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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2019
塔研19 2月号 31ページ

ご存じでしたか

ガムラで発見された1世紀の会堂

1世紀の会堂: ガリラヤ湖の北東約10㌔にあるガムラで1世紀の会堂の遺跡が発見された。これはその会堂の想像図。古代の会堂の様子を見て取れる。

会堂が使われるようになったのはなぜですか。

「会堂」という語は,「集会」や「集まること」を意味するギリシャ語に由来しています。そう呼ばれたのは適切なことでした。会堂はユダヤ人が教育や崇拝のために集まる場所として,古くから使われてきたからです。ヘブライ語聖書は会堂について述べていませんが,クリスチャン・ギリシャ語聖書を読むと,西暦1世紀には会堂があちこちにあったことが分かります。

一般には,ユダヤ人が会堂で集まるようになったのはバビロンに捕囚にされていた時だったと考えられています。ユダヤ大百科事典(英語)にはこうあります。「神殿を奪われ,見知らぬ国に捕らわれていた人たちは,苦難の中で慰めを得る必要を感じ,特に安息日などに集まっては聖書を読んだ」。ユダヤ人は,バビロン捕囚から解放された後も,定住先に必ず会堂を建て,そこに集まって神に祈ったり聖書を読んだりしました。

西暦1世紀の会堂は,地中海周辺と中東に点在するユダヤ人コミュニティーやイスラエルにおいて,人々の宗教や生活の中心になっていました。エルサレムのヘブライ大学のリー・レビーン教授はこう述べています。「[会堂]は,研究,聖なる食事,裁判,共同基金の貯蓄,政治的な集まりや社交的な集まり……を行なうために使われた。もちろん,最も重要なのは礼拝を行なうことだった」。ですから,イエスも会堂での集まりによく出席しました。(マル 1:21; 6:2。ルカ 4:16)そこで人々を教え,励ましたのです。クリスチャン会衆の設立後,使徒パウロもよく会堂で教えました。会堂には神の教えを学びたい人が集まっていたので,パウロは都市に入ると,まずは会堂に行って教えました。(使徒 17:1,2; 18:4)

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