質問がありましたか?
最近,協会の会長ノア兄弟はアメリカの伝道者に手紙を書きました。みなさんはその手紙の次の抜粋に関心をお持ちと思います。
「あなたは,『ベテルはどんなところだろう。そこでみな何をしているのだろう』と,考えたことがあるかもしれません。
質問の最初の部分,『ベテルとはどんなところだろう』に対する答えは,「神の目的とエホバの証人」(英文)の254ページを読むと,ある程度得られます。簡単に説明しますと,ものみの塔協会の本部は,高層ビルの立ち並ぶローワー・マンハッタンとニューヨーク湾に面したブルックリンの一角の,ブルックリン・ハイツとして知られている場所にあります。ここには大きな建物がいくつかあります。快適な居室のほかに,りっぱな設備がたくさんあります。たとえば,広いモダンな王国会館,合計1,500人分の席がある四つの食堂,図書室,応接室,洗たく場,アイロンをかけるへや,くつを修繕するところなどがあります。また,保健関係の世話をする歯科医1名,医師1名,そして看護婦が数名います。ベテルは大きな家庭で献身した神のしもべたちであふれています。
「さて,つぎに,『そこでみな何をしているのだろう』という質問に移りましょう。ベテルの生活は,ベテルの家族の霊的生活を高めます。わたしたちはパンだけで生きるのではなく,神の口から出るすべてのことばによって生きます。霊的事柄に関するわたしたちの日々の計画は非常に建設的なものです。食堂での家族の席は決まっていて,家族は午前7時に集まり,その日の聖句のすぐれた討議を行ないます。家族の成員がそれに参加し,統治体の成員として奉仕している兄弟たちは,一週間交替で,その日の聖句の注解をまとめます。家族の新しい成員には,8か月にわたりすぐれた訓練が施されます。これには八つの特別の講議が含まれています。それから26週にわたる月曜日の夜の授業と26週にわたる水曜日夜の講議があります。授業は(1)神の群れを牧するわざ,(2)わたしたちの生活を形づくる教え,の2部に分かれています。
「それに加えて,家族の成員はみな,ニューヨーク市内にある218の会衆のひとつに割り当てられています。わたしたちは会衆の他の伝道者たちと同じ奉仕の特権を持っています。野外奉仕,家庭聖書研究,会衆の集会での参加,会衆が統治体に推薦するなら長老や奉仕のしもべとして奉仕する,などがそれです。
「多数の兄弟や姉妹との生活は,父母とひとりの兄弟あるいは姉妹との小さな家庭での生活とはかなりちがいます。それは多くの兄弟姉妹のいる大家族で,ここではみんなが非常に忙しく,割り当てられた仕事を持っています。
「わたしたちがベテルに来たのは,エホバにつかえ,また全世界の兄弟たちが奉仕に用いる書籍を生産して兄弟たちを助けるためです。わたしたちはみな,聖書,書籍,雑誌,冊子,手紙,毎月の『王国奉仕』などの形で,ものみの塔協会本部から送られてくる良いものに感謝しています。これらは英語だけでなく他の多くの言語で印刷されます。もしこの印刷をどこかの営利会社が行なったなら,もちろん,わたしたちは今のような安い値段でこれらの出版物を手に入れることはできないでしょう。
「60年にわたり随時建てられてきたベテルの家と印刷工場があるので,ベテルの家族は,通信事務が行なえるだけでなく,印刷もすることができます。彼らはライノタイプを操作し,印刷用鉛版を作り,輪転機を運転し,製本部門で働き,また印刷と関係のある他の仕事をします。そのほか,大工仕事,機械の修理,塗装などに従事する人たちもいます。それは,奉仕に必要なものを全世界のエホバの証人に供給する,莫大な文書生産作業の一部です。協会のように,「真理」のような書籍を100円の価格で生産できる組織はほかにありません。
ここベテルで奉仕しているわたしたちは,このように安く文書を生産することができ,またそれを非常に多くの言語で全世界に発送できることを大きな特権と考えています。確かにベテルの家族の一員であることは栄誉です。しかし,それは栄誉であると同時に,多くの激しい仕事があることをも意味します。奉仕の特権を十分に認識している人びとは,自分から進んで時間とエネルギーをその仕事にささげているのです。使徒パウロもよく働き,各地を旅行して宣教の仕事を行ないました。イエスもよく働かれました。外国の地で宣教者として奉仕しているわたしたちのクリスチャン兄弟たちも,奉仕に長い時間を費やし,いっしょうけんめいに働いています。全世界の会衆の伝道者と開拓者は伝道活動で非常に忙しくしています。みんながいっしょうけんめい働いています。
「しかし,ベテルの仕事は,大部分が筋肉労働であり,昼食の時間1時間を除き,午前8時から午後5時40分まで行なわれるという点で,少し異なっています。わたしたちは,自分がベテルに来たのは,自分に割り当てられた仕事を行ない,主の組織が神のことばの印刷にかんしてわたしたちに教えようとすることを何でも学ぶためであることをよく理解しています。ベテルで行なわれる仕事はその重要さのゆえに,他のあらゆる活動に優先します。