特集記事 | 神はあなたのことを気にかけておられます
神は慰めてくださる
「うちひしがれた者を慰めてくださる神は,……わたしたちを慰めてくださった」。―コリント第二 7:6。
「み子はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださった」。―ガラテア 2:20
そう思えない人がいるのはなぜか: 慰めを切に必要としている時でさえ,神に「どうか問題に対処できるよう助けてください」と頼むのは利己的なことだ,と思う人もいます。ラケルという女性は,「世界じゅうの多くの人々やその直面している深刻な問題を見ると,わたしの心配事など取るに足りないように思えて,神に助けを求める気になれない」と言います。
聖書はこう教えている: 神はすでに,人間を助け慰めるために,驚くべき備えを設けておられます。今日地上にいる人は皆,受け継いでいる罪のゆえに神のご要求を完全には満たせない状態にありますが,神は「わたしたちを愛し,ご自分のみ子[イエス・キリスト]をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わして」くださいました。(ヨハネ第一 4:10)イエスの犠牲の死により,わたしたちが罪を許され,清い良心と,平和な新しい世で永遠に生きるという希望を持てるようにしてくださったのです。a それにしても,その犠牲は単に人類全体のためのものでしょうか,それともあなた個人に対する神の気遣いの表われなのでしょうか。
使徒パウロは,イエスの犠牲に大いに心を動かされ,「わたしは……神のみ子に対する信仰によって生きているのです。み子はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださったのです」と書きました。(ガラテア 2:20)イエスの死はパウロがクリスチャンになる以前のことでしたが,パウロは,その犠牲を神からの自分個人に対する贈り物とみなしていたのです。
犠牲としてのイエスの死は,神からのあなた個人への贈り物でもあります。神にとってあなたは非常に貴重な存在です。だからこそ神はその贈り物をくださったのです。あなたはそれによって「永遠の慰めと良い希望」を得,「あらゆる良い行ないと言葉の点で……確固たる者」となることができます。―テサロニケ第二 2:16,17。
しかし,イエスが自分の命を犠牲にしたのは,約2,000年前のことです。今日,神があなたに近づいてくださっている,どんな証拠があるでしょうか。
a イエスの犠牲について,詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第5章をご覧ください。