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  • 宗教間の交流を神は喜ばれますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2014
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2014
塔14 3/1 10–11ページ
法王をはじめとする様々な宗教の指導者たちが,宗教間の交流会に出席した

宗教間の交流を神は喜ばれますか

「宗教は人々を一致させていますか,それとも分裂させていますか」。シドニー・モーニング・ヘラルド紙(英語)の読者に,その問いが投げかけられました。回答者の大多数 ― 約89% ― は,宗教は人々を分裂させている,と考えていました。

宗教間の交流を支持する人たちは,全く異なった見方を示します。インターフェイス・ユース・コアの創設者エブー・パテルは,「同情心を貴ばない宗教,……環境保護の精神を貴ばない宗教,……もてなしの精神を貴ばない宗教など,あるだろうか」と問いかけています。

確かに,仏教徒や,カトリック教徒,プロテスタント信者,ヒンズー教徒,イスラム教徒,その他多くの人が協同して,貧困と闘ったり,人権のための運動をしたり,地雷禁止を訴えたり,環境問題に注意を喚起したりすることもあります。様々な多宗教対話グループが,相互理解と啓発を求める運動に加わっています。それらの人は,自分たちの多様性をたたえて,ろうそくをともす儀式や,祭典,音楽会,祈とう集会などを行なっています。

様々な宗教を混ぜ合わせれば,信仰の違いによる抗争はなくなるでしょうか。より良い世界を目指す宗教間の交流を神は喜ばれるでしょうか。

一致するための代償

宗教間の交流を推進する最大級の団体は,成員たちが200余りの異なった宗教を代表していることや,76の国で活動していることを誇っています。掲げている目標は,「永続する日常的な宗教間の協力を推し進める」ことです。しかし,それは“言うは易く行なうは難し”であることが明らかになっています。例えば,その団体の創設者たちによれば,定款の文言は,署名する多くの宗教団体や先住民グループに不快なものとならないよう注意深く決めなければなりませんでした。そうせざるを得なかったのは,一つとして,定款に神を含めるべきかどうか,意見が一致しなかったからです。そのため,神という語も神に関連した事柄も一切含められませんでした。

もし神のことが全く触れられないのであれば,信仰にどんな役割があるのでしょうか。それに,そのような宗教間の交流を推し進める運動は,一般の慈善団体の活動とどう違うのでしょうか。前述の交流団体が,自らを宗教団体としてではなく「橋渡し機関」と称しているのも,当然のことでしょう。

善を促す ― それだけで十分か

宗教間の交流の著名な推進者ダライ・ラマは,「主要な宗教上の伝統はどれも,基本的に,愛,同情,許しなど,同じメッセージを伝えるものである」と述べ,さらに,「重要なのは,それらの特質が日々の生活の中で示されることである」と語りました。

確かに,愛,同情,許しといった美徳の価値は,いくら強調しても,しすぎることはありません。イエスは,「自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」という“黄金律”を述べました。(マタイ 7:12)とはいえ,真の信仰は,単に善を促すだけのものではありません。

使徒パウロは,当時,神に仕えていると主張していた多くの人について,「わたしは,彼らが神に対する熱心さを抱いていることを証しするのです。しかし,それは正確な知識によるものではありません」と言いました。そして,なぜそうなったのかについて,「彼らは神の義を知らないで,自分たち自身の義を確立しようと努めた……からです」と述べています。(ローマ 10:2,3)神から求められている事柄を正確に知らなかったため,その熱意 ― および信仰 ― は,実のところ,むなしいものとなっていたのです。―マタイ 7:21-23。

宗教間の交流を聖書はどう見ているか

「平和を求める人たちは幸いです」とイエスは言いました。(マタイ 5:9)そして,非暴力を推し進め,宗教的背景の様々な人々に平和のメッセージを伝えることにより,自ら宣べ伝えた教えを実践しました。(マタイ 26:52)その教えにこたえ応じた人たちは,断ち切ることのできない愛の絆で結ばれました。(コロサイ 3:14)しかし,イエスが目指していたのは,様々な背景の人々が平和にやってゆけるよう,単に橋渡しをすることだったのでしょうか。イエスはそれらの人と共に種々の宗教的慣行に携わったでしょうか。

パリサイ派やサドカイ派の宗教指導者たちは,イエスに激しく反対し,イエスを殺そうとさえしました。それに対してイエスは,弟子たちに,「彼らのことはほっておきなさい。彼らは盲目の案内人なのです」と諭しました。(マタイ 15:14)イエスは,それら指導者たちとの交流を図ろうとはしなかったのです。

後に,ギリシャのコリントにクリスチャン会衆が形成されました。コリントという都市は,人種も宗教も異なる多様な集団が共存していることで知られていました。そこのクリスチャンたちは,そうした環境の中でどう行動すべきだったでしょうか。使徒パウロは,他の人々の崇拝には一切参加すべきではない,ということをはっきり示し,「義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。キリストとベリアル[つまりサタン]の間にどんな調和があるでしょうか」と書きました。そして,「それゆえ,彼らの中から出て,離れよ」と述べています。―コリント第二 6:14,15,17。

ですから,聖書が宗教間の交流を非としていることは明らかです。『では,一体どうすれば一致できるのか』と考える人もいることでしょう。

真の一致をもたらす

地球を周回する科学技術上の奇跡とも言える国際宇宙ステーションは,15ほどの国々が一致協力して出来上がったものです。このプロジェクトは,参加各国がどんな青写真を用いるかに関して合意していなかったら,成功したでしょうか。

現代の宗教間の交流を図る運動は,そもそも,合意のないまま進められているのが実情です。協力の精神や敬意が推奨されてはいますが,信仰を築くための合意した青写真はありません。そのため,倫理面や教理面での問題点が,依然として分裂を生じさせています。

聖書には神の規準が収められています。それは青写真のようなものです。わたしたちは,聖書の教えに基づいた生活を送ることができます。その教えを受け入れる人たちは,人種的また宗教的な偏見を克服し,平和と一致のうちに協働するようになっています。神はそのことを予告して,「わたしはもろもろの民に清い言語への変化を与える。それは,すべての者がエホバの名を呼び求め,肩を並べて神に仕えるためである」と言っておられました。そうです,一致は,「清い言語」を話す,つまり崇拝に関する神の規準に従うことによって生じるのです。―ゼパニヤ 3:9。イザヤ 2:2-4。

エホバの証人は,あなたが最寄りの王国会館においでになり,証人たちの間にある際立った平和と一致をじかにご覧になるよう,心から願っています。―詩編 133:1。

真理は相対的なものか

宗教間の交流を支持する人たちは,多くの場合,だれも「真理を教えているのはこの宗教だけだ」とは主張できない,と考えます。実際,「今日見られる諸問題の多くは諸宗教の排他主義が原因で生じている」と言うかもしれません。

そのような意見とは対照的に,エホバは「真理の神」と描写されており,ご自身のことを「わたしは変わっていない」と言っておられます。(詩編 31:5。マラキ 3:6)イエスも神に関して,「あなたのみ言葉は真理です」と述べました。(ヨハネ 17:17)そうした真理は,神の霊感のもとに記された聖書の中で明らかにされています。わたしたちは聖書の教えにより,「あらゆる良い業に対して」整えられるのです。―テモテ第二 3:16,17。

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