモシュが「彼の地に対して怒り」を覚えたからでした。モアブのこの反抗は一般に,列王第二 3章に記録されている出来事と関係があるとされています。メシャはその記念碑に刻んだ碑文の中で,自分が非常に信心深いこと,都市や街道を作ったこと,イスラエルに対して勝利を収めたことなどについて誇っています。そしてこの点で,すべての誉れを自分の神ケモシュに帰しています。当然予想されることですが,メシャが敗北したことや自分の息子を犠牲にしたことは聖書に記録されているものの,自らに栄光を帰するこうした碑文の中では省略されています。

メシャが自分で攻略した場所として挙げている地名の中には,聖書が言及している地名も少なくありません。メデバ,アタロト,ネボ,ヤハツなどはその例です。こうして碑石は,聖書の記述が正確であることを裏づけています。しかし,特筆すべきなのは,メシャが碑文の18行目で,YHWHに相当する四文字語<テトラグラマトン>,すなわちイスラエルの神のみ名を使っていることです。その部分でメシャは,「わたしはそこ[ネボ]からヤハウェの[器]を取り,それらをケモシュの前に引いて来た」と自慢しています。聖書以外の文書で神のみ名が使われている例としては,これが恐らく最古の記録であろうと思われます。

石膏の型によって碑文の失われた部分が付け足され,モアブ碑石は1873年に復元されました。これはパリのルーブル美術館に展示され,現在もそこで保存されています。ロンドンの大英博物館でも,その複製品を見ることができます。

[31ページの図版]

(上)モアブの地

[クレジット]

Pictorial Archive (Near Eastern History) Est.

(左)復元されたモアブ碑石

[クレジット]

Musée du Louvre, Paris

(右)碑石に出ている四文字語

[クレジット]

The Bible in the British Museum

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