ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔94 1/1 28–31ページ
  • 私は何ものにも勝る宝を見つけました

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 私は何ものにも勝る宝を見つけました
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 家族の背景
  • 真の宝を見いだす
  • 父との伝道旅行
  • 様々な試練に遭遇する
  • アデレードでの宣教
  • 生涯にわたって続いた教育
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2004
  • 警察官からクリスチャンの奉仕者へ
    目ざめよ! 1993
  • 1986 エホバの証人の年鑑
    1986 エホバの証人の年鑑
  • 真の満足を伴う冒険に満ちた人生
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
塔94 1/1 28–31ページ

私は何ものにも勝る宝を見つけました

フローレンス・ウィドーソンの語った経験

夕暮れが迫っていたので,小さな沼のほとりでキャンプすることにしました。女性二人がキャンプする場所としてはあまり良い所とは言えませんでしたが,一晩ぐらいなら大丈夫だろうと思いました。私がせっせとテントを張っている間に,マージョリーが夕食の支度をしました。

テントの最後の杭を打ち終わったその時,黒い木の切り株の近くで何かが動くのが目に留まりました。「あの切り株が動いたのを見た?」と,私はマージョリーに大声で言いました。

「いいえ」,少し当惑した様子で彼女は答えました。

「でも,本当に動いたのよ。なべを貸して!」と私は叫びました。

私はなべを手に取り,肩に斧を担いで沼の方に向かって行きました。切り株の一歩手前に来た時,後ろから一人の男が出てきたのです。

「この沼の水は飲めますか」と,私はしどろもどろに言いました。

「いや,飲めない。でも飲み水が欲しけりゃ持って来てやろうか」と男は無愛想に答えました。

私はすぐにその申し出を丁重に断わりました。男は突然向きを変えて立ち去ったのでほっとしました。私は震えながら急いでマージョリーの所へ戻り,起きたことを話しました。私たちは大急ぎでテントをたたみ,荷造りしてそこを離れました。あの男が刑務所から釈放されたばかりだったことは,後になって知りました。

1937年当時,オーストラリアの金鉱地で探鉱者はよく野宿しましたが,私たちは異なる種類の探しものをしていました。私たちは,神にとって貴重な人々を探していたのです。

家族の背景

百年前,私の父は,ビクトリア州のポレプンカという小さな村で鍛冶屋を営んでいました。1895年に私はそこで生まれ,バッファロー山麓のオーブンス川の近くで,4人の兄と共に成長しました。両親は連合教会の礼拝に欠かさず出席しており,私は父が校長を務めていた日曜学校に通いました。

1909年のひどい嵐の時に,母は心臓発作で倒れ,父の腕の中で亡くなりました。それから1914年の初頭,兄の一人が家を出,数時間後に遺体となって戻って来ました。兄は自殺したのです。教会の教えは,私たちの悲嘆を深めるばかりでした。自殺は許されない罪なので,兄は地獄に行くと言うのです。

その年の後半に,第一次世界大戦が勃発し,兄の二人が志願して外地へ赴きました。流血や苦悩についての恐ろしいニュースがきっかけで,父と私たち6人の若い女性は聖書のヨハネによる書を学び始めました。

真の宝を見いだす

エレン・ハドソンは,チャールズ・テイズ・ラッセルの「時は近づけり」という本を持っていました。その本に対する彼女の熱意は,グループの私たちにも影響を与えました。エレンは,その本が「聖書研究」と題する6巻から成る双書の1冊に過ぎないと知ると,メルボルンにある国際聖書研究者協会に手紙を書いて残りを注文しました。私たちは週ごとの研究で,第1巻の「世々に渉る神の経綸」を用いることにしました。

火の燃える地獄などないことを知った,父と私の喜びを想像してみてください。兄が火の燃える地獄に閉じ込められているという恐れは取り除かれたのです。私たちは真理を知りました。死者は,ちょうど眠っている時のように無意識で,どこかで責めさいなまれてはいないのです。(伝道の書 9:5,10。ヨハネ 11:11-14)一緒に聖書研究をしていた幾人かは,近所に出かけて行き,学んでいる真理を伝えることにしました。私たちは,近くの家へは徒歩で行きましたが,田舎へ行くには自転車や一頭立ての二輪馬車を使いました。

私が初めて家から家の証言活動をしたのは,1918年11月11日の休戦記念日でした。一緒に研究していた私たち3人は,ウォンガラッタの町まで約80㌔の旅をして,「一般人の説教壇」というパンフレットを配布しました。冒頭で触れた経験は,この何年か後,割り当てられていた奥地で証言していた時のことです。

私は1919年にメルボルンで開かれた聖書研究者の大会に出席しました。その大会で,1919年4月22日にエホバへの献身の表明として水の浸礼を受けました。霊的な宴に出席して,天の王国の霊的な宝とエホバの地上の組織に対する認識が深まりました。―マタイ 13:44。

大会後,私は実家には戻らず,全時間奉仕者のジェーン・ニコルソンと共に1か月のあいだ証言活動を行なうようにとの招待に応じました。私たちの割り当てられた区域は,キング川沿いの農業と牧畜を行なっている村々でした。この山岳地方は,ほんの数年前「スノーリバー 輝く台地の果てに」という映画の舞台となったところです。

1921年には,聖書研究を行なうためのすばらしい助けとなる「神の立琴」という本を受け取りました。父が日曜学校のクラスでこの本を教材として使い始めると,保護者の多くは反対し,教師をやめるよう父に迫りました。父は直ちにそうしました。私たちは後日,「地獄」という小冊子を受け取りました。その表紙には,「それは何か。だれがそこにいるか。そこから出ることができるか」という興味をそそる質問が載っていました。この問題についての明白な聖書の証拠にとても感激した父は,すぐにこの小冊子を家から家に配布するようになりました。父は,私たちの住んでいた村や近くの田舎の区域に何百冊も配布したのです。

父との伝道旅行

ついに父は,他の区域に住む人々にも王国の音信を伝えようと,自動車を購入しました。鍛冶屋の父は,車より馬に慣れていたので,私が運転手になりました。初めは宿屋に泊まりました。でもこれは高すぎることがすぐに分かり,野宿するようになりました。

父は,車の前の座席を改造して倒せるようにし,私が車の中で寝られるようにしてくれました。小さなテントを張り,そこで父が寝ました。数週間キャンプをすると,父が鍛冶屋をまた開けるポレプンカに戻ります。不思議だったのは,その場で支払いをする客がいつも大勢いて,次の伝道旅行の費用を賄えたということです。

心が義に向いている大勢の人々は,私たちの訪問に良い反応を示し,やがて家庭聖書研究に応じました。最初にポレプンカの小さなグループが奉仕したこの区域には,現在七つの会衆があり,それぞれ王国会館を持っています。実際,「小さな事の日」を侮ることができる人などいるでしょうか。―ゼカリヤ 4:10。

1931年に父と私は,でこぼこ道を300㌔近く走って特別集会に出席しました。その特別集会で「エホバの証人」という新しい名称が採択されました。父も私も聖書に基づくこの独特な名称に胸を躍らせました。(イザヤ 43:10-12)この「エホバの証人」という名称は,それまで知られていた「国際聖書研究者」という,他と区別のつきにくい名前よりもはるかに明瞭に私たちの立場を明らかにしました。

ある日,ベタンガという町で証言していると,地元の聖公会の牧師に会いました。牧師は怒りだし,たくさんの書籍がどこで配布されたかを突き止め,書籍をよこすよう人々に要求しました。それから町の中心地で,それらの本を公衆の面前で焼き捨てさせました。しかし,牧師の卑劣な行ないは逆効果となりました。

何が起きたのかを支部事務所に知らせると,牧師の行ないを糾弾する公開状が印刷されました。そして,エホバの証人が何台もの車に乗り合わせて,その地域全体に公開状を配る手はずも整いました。父と私が後ほど,この町を再び訪れると,以前より多くの書籍を配布しました。町の人々は,“禁じられた”本に何が書かれているかを知りたがっていたのです。

私たちの伝道を通して,ビクトリア州の北東部で聖書の真理を最初に受け入れたのはミルトン・ギブです。私たちの訪問の間に,ミルトンは私たちが置いていった協会の出版物をすべて徹底的に研究しました。彼を再訪問したある時のこと,ミルトンは,「私はあなたの弟子になりました」と言って私たちをびっくりさせました。

その決定はうれしく思いましたが,「いいえミルトン,私の弟子になることはできないのですよ」と説明しました。

「それじゃ,私はラザフォード[当時のものみの塔協会の会長]の弟子です」。

私は再び,「いいえ,ラザフォードの弟子にもなれません。ただキリストの弟子になって欲しいんです」と指摘しました。

ミルトン・ギブは,私が長い年月を費やして探し出してきた,貴重な宝のような多くの人々の一例です。ミルトンと二人の息子はクリスチャンの長老であり,家族のほかの成員も活発に会衆と交わっています。

