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王国奉仕 1972
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● 宣教学校や奉仕会のそれぞれの部分で聴衆が拍手をするのはふさわしいことですか。

エホバの民で構成されている聴衆は確かに感謝の気持ちをいだいています。兄弟たちの努力や,演壇から話す資料に対して感謝を表わしたいと願うのはたいへんよいことです。今日世界のある場所では,そのような感謝は拍手によって示されています。しかし拍手は心から自然になされるものであるべきです。また,それはたいてい普通以上の何かに対する感謝の表示でもあります。巡回大会を含め,大きな大会の時にも同じことが当てはまります。そのような大会では,特別のプログラムが取り決められ,兄弟たちは割り当てのために余分の時間と努力を払っていますので,話の終わりの時だけでなく,時には話の途中において聴衆が拍手する光景が見られます。しかし,王国会館においても同じことを当てはめるべきでしょうか。自然また心からの感謝の気持ちでなされるなら,それに対して何らの規則がないのは確かです。しかし普通の場合,それらの割当てに対して拍手しません。なぜなら,1つには,それは容易に形式的なものになって,ほんとうの意義が失われてしまうからです。

しかし,話の努力に対する真の感謝を示すのに王国会館でわたしたち全員が行なえる事があります。それは,話の間よく注意を払うことであり,話し手をよく見て,話し手の考えを理解して益を得ていることを顔の表情によって示すことです。さらに集会のあとで個人的に話し手に語りかけて,話を楽しんだことを知らせる機会もたびたびあります。

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