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  • お子さんを全寮制の学校に行かせるのは望ましいことですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
塔97 3/15 25–28ページ

お子さんを全寮制の学校に行かせるのは望ましいことですか

発展途上国の小さな町に住んでいるとしましょう。あなたには小学生の子供が幾人かいます。子供たちは12歳になれば中学校に進学します。地元の中学校は,生徒が多過ぎる上に設備が貧弱で,教職員に関しても不安があります。学校はストライキによって,何週間も何か月も閉鎖されることがあります。

ある人から,都市の全寮制の学校に関する体裁のよいブロシュアーを手渡されます。身なりのよい幸せそうな生徒たちが,設備の整った教室や実験室,また図書室で勉強している写真が載っています。生徒はコンピューターをのぞき込んだり,清潔で魅力的な寮の部屋でくつろいだりしています。学校の目標の一つは,生徒たちが「到達可能な最高水準の学問を身に付ける」よう助けることである,と書かれています。さらに,「すべての生徒には,礼儀,丁重さ,親や年長者に対する敬意,協力,寛容,親切,正直,また忠節などが重んじられる家庭で普通に期待されるのと同様の行動規準に従うことが求められています」とも記されています。

笑みをたたえた年若い男子の言葉が引用されています。「両親は,最高の学校に行くという,一生の特権を与えてくれました」。ある女の子は,「学校は張り合いのあるところですし,興奮に満ちています。ここにいると,おのずと勉学に励みたくなります」と述べています。あなたなら,お子さんたちをそうした全寮制の学校に行かせますか。

教育と霊性

子を思う親はみな,自分の子供が人生の良いスタートを切ることを願います。そのために,しっかりとした,平衡の取れた教育は大切です。多くの場合,世俗の教育を受けることによって,将来の就職の機会が開かれますし,年若い人たちは自分と将来の家族とを養える大人になるよう助けられます。

『もし全寮制の学校が良い教育を施し,同時にある程度の道徳的な指導を行なうのであれば,それを活用してもよいのではありませんか』と,お尋ねになるかもしれません。クリスチャンの親は,この質問の答えを得る際に,自分の子供の霊的福祉という極めて重要な要素を祈りのうちに考慮すべきです。イエス・キリストは「人が全世界をかち得ても,それによって自分の魂を失うなら,いったい何の益があるでしょうか」と問いかけておられます。(マルコ 8:36)もちろん,何の益にもなりません。ですから,自分の子供を全寮制の学校に行かせるという決定を下す前に,クリスチャンの親は,それが子供の永遠の命の見込みにどう影響するかを考慮すべきです。

他の生徒の影響

ある全寮制の学校の学問的な水準はかなり高いことでしょう。しかし,そうした学校の生徒の道徳規準,あるいはもしかしたら経営者たちの道徳規準に問題はありませんか。この「終わりの日」にどんな人々が多くなるかについて,使徒パウロはこう書きました。「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい」― テモテ第二 3:1-5。

この地球規模の道徳的また霊的な退廃は,聖書の原則に沿って生きようとするエホバの証人にとって試みとなります。毎日自宅から通学している生徒は,世の学友との限られた交わりでさえ,霊性に大きな悪影響を及ぼし得ると感じています。たとえ親から支えや助言,また励ましを日ごとに受けるとしても,証人である子供は,そのような悪影響を除き去るために苦闘を強いられることがあります。

それでは,家を離れて全寮制の学校に行くようになった子供の状況はどうでしょうか。彼らは孤立無援で,ふだん得ていた愛ある親の霊的な支えから切り離されています。クラスメートと四六時中一緒に暮らすので,大勢に従わせようとする圧力が若い思いと心に与える影響は,家から通う生徒が受けるであろう影響よりも大きくなります。ある生徒は,「寮生は朝から晩まで,道徳的な危険にさらされています」と述べました。

パウロは,「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです」と書き記しました。(コリント第一 15:33)クリスチャンの親が,自分の子供なら神に仕えていない人といつも交わっていても霊的な害は被らない,という誤った考えに陥るようなことがあってはなりません。敬虔な子供でも,時が経つにつれ,クリスチャンの価値観に対して無感覚になり,霊的な事柄に対する認識をすべて失ってしまうことがあります。子供が全寮制の学校から出た後にはじめて,このことが親に明らかになることもあります。事を正すには時すでに遅し,という場合も少なくありません。

クレメントの経験は典型的な例です。彼はこう述べています。「全寮制の学校に行く前は,真理に対する愛を抱いていましたし,兄弟たちと野外奉仕にも出ていました。特に,家族で行なう聖書研究や会衆の書籍研究に参加することは喜びでした。ところが,14歳の時に全寮制の学校に行ってからは,真理から全く離れてしまいました。そこにいた5年間というものは一度も集会に出席しませんでした。悪い仲間たちと付き合っていたせいで,麻薬,たばこ,それに大酒にふけるようになりました」。

教師の影響

どんな学校でも,権威ある立場を乱用する道徳的に堕落した教師がいる可能性はあります。無慈悲で厳しい人もいれば,生徒を性的に利用する人もいます。そのような教師の行動は全寮制の学校の場合,未報告に終わる可能性が高いのです。

しかし,教師のほとんどは,子供が社会に貢献できる人間になれるよう,またまわりの世界に合わせて順応できるよう,誠実に訓練しようとします。ところが,それは証人である子供にとって,別の問題の原因となります。世の価値規準は,必ずしもクリスチャンの原則と一致するわけではありません。教師は生徒がこの世に合わせることを勧めますが,イエスはご自分の追随者たちが「世のものではない」と述べられました。―ヨハネ 17:16。

子供が聖書の原則に従っているときに,問題が生じたならどうでしょうか。もし子供が自宅から地元の学校に通っているなら,そのような事柄は親と話し合うことができます。その後,親は子供に指示を与えることができ,恐らく教師と話し合うこともできるでしょう。その結果,普通,問題や誤解は直ちに解決します。

全寮制の学校ではそう簡単にはいきません。そこの生徒は,いつでも教師に監督されています。子供がクリスチャンの原則を擁護する立場を取るときも,親の日々の支えがないまま,そうしなければなりません。子供たちは時々,そのような状況下でも,どうにか神への忠実を保ちます。しかし,そうでない場合のほうが多いのです。おそらく,子供は教師の意向に屈してしまうでしょう。

制限される行動

学生たちが通常,自分の好きなように自由に行き来できる大学とは違い,全寮制の学校は子供の行動を制限します。これらの学校の多くは,日曜日以外に生徒が学校の敷地を離れることを許しません。日曜日の外出すら許可しないところもあります。エルという名の11歳の全寮制の学校の生徒は,こう述べています。「学校の責任者たちは,決して集会に行かせてくれません。野外奉仕などもってのほかです。学校には,カトリック教徒とイスラム教徒のための礼拝しかありません。生徒は皆,どちらかを選ばなければなりません。さもなければ,教師と生徒からひどい仕打ちを加えられることになります。国歌や教会の賛美歌を歌うことも強いられます」。

親が子供をそのような学校に入れることは,子供にどのような印象を与えるでしょうか。世俗の教育のほうが,崇拝のために集まったり,弟子を作る業に参加したりするよりも,さらには神への忠誠よりも大切であるとの印象を与えることになるでしょう。―マタイ 24:14; 28:19,20。コリント第二 6:14-18。ヘブライ 10:24,25。

証人である生徒たちが何とか聖書を一緒に勉強している全寮制の学校もありますが,たいていはそれさえ容易ではありません。ブレシングという名の16歳の若者は,自分の全寮制の学校についてこう述べています。「毎日,いわゆるクリスチャンと呼ばれる人たちが,祈りのために集まります。私たち証人は,自分たちだけで研究が行なえるよう頼みます。でも最上級生は,私たちの組織は認められていないと言い,祈りに加わるよう強要します。拒否するなら罰せられます。先生に助けを求めようものなら,事態はさらに悪化します。先生は私たちをさんざんののしり,最上級生に私たちを罰するよう命じます」。

皆とは違う者として際立っている

全寮制の学校の生徒がエホバの証人として良く知られているとき,その事実は有利に働くことがあります。学校当局は,証人の信条と相いれない,必修とされる偽りの宗教の活動への参加を免除してくれるかもしれません。仲間の生徒は,不健全な活動や会話に巻き込もうとするのをやめるかもしれません。仲間の生徒や教師に証言する機会が開かれるかもしれません。さらに,クリスチャンの原則に沿って生きる人に,重大な悪行の嫌疑がかけられることはないでしょう。時には,そのような人たちが,教師や仲間の生徒の尊敬を勝ち得ることさえあります。

しかし,事はいつもそううまく行くとは限りません。皆とは違う者として際立っている年若い人は,生徒と教師両方からのいじめや嘲笑の対象となることが少なくありません。全寮制の学校にいる15歳の男の子インカは次のように言います。「もし学校でエホバの証人として知られているなら,標的にされます。彼らは,僕たちの霊的な立場も道徳的な規準も知っているので,わなに陥れようとします」。

親の責任

どんな教師や学校や大学にしても,子供をエホバの献身した僕に育て上げる,という仕事を引き受けようとするのは正しくありません。それは,教師や学校の義務でも責任でもないのです。神の言葉は,親自身が子供の霊的必要を顧みるべきであると述べています。パウロは,「父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」と書きました。(エフェソス 6:4)もし子供たちが,月に1度か2度しか面会が許されないような全寮制の学校に行ってしまうなら,親は神のこの助言をどのように当てはめることができるでしょうか。

状況は個々の場合で大いに異なりますが,クリスチャンの親は,霊感を受けた次の言葉に調和して行動するよう懸命に努力するはずです。「当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」― テモテ第一 5:8。

別の選択肢はあるか

全寮制の学校か,設備が整っていない地元の学校のどちらかを選ぶしかないようであれば,親はどうしたらよいでしょうか。このような状況に置かれた親の中には,子供に個人授業を受けさせ,地元の学校での教育を補足する人もいます。自ら自分の子供を教えるために時間を取り分けている親もいます。

子供が中学校に入るかなり前から計画を立てることによって,問題を回避する親もいます。もしあなたに小さな子供がいるなら,あるいは子供を育てる計画を立てているなら,近辺に適当な中学校があるかどうか調べてみるのは良いことでしょう。もし無いようであれば,そのような学校の近くに引っ越すことができるかもしれません。

エホバへの愛を子供に植え付けるには,技術,辛抱強さ,そして多くの時間が求められることを,親はよく知っています。もし,子供が家に住んでいるときですらそれが難しいのであれば,子供が遠くに住んでいるときはなおさらです。子供の永遠の命が関係しているのですから,危険を冒してまで子供を全寮制の学校にゆだねるほどの価値があるのか,親は真剣に,かつ祈りのうちに決めなければなりません。全寮制の学校の教育から益を得ようとして,子供の霊的な関心事を犠牲にするのは,何と近視眼的なことでしょう。それはちょうど,小間物を取りに燃えている家に走り込む人のようで,結局は自分自身も焼き尽くされてしまうのです。

神の言葉はこう述べています。「災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける」。(箴言 22:3)悪い状況を後で正すより,それを未然に防ぐほうが勝っています。『子供を全寮制の学校に行かせるべきだろうか』と自問する時に,このことを念頭に置くのは賢明なことでしょう。

[28ページの囲み記事]

全寮制の学校について回想する年若い証人たち

「全寮制の学校では,証人である子供は,霊的な交わりから切り離されています。そこは非常に厳しい環境で,悪いことを行なわせようとする大きな圧力が加えられます」― ロティミ,11歳から14歳まで全寮制の学校にいた。

「特に大変だったのは,クリスチャンの集会に出席することでした。日曜日にしか出席できませんでしたが,その場合も,生徒が並んで教会に行く時に,こっそり抜け出さなければなりませんでした。楽しいと思ったことなどありませんでした。というのは,家ではすべての集会に出席することが習慣になっていましたし,土曜日と日曜日には野外宣教に行っていたからです。私にとって学校で経験したことは,築き上げられるようなものではありませんでした。多くの良いものを失いました」― エスター,学校の教会での礼拝に参加しようとしなかったため教師たちにいつも決まって体罰を与えられ,叩かれた。

「全寮制の学校で仲間の生徒に証言するのは,容易なことではありませんでした。皆と違った人間として目立つのは楽ではありません。まわりの人と同じことをしていたいと思いました。集会に行ったり,野外奉仕に参加できたなら,もっと勇気が湧いたかもしれません。しかし集会と野外奉仕は,年にわずか3回の休みの時しか行けませんでした。もしランプに油が補充されなければ,ともしびは暗くなります。学校も同じです」― ララ,11歳から16歳まで全寮制の学校にいた。

「もう全寮制の学校には行っていないので,とても幸せです。すべての集会に出席し,野外奉仕に参加し,家族全員で日々の聖句を楽しむことができるからです。学校へ行くことに益がないとは言えませんが,エホバとの関係に勝るものは,何もありません」― ネオミ,全寮制の学校から出してほしいと父親に申し出,納得してもらった。

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