弁当が証しをする
阪神大震災の後,被災地の人々にとって,食糧を手に入れるのは容易なことではありませんでした。地震後,何週間かたっても店は閉まったままで,ガスや水もなかったために煮炊きをすることもできず,ほとんどの人はまともな食事をしていませんでした。わたしたちの兄弟姉妹たちは,仲間の親切な援助により,必要物に事欠くことはありませんでした。最初の二,三日は,近隣の会衆がおにぎりの炊き出しをしました。やがて,気遣いを示す友たちが,野菜や魚,肉,サラダなど滋養に富むおかずの入った,弁当をこしらえるようになりました。弁当の多くには,被災者への気遣いを示すメモが添えられていました。弁当を受け取った人たちは,添えられたメモを読むと涙が止まらなくなるので,毎回,食事が,「塩で味つけ」されてしまったと述べました。それらの弁当は,本当に心のこもったものでした。
エホバの証人は,困っている他の人々と,自分たちの食べ物を分け合いました。一人の証人は,エホバの証人ではない,会社の同僚と一緒に車に乗っている間に昼食を取らなければならなくなりました。それで,この人は,エホバの証人の救援物資から受け取った弁当をその人に分かちました。
「一体どこで買って来たんだ」と,その同僚は尋ねました。そこで兄弟は,エホバの証人の救援活動について説明しました。「野菜を食べるのは本当に久しぶりだ。家族に持って帰ってやりたい」と,その同僚は感謝をこめて述べ,弁当と一緒に渡されたサラダを持って帰りました。
そんなことが3度目にあったとき,その同僚は証人に3,000円を差し出し,こう言いました。「食事代と言うのは失礼やけど,あんたの行なっている活動についてはよく知っとるから,是非寄付させてください。わたしにまで分けてもらってほんまに悪いなぁ。そやけど,ほんまに親切な人ばかりやねんなぁ」。