様々な試練に遭遇する

オーストラリアでのエホバの証人の活動は1941年1月に禁止されましたが,私たちは聖書だけを使って伝道し続けました。その後,私は重病を患う父の世話のために家に呼び戻され,開拓奉仕,つまり全時間宣教を中断しました。後に,私も病気になり,難しい手術を受けなければならなくなりました。回復するまでにしばらく時間がかかりましたが,「わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない」という神の約束が真実であることを経験しました。(ヘブライ 13:5)一人のクリスチャンの姉妹は,このように言って私を励ましてくれました。「フロー,覚えていてちょうだい。あなたは決して独りじゃないのよ。それにあなたとエホバが組めばいつも百人力よ」。

それから,愛する父は13週間にわたって末期的な病状を患いました。1946年7月26日に,父は死の眠りに就きました。父は満ち足りた人生を送り,また天的な希望を抱いていました。(フィリピ 3:14)それで,若いころをほとんど父と共に過ごした私は,51歳にして独りになってしまいました。その後,未来の夫に出会いました。1947年に結婚し,共に開拓奉仕を始めました。しかし,この幸せな時期も長続きしませんでした。というのは,主人は1953年に脳卒中で倒れ,体が不自由になってしまったからです。

主人は言語機能にひどい障害をきたしたので,会話を交わすことが事実上できなくなりました。このことは,主人を看護する上で一番つらい点でした。主人が懸命になって話そうとする事柄を理解しようと,神経のすり減る思いをしたものです。私たちは孤立した地域に住んでいたので近くに会衆はありませんでしたが,試みとなったその年月の間,エホバは私たちを見捨てたりはされませんでした。私は,組織から出されるすべての最新の情報や,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を通して絶え間なく与えられる霊的な食物に通じるようにしました。愛する主人は,1957年12月29日に亡くなりました。

アデレードでの宣教

また独りになってしまいました。私は何をしたらよいのでしょうか。5年近くブランクがあるのに,再び全時間奉仕者として認められるでしょうか。開拓者として承認されたので,家を売り払い,サウスオーストラリアの州都アデレードで開拓奉仕を再開しました。その当時,アデレードでは開拓者が必要で,私はプロスペクト会衆に割り当てられました。

私は都会で運転するのが怖かったので,車を売り,自転車にまた乗るようになりました。自転車には86歳になるまで乗っていました。そのため区域で“青い自転車の小柄な婦人”として知られるようになりました。やがて,人や車の往来にだんだん参ってきました。自転車の前輪がいつも揺れている気がするのです。ある日の午後,垣根に突っ込んで,自転車に乗るのをとうとうあきらめました。『これまでだわ』と思い,また歩くようになりました。

数年前に地域大会に出席している時,両脚が動かなくなり,後に股関節の手術を2回受けなければなりませんでした。手術後は順調でしたが,大きな犬に襲われて転ぶまでのことでした。それでさらに治療が必要となり,以来歩き回るのに歩行器の助けを借りなければならなくなりました。しかし頭の回転は相変わらずしっかりしています。ある友人がそのことについて,「姉妹の気の若さに,もう若くはない体がついて行けないようですね」と言ったとおりです。

幾年にもわたり,アデレードの諸会衆が成長,発展して分会するのを見てきました。その後,1983年,88歳の時に,ビクトリア州のキャーブラムにいる一家族と暮らすことになりアデレードを離れました。10年間ここで幸せに生活しています。私は今でもなんとか野外宣教に出かけています。私から定期的に雑誌を受け取っている人たちのところへ,会衆の友人たちが車で連れて行ってくれるのです。そして親切なことに,家の人も車のところまで出て来てくれますので,話ができます。

私の98年あまりの人生を振り返ると,共にエホバを賛美した大勢の忠節かつ忠実な人々,特にすばらしい父のことを懐かしく思い出します。私は,開拓奉仕でパートナーを組んだ忠実な人たちよりも長生きしたようです。しかし,神の天の王国で命の賞を受ける希望を抱いていたそれらの人たちと再会できるという,何とすばらしい喜びが私を待ち受けているのでしょう。確かにこれは何ものにも勝る宝です。

[28ページの図版]

私は1919年4月22日にバプテスマを受けた

[31ページの図版]

100歳近くになった今でもエホバに仕えられるのは幸福なこと

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする