ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔98 12/15 5–9ページ
  • イエスの誕生 ― それに関する真実

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • イエスの誕生 ― それに関する真実
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 書かれた目的
  • イエスがベツレヘムで生まれる
  • エホバは真理を謙遜に求める人々に恵みを示される
  • 子供が危険にさらされる
  • キリストの誕生 ― それがあなたに意味するもの
  • イエスの誕生の記録から学べること
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
  • 神の「とこしえの目的」にかかわるメシア
    人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
  • 読者からの質問
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
  • イエスの誕生 ― いつ,またどこで?
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
塔98 12/15 5–9ページ

イエスの誕生 ― それに関する真実

あなたの国の歴史で広く知られている出来事について考えてみてください。そのことは複数の歴史家によって十分に裏づけられ,詳しく書かれています。そこへ,そんなことは起きなかった,全部作り話だと,だれかに言われたならどうでしょうか。あるいはもっと身近な例として,自分の家族から聞いた祖父の誕生と若いころについての話の大部分は間違っていると,だれかに言われたならどうでしょうか。どちらの場合も,そう言われただけで感情を害するかもしれません。きっとそうした主張を真に受けたりはしないことでしょう。

にもかかわらず,今日の批評家たちはマタイとルカの記したイエスの誕生に関する福音書の記録を退けるのが普通です。それらの記述はどうしようもないほど矛盾していて相いれず,どちらにも全くの偽りと歴史上の間違いが含まれている,と言うのです。本当にそうなのでしょうか。そうした非難をうのみにするのではなく,自分で福音書の記録を検討することにしましょう。その際に,今日それらの記録がわたしたちに何を教えているかを調べてみましょう。

書かれた目的

まず最初に,聖書のそれらの記述が書かれた目的を覚えておくことは助けになります。それらは伝記ではありません。福音書なのです。この違いは重要です。伝記の著者は何百ページも使って,主人公がそれほど有名な人物に成長していったいきさつを描こうとします。ですから,伝記の中にはたくさんのページを割いて主人公の家柄や生まれや幼年時代を詳述するものもあります。福音書はそうではありません。四福音書の記録の中で,イエスの生まれと幼年時代について伝えているのは,マタイによる書とルカによる書の二つだけです。しかし,その意図はイエスが現に知られているとおりの人物に成長したいきさつを描くことではありませんでした。思い出してください,イエスの追随者たちはイエスが地上に来る前から霊の被造物として存在していたことを知っていたのです。(ヨハネ 8:23,58)ですから,マタイとルカは,イエスがどんな人になったかを説明するためにイエスの幼年時代のことを引き合いに出したりはしませんでした。むしろ,福音書の目的に合う出来事を伝えたのです。

さらに,福音書はどんな目的で書かれたでしょうか。“福音”という語には,“良いたより”という意味があります。マタイもルカも同じこと,つまり,イエスが約束のメシア,すなわちキリストであったこと,人類の罪のために死んだこと,天に復活させられたことを伝えようとしました。しかし,二人は著しく異なる背景を持っており,対象となる読者も異なりました。収税人だったマタイは,おもにユダヤ人を対象にして書きました。医師であったルカは,ある種の高い地位にあったと考えられる,「きわめて優れたテオフィロ」にあてて,またひいては,ユダヤ人と異邦人の幅広い読者にあてて書きました。(ルカ 1:1-3)どちらの筆者もそれぞれ特定の読者に最も関係があり,最も説得力を持つと思われる出来事を選びました。ですから,マタイの記録はイエスに関連して成就したヘブライ語聖書の預言を強調しているのに対し,ルカはユダヤ人ではない読者も理解できるように,より標準的な歴史的手法を取っています。

当然ながら,二人の記述は異なっています。しかし,批評家たちが言うように互いに矛盾しているわけではありません。互いに補い合い,うまくかみ合って,事の全容をいっそうはっきりさせているのです。

イエスがベツレヘムで生まれる

マタイもルカもイエスの誕生に関する際立った奇跡,つまりイエスが処女から生まれたことを記録しています。マタイは,この奇跡がイザヤによって何世紀も前に述べられていた預言の成就であることを示しています。(イザヤ 7:14。マタイ 1:22,23)ルカの説明によると,イエスがベツレヘムで生まれたのは,カエサルが登録を実施し,ヨセフとマリアがそこに旅することを余儀なくされたためでした。(7ページの囲み記事をご覧ください。)イエスがベツレヘムで生まれたことには重要な意味がありました。預言者ミカは何世紀も前に,エルサレムに近い,この一見取るに足りない小さな町からメシアが出ることを予告していたのです。―ミカ 5:2。

イエスが生まれた夜は,降誕の場面の根拠として有名になっています。しかし,それに関する真実は,よく目にする描写とはかなり異なっています。歴史家ルカは,人口調査のためにヨセフとマリアがベツレヘムへ赴いたことを述べると共に,羊飼いたちが群れの羊と共に屋外でその大切な晩を過ごしていたことも述べています。これら二つの状況から,多くの聖書研究者たちは,イエスが12月に生まれたはずはないと結論するに至りました。それらの人たちは,カエサルが一触即発の危険をはらむユダヤ人たちに,寒くて雨の多い季節に郷里の都市への旅を強いるとは考えにくいことを指摘します。そんなことをすれば反逆的な民を一層憤慨させかねないからです。また学者たちは,そうした厳しい天候のもとで羊飼いたちが群れの羊と共に戸外に住むことも考えにくいとしています。―ルカ 2:8-14。

エホバがみ子の誕生を知らせることにされたのは,学識があり,影響力の大きい当時の宗教指導者たちではなく,戸外に住んでいた,素朴な労働者たちだったということに注目してください。書士やパリサイ人は,羊飼いとはほとんど接触を持たなかったようです。羊飼いたちは仕事が不規則で,口伝律法の細かな点を守りきれないこともあったからです。しかし,神はそれらの謙遜で忠実な人々に大きな誉れをお与えになりました。み使いたちの一団から,神の民が何千年ものあいだ待ち望んできたメシアがたった今ベツレヘムで生まれたということを知らされたのです。マリアとヨセフのもとを訪れ,飼い葉おけの中に横たわっているあどけない赤子を見たのは,降誕の場面にしばしば登場する“三王”ではなく,これらの羊飼いたちでした。―ルカ 2:15-20。

エホバは真理を謙遜に求める人々に恵みを示される

神は,ご自分を愛し,ご自分の目的の成就を見ることに鋭い関心を抱いている謙遜な人々に恵みを示されます。このことは,イエスの誕生にまつわる出来事において繰り返し示されています。子供が生まれて1か月ほどたち,モーセの律法にしたがってイエスを神殿で差し出す時,ヨセフとマリアは「やまばと一組もしくは若いいえばと二羽」の捧げ物をします。(ルカ 2:22-24)律法は実際には雄羊1頭をささげることを求めていましたが,貧しい人たちにはその代わりにそれほど高価でないこの捧げ物をすることを認めていました。(レビ記 12:1-8)考えてもみてください。宇宙の主権者であられるエホバ神は,ご自分の愛する独り子を養育する家庭として,裕福な家庭ではなく,貧しい家庭を選ばれたのです。このことは親の立場にある人に対し,子供たちに与え得る最善の贈り物は,霊的に価値ある事柄を第一にする家庭環境であることを鮮明に思い起こさせるものとなるでしょう。それは物質の富や一流の教育よりもはるかに優れています。

神殿では,さらに二人の忠実で謙遜な崇拝者たちがエホバの恵みを得ました。その一人はアンナという84歳のやもめです。この人は,『神殿から離れたことがありません』でした。(ルカ 2:36,37)もう一人はシメオンという名の忠実な老人です。二人とも神が自分たちに与えてくださった特権に胸をときめかせています。死ぬ前に,約束のメシアとなる方を見ているのです。シメオンはその子供について預言の言葉を述べます。その預言は希望に満ちたものですが,悲しみをも帯びていました。シメオンは,この若い母親マリアが愛する息子のことで悲嘆に刺し貫かれる日が来ると預言します。―ルカ 2:25-35。

子供が危険にさらされる

シメオンの預言は,このあどけない子供が憎しみの的になるという厳しい前途に注意を引いています。この憎しみは,イエスがまだ幼児であるころから,すでに作用しています。マタイの記述はその様子を詳しく伝えています。何か月かが過ぎ,ヨセフとマリアとイエスはベツレヘムの家に住んでいます。そこへ思いもかけずに幾人かの異国人が訪れます。降誕の場面で必ずと言っていいほど描かれているのとは異なり,マタイは何人の人が訪れたかを明示しておらず,それらの人たちを“三王”はおろか,“博士”とも呼んでいません。マタイが使っているギリシャ語マゴイには,「占星術者」という意味があります。このことだけを考えても,読者はそこに何かよこしまな力が作用していることを見て取れるはずです。占星術は神の言葉が非としている業であり,忠実なユダヤ人たちは細心の注意を払ってそれを避けたからです。―申命記 18:10-12。イザヤ 47:13,14。

それらの占星術者は星に導かれて東からやって来ました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」への贈り物を携えています。(マタイ 2:2)しかし,その星は彼らをベツレヘムではなく,エルサレムへ,しかもヘロデ大王のところへと導きます。幼子イエスに危害を加える手段と動機を持つ人物は,世界中でヘロデをおいてほかにはいません。この野心的で残忍な男は,肉親でも自分が脅威とみなした者を何人か殺していました。a 将来「ユダヤ人の王」になる者が生まれたと聞いて不安になったヘロデは,ベツレヘムにいるその子供を見つけるために占星術者たちを遣わします。占星術者たちが出発すると,奇妙なことが起こります。彼らをエルサレムへと導いたあの“星”が移動しているように見えるのです。―マタイ 2:1-9。

さて,これが空の実際の光であったのか,それとも単なる幻であったのかは分かりません。しかし,この“星”が神からのものでなかったことは確かです。それは悪意の表われとも言える正確さで,これら異教の崇拝者たちをまっすぐイエスのところへと導きます。そのイエスは,か弱く無力な子供で,貧しい大工とその妻に守られているにすぎません。図らずもヘロデの手先となった占星術者たちは,そのままでは,執念深いその君主のもとに戻っていたに違いありません。そうなれば,その子供は殺されてしまいます。しかし,神は夢によって介入し,彼らが別のルートを通って国に帰るようにさせます。ですから,その“星”は,何としてもメシアに危害を加えようとしていた,神の敵サタンの仕掛けたものだったに違いありません。その“星”と占星術者たちが降誕の場面で神の使節として描かれているのは何と皮肉なことでしょう。―マタイ 2:9-12。

それでも,サタンはあきらめません。この件でサタンの意のままに利用されているヘロデ王は,ベツレヘムの2歳以下の幼児を皆殺しにするよう命じます。しかし,サタンはエホバとの戦いで勝利を収めることができません。マタイは,神がずっと昔から,罪のない子供たちに対するこの残忍な虐殺をも予見しておられたと述べています。エホバはみ使いを通して,身を守るためにエジプトへ逃れるようにとの警告をヨセフに与え,またしてもサタンを阻止されます。マタイの伝えるところによると,しばらくしてからヨセフは自分の小さな家族を再び移動させ,最終的にナザレに落ち着き,その地でイエスは弟や妹たちと共に成長しました。―マタイ 2:13-23; 13:55,56。

キリストの誕生 ― それがあなたに意味するもの

イエスの誕生と幼年期にまつわる出来事のこのような要約を読んで,いささか意外に思っておられますか。そう感じる人は少なくありません。そうした人たちは,ある人たちの大胆な反対意見にもかかわらず,それらの記述が実際に調和しており正確であることを知って驚きます。何百年も前に予告されていた出来事もあるということを知って驚きます。また,福音書中の幾つかの大切な点が従来の降誕の物語やクレッシュで描かれている事柄とは大きく異なることに驚くのです。

しかし,たぶん最も驚くのは,伝統的なクリスマスの祝いのあまりにも多くが福音書の陳述の肝心な点をとらえ損なっていることでしょう。例えば,イエスの父,つまりヨセフではなく,エホバ神のことはほとんど考慮されません。愛するみ子をヨセフとマリアに託し,育て養わせることにされた時のエホバの気持ちを想像してください。ほんの子供にすぎないみ子をさえ亡き者にしようとたくらむ,敵意に満ちた王のいる世界で,み子が成長するようにされた時の天の父の苦悩を想像してください。こうした犠牲を払うようエホバを動かしたのは,人類に対する深い愛だったのです。―ヨハネ 3:16。

クリスマスの祝いにおいては多くの場合,本当のイエスが見えなくなっています。イエスが弟子たちにご自分の誕生日を教えたという記録さえなく,追随者たちがイエスの誕生日を祝ったことを示すものもないのです。

イエスが追随者たちに祝うようにと命じたのは,ご自分の死とその歴史的な意義であって,誕生ではありません。(ルカ 22:19,20)また,イエスは人々がご自分のことを飼い葉おけの中の無力な赤子として思い描くことを望んでいたのではありません。もはやそのような存在ではないからです。イエスは処刑後60年余りたって,幻の中で使徒ヨハネに対し,ご自分を戦いに乗り進む力ある王として示されました。(啓示 19:11-16)わたしたちが知らなければならないのは,神の天の王国の支配者という役割を担っておられる今日のイエスです。イエスは世界を変える王であるからです。

[脚注]

a 実際,カエサル・アウグスツスは,ヘロデの息子であるよりはヘロデの豚であるほうが安全だ,と述べています。

[7ページの囲み記事/写真]

ルカの誤りでしたか

ナザレで育ち,一般にナザレ人として知られていたイエスが,そこから約150㌔も離れているベツレヘムで生まれたということなどどうしてあり得るのでしょうか。ルカはこう説明しています。「さてそのころ[イエスが誕生する前],人の住む全地に登録を命ずる布告がカエサル・アウグスツスから出た。(この最初の登録はクレニオがシリアの総督であった時に行なわれたものである。)それで,すべての人が登録をするため,それぞれ自分の都市に旅立った」― ルカ 1:1; 2:1-3。

批評家たちは一般に,この陳述を大間違いとか,なお悪いことに作り話であるとして攻撃します。この人口調査がなされ,クレニオが総督として在任していたのは,西暦6年か7年のことだったと主張するのです。その主張が正しいとすれば,ルカの記述に対する重大な疑問が持ち上がります。証拠はイエスが西暦前2年に生まれたことを示唆しているからです。しかし,批評家たちはかぎとなる二つの事実を無視しています。第一に,ルカは人口調査が2度以上行なわれたことを認めています。ルカが「この最初の登録」と述べていることに注目してください。ルカはその後の別の登録についてもよく知っていました。(使徒 5:37)のちに行なわれたこの人口調査は,歴史家ヨセフスが述べているものと同じで,西暦6年に実施されました。第二に,クレニオの総督在任期間はイエスがあとの時期に生まれたはずだとみなす決定的な理由にはなりません。なぜでしょうか。クレニオは2度その地位に就いたものと思われるからです。多くの学者たちは,クレニオの最初の統治期間が西暦前2年ごろと重なっていたことを認めています。

ルカは人口調査をでっち上げ,イエスがベツレヘムで生まれる理由を作り,それによってミカ 5章2節の預言を成就させようとした,と言う批評家もいます。この説からすると,ルカは故意に偽りを語る者だということになりますが,そのような主張を,ルカによる福音書と「使徒たちの活動」の書の著者であるきちょうめんな歴史家に符合させることのできる批評家はいません。

ほかにも批評家がだれ一人として説明できないことがあります。それは,この人口調査自体が預言の成就だったということです。西暦前6世紀,ダニエルは,一人の支配者が「取り立て人を光輝ある王国に通り行かせる」と預言しました。このことはアウグスツスと,イスラエルで人口調査を行なうようにとの彼の命令に当てはまったでしょうか。この預言は続けて,その支配者の後継者の統治期間中にメシア,すなわち「契約の指導者」が「砕かれる」と予告しています。イエスはアウグスツスの後継者であるティベリウスの治世中に確かに「砕かれ」,処刑されました。―ダニエル 11:20-22。

[写真]

カエサル・アウグスツス(西暦前27年–西暦14年)

ティベリウス・カエサル(西暦14年-37年)

[クレジット]

Musée de Normandie, Caen, France

Photograph taken by courtesy of the British Museum

[8ページの図版]

エホバのみ使いは謙遜な羊飼いたちにキリストの誕生についての良いたよりを伝えた

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする