ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔92 2/15 3–4ページ
  • 像崇敬 ― 論争の的

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 像崇敬 ― 論争の的
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 聖像破壊者
  • 像を用いれば神に一層近づけるか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
  • 崇拝のための像は不用
    目ざめよ! 1970
  • 像
    目ざめよ! 2014
  • 像に対するクリスチャンの見方
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 2/15 3–4ページ

像崇敬 ― 論争の的

ポーランドに住む一人の男性が,旅行に出かけようとしているところです。しかし,もう一つ大切なことをしなければなりません。それは,イエスの像の前にひざまずき,供え物をささげ,旅の安全を祈願することです。

何千キロも離れたタイのバンコクでは,春になると,仏教の年中行事の最初の祭りを見ることができます。祭りの間は,仏陀の像を担いだ行列が街を練り歩きます。

像に対するこうした崇敬が広く行なわれていることに,あなたも気づいておられるに違いありません。文字通り幾十億もの人々が像の前に身をかがめます。何千年もの間,像は神に一層近づくための大切な手段とされてきました。

あなたは崇拝に像を用いることをどう思いますか。像を崇めるのは正しいことでしょうか,それとも間違ったことでしょうか。神はそれをどう感じておられますか。そのような崇拝が神に受け入れられるという証拠はありますか。このような質問を自分でじっくりと考えたことなどなかったかもしれません。しかし,神と関係を持つことを重んじる人は,それらの質問の答えを見つける必要があります。

多くの人にとって,これが簡単に解ける問題でないことは確かです。事実,幾千年もの間,この問題は,時には暴力をともなう,激しい論争の的となってきました。一例を挙げると,西暦前1513年のこと,ヘブライ人の指導者モーセは,金の子牛の像を壊し,それを崇めていた約3,000人の男たちを剣で処刑しました。―出エジプト記 32章。

宗教的像の使用に激しく反対してきたのはユダヤ人だけではありません。古代の世俗の歴史家たちは,タクムルプというペルシャの支配者にまつわる伝説の記録を残しています。この支配者は,モーセより数百年前に,像崇敬に反対して大規模な撲滅運動を展開したと言われています。中国の伝説に出てくる一人の王は,様々な神の彫像に対して軍事的な攻撃を加えたとされています。像を破壊した後,この王は土くれで作られた神々への崇敬を愚行として非難しました。時代は下って,マホメットがまだ子供だったころ,崇拝に像を使うことに反対するアラブ人がいました。彼らがマホメットに与えた影響は,偶像礼拝に対するその後のマホメットの見方に表われています。マホメットはコーランの中で,偶像礼拝は許しがたい罪であり,偶像礼拝者のために祈ってはならず,偶像礼拝者との結婚は禁じられていると教えています。

キリスト教世界の中でさえ,イレナエウス,オリゲネス,カエサレアのエウセビオス,エピファニオス,アウグスティヌスなど,西暦2世紀から5世紀までの著名な宗教家たちは,崇拝に像を用いることに反対しました。西暦4世紀の初めごろ,スペインのエルビラで,大司教の一団が像崇敬に反対する重要な決議を数多く採択しました。この有名なエルビラ会議の結果,教会内に像を置くことが禁じられ,像を崇拝する人たちに対して厳しい罰が加えられることになりました。

聖像破壊者

こうした事態は,歴史上最大規模の論争,つまり8世紀と9世紀の聖像破壊論争へと発展しました。ある歴史家は,この「熾烈な論争は150年間も続き,言うに言えない苦悩をもたらし」,「帝国が東西に分裂する直接の原因の一つになった」と述べました。

像に反対するこの運動の一環として,ヨーロッパ全土で像が取り除かれたり壊されたりしました。崇拝での像の使用を廃止するために,幾つかの像禁止令が実施されました。像崇敬は白熱した政治問題となり,皇帝と教皇,また将軍と大司教を神学上の戦争に引きずり込みました。

しかも,これは単なる言葉による論戦ではありませんでした。マクリントクとストロング共編の「聖書,神学,教会に関する著作百科事典」によると,皇帝レオ3世が教会での像の使用を禁じる布告を出した後,人々は「集団でその布告に反対して立ち上がり,特にコンスタンティノープルでは,暴力による騒動が」日常茶飯事となりました。皇帝側の兵隊と人民とが衝突すると,処刑や虐殺が生じました。修道士たちは残酷な迫害を受けました。それから数百年後の16世紀には,スイスのチューリヒで,教会での像の使用に関して数多くの公開討論が行なわれました。その結果,教会から像をすべて取り除くことを義務づけた法令が定められました。宗教改革者の中には,像崇拝を厳しく非難し,しばしば暴力を行使したことで知られている人もいます。

今でさえ,崇拝の際の像の使用について,現代神学者の意見は大きく分かれています。次の記事をお読みになれば,像の使用が,神に一層近づく本当の助けになるかどうかを判断することができます。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする