長老たちの一団すべてへ
1975年9月1日
親愛なる兄弟たち,
長老たちの交替制が実施されるようになってから,今年でおよそ3年になります。そしてエホバがこの取り決めを祝福しておられることはだれの目にも明らかです。しかし,いくつかの質問が出されていますので,非常に役立つと思われる所見や指針を皆さんにお分かちするのはわたしたちの喜びです。各長老はこの手紙を注意深く読み,それについて何かご質問があれば,それを書き留めておかれるとよいでしょう。そうした質問はふさわしい時に長老の集まりで討議することができます。
9月1日ごろ開かれる年ごとの集まりに備える
年に一度,つまり9月1日ごろ,すでに長老として任命されている方々は,他の兄弟たちのだれかが今や長老もしくは奉仕のしもべとなる資格を持っているかどうかを祈りのうちに考慮すべきです。(「塔」75年,561-563ページ)そうした兄弟たちの評価は個人的な見解にではなく,神のみことばに基づいて行なわれねばなりません。この年ごとの集まりに先立ち,長老は時間を取って,テモテ第一 3章1-10,12,13節,テトス 1章5-9節,ペテロ第一 5章1-5節に述べられているような,長老と奉仕のしもべの資格を読み,それらを祈りのうちに考慮することが勧められています。また,その長老の集まりには前もって,1974年8月1日号の「ものみの塔」,468-473ページに掲載された「あなたは会衆内の責任を担う資格がありますか」と題する記事および1975年11月1日号の「ものみの塔」657-662ページの「長老となる資格のあるのはどんな人ですか」と題する記事を読んでおかれるとよいでしょう。
長老,また奉仕のしもべの任命を受けるようだれを推薦するかを決める
長老たちの一団は会合に際して祈りをささげ,なされる事柄が神のご意志と全く一致するようエホバの導きを求めるべきです。長老そして奉仕のしもべに推薦される人々は,聖書的な資格に照らして考慮されなければなりません。奉仕のしもべは,推薦する時点で少なくとも20歳に達していなければならず,しかもバプテスマを受けてから少なくとも一年を経た人でなければなりません。―「組織」,59,60ページ。エズラ 3章8節と比較してください。
ある人は,長老としての推薦を受けられる特定の年齢がありますかという質問を寄せています。特定の年齢というものは要求されていません。しかし,推薦される人はそれぞれ,「年長者」とみなされ尊敬されるに十分な背景と経験を持っていなければならないことは確かです。伝道者は深刻な問題を抱えた時にその人のところに行くでしょうか。彼は,深刻な家庭問題や生活の他の重大な面について適切で効果的な助言を与えることができるほど十分の生活経験をしている年齢ですか。20代初めの兄弟が,長老に必要なそうした背景や経験を持っていることは非常にまれです。そのような兄弟を推薦する場合は,その人に資格のある理由を統治体に知らせてください。もし長老団が全く決めかねているなら,もう1年かそれ以上待つのは賢明でしょう。その間,1975年10月の「王国奉仕」の「質問箱」に出ている情報に従い,長老として推薦することを考慮していた奉仕のしもべにいくつかの奉仕の特権が差し伸べられるかもしれません。羊の群れに対する真の関心と兄弟たちに仕えたいという心からの願いを表わしていない兄弟たちに急いで手を置くようなことはしないでください。(テモテ第一 5:22)長老たちが羊の群れにその必要としているものを与えるには,謙そんさと自己犠牲的な愛とが是非とも必要です。聖書上の要求すべてが重要であり,どれ一つとして軽々しく扱ったり見過ごしたりすべきではないということを忘れないでください。その人は,長老もしくは奉仕のしもべに対する聖書的資格に,道理に即した程度と一貫性とをもってかなっている,とみなさんが信じられるなら,その人が任命されるよう推薦する根拠があります。
兄弟たちが責任を「とらえようと努めて」いることが明らかでも資格がない場合,その努力をほめて,なぜ今のところ資格がないかを親切に話してあげるのは適切なことでしょう。その人たちが自分の資格について尋ねても尋ねなくてもそうすることができます。どんな点に努力できるかを率直に指摘し,適切な助言と励ましを差し伸べるなら,そうした人々は,長老たちが自分に真の関心を持ってくれていると感じて,さらに進歩するよういっそう勤勉に励むことでしょう。当然のことですが,その兄弟が自分の考えを述べる機会を十分に与えて,彼が話そうしていることを注意深く聞くことは常にふさわしいことです。その人が,長老たちの気づかなかった情報を知らせて事情が変化するなら,長老たちは彼を推薦するよう決めることもあり得るでしょう。
奉仕のしもべ,また長老となる見込みのある人に,長老団の前で徹底的な尋問をする必要はありません。それは誤解を招いたり,感情を傷つけたりしかねません。長老たちが,そのような質問をしなくても推薦できるほど十分にその人を知らないなら,会衆内でのその人の進歩を観察することや,野外でいっしょに働いたり他の方法で交わることを必ず行ない,その兄弟を知るようになさってください。そうすれば,9月になって,長老団はその人が増し加えられた特権に推薦される資格を持っているかどうか知っていることでしょう。
取り消しの推薦を受ける長老たちと奉仕のしもべたち
現在長老もしくは奉仕のしもべの立場にいる兄弟に対して取り消しの推薦がなされているなら,長老団は,その人が事情をはっきり理解するためにその理由をその人に話すべきです。その人が,長老団の決定に同意しない場合は,望むなら取り消しの推薦に不服である理由を述べた手紙を統治体に送ってもよいことをその人に知らせなければなりません。その手紙は,長老たちによる取り消しの推薦状といっしょに提出されるべきです。その推薦状には,長老団を代表して奉仕委員の署名が必要です。必要かつ望ましい場合,統治体は事態を再検討するために特別な委員を設けます。この事柄が統治体によって実施されるまでは,取り消しの発表は会衆に対して行なわれません。その間,その人は引き続き奉仕してもかまいません。言うまでもなく,もし長老もしくは奉仕のしもべが,公に戒めを与えたり排斥する必要のある重大な悪行を犯すなら,その人は取り消されるべきです。その人からそうした特権を除くのに,統治体から取り消しの公式の手紙が来るのを待つには及びません。―「組織」,167,168ページ。
長老もしくは奉仕のしもべの振る舞いが,その人に引き続き奉仕する資格があるかどうか疑問を投げかけるという異例の場合,長老たちは問題を自分たちで解決すべくできるだけのことをすべきです。おそらく,他の経験豊かな長老たちに適切な助言を求められるでしょう。それでも,どうすべきかについて長老たちの意見がまとまらないなら,統治体に助言を求める手紙を書くことができます。
長老たちの一団が推薦することに決定したなら,その情報を設けられている用紙,すなわちS-2a,bおよびcの用紙に記録します。それらの用紙の書き込み方に関する指示は用紙の中にはっきりと与えられていますから,それに注意深く従ってください。名前を書く欄には,新しい任命のために推薦される人々のみを記入するよう注意してください。「削除」の欄に,以前取り消された人々の名前を書かないでください。
それまで奉仕したことのない兄弟の新しい任命を推薦することは9月に行なわれるべきです。他の時期に新しい会衆が組織された場合,関係しているどの会衆に対しても推薦状が提出されるべきです。新しい会衆の申込み用紙に記入する前に,「会衆に関する知らせ」という手紙(S-50)を読んでそれに従うのは良いでしょう。その手紙は支部事務所からもらえます。
交替制 ―「組織」,66,67ページ。
9月に開かれる長老たちの集まりで,長老たちの一団は,新奉仕年度中,各長老がどの監督の立場で奉仕するかを決めます。正規の交替制に従うと,奉仕できる兄弟がだれもいない空いた立場ができるなら,資格のある兄弟たちがそれらの立場について空席を埋めます。このことに関しては,各会衆で長老たちの一団が決定します。会衆の長老たちによって新しい割当てが決められたなら,そのことを会衆に発表してもかまいません。長老の新しい推薦が行なわれている場合や,推薦された取り消しがはっきり決まっていない場合を除いて,統治体からの手紙を待つ必要はありません。新しい任命があるまでは一時的な取り決めを設けることができます。しかし,新しい推薦がなされた場合でも,そのために他の兄弟たち全員がそれぞれの新しい割当てにつけないということはありません。この交替は9月初旬,すなわち長老たちの一団によって詳細な事柄が決定された後ただちに行なわれるべきです。通常の交替制は「組織」の本の66ページ3節で説明されています。このことに関する他の情報は,67-69ページに載せられています。
新しい長老が推薦されている場合はどうなりますか。新しく任命された長老は聖書的資格があるので任命されたのですから,監督の職を務めることができるはずであり,必要なら,審理に関する事柄を扱うことさえできるはずです。普通の事情のもとでは,現在5人の長老がいて,もうひとりの長老が任命を待っている場合,主宰監督の立場を降りた人は次の年に5つの主要な立場のどれかを占めることはないでしょう。その人は,交替制の順番では通例新しく任命された人の後につきます。しかし,各会衆の長老たちの一団は,交替制の取り決めを考慮しつつ,長老たちがどの立場で奉仕するかを決める責任があります。
長老は5つの主要な立場のどれにも適していなければならないか,または不適格とみなされるのではないかという不安を持たずに進んでそれらの立場を果たさねばならないかということについていくつかの質問が寄せられています。その必要はありませんし,そうした考え方は正しくないでしょう。たとえば,ある兄弟はりっぱな長老で,ひとりの人に,もしくは複数の人々に優れた励ましや聖書的な助言を与えることができるかもしれませんが,土地のことばを流ちょうに話せないので,自分には学校の監督に,もしかして「ものみの塔」研究の司会者にさえなる資格がないと考えている場合があるかもしれません。そのためにその兄弟が資格を失い,他の責任を担ったり,自分に果たせると思ういずれかの立場で毎年続けて奉仕したりすることができないということはありません。他の長老たちから見て,その兄弟にはある責任を果たすことができると思える場合,彼を励ましてもかまいませんが,その人の個人的な感情と決定を尊重すべきです。
任命された人がその立場で丸1年間奉仕しなかったということはあり得ます。その時でも,ひとりの長老から別の長老へ職務を移行することは9月中に行なわれるでしょう。1年のうちのある時に何らかの理由で5つの主要な立場のどれかに空席ができた場合,長老団は満期になるまでその務めを果たす代理の人を長老たちの中から選ぶことができます。
主宰監督が新しくなったからといって,会衆の郵便物を受けとる新しい住所を支部事務所に連絡する必要はありません。むしろ,住所変更をする何らかのもっともな理由がない限り,長老団が決めた同じ永久住所を毎年用いるべきです。
新奉仕年度の始まりとともに行なわれる円滑な移行
現在ある特定の立場で奉仕している長老は,後任の長老がいろいろな責任を学ぶのを助けるとよいでしょう。そのふたりが,交替の決定後すぐに少なくとも一晩を共に過ごし,その後は,新しく責任を引き受けた長老を自分の務めに精通させるのに必要な時間いっしょに過ごすのは良いことです。それは,当の長老たちと会衆にとって祝福となります。一例として,主宰監督は後任者を会衆の綴りの資料に通じさせることができます。また,会衆の会計状態を討議し,協会に対するものにせよ,個人に対するものにせよ,会衆に負債があれば,どんな負債があるか後任者が知るよう援助します。そうした事情に関して,また,正規開拓者との集まりや巡回監督の訪問,巡回大会などを含む他の事柄に関して扱わねばならない連絡についても話し合うべきです。そうすればそれらの事柄にふさわしい注意が払われるでしょう。そのことは,現在審理委員によって扱われている問題についても同様です。協会と通信する際には必ず会衆名をはっきり書くことを新しい主宰監督に思い起こさせるのも助けになります。
同様に,自分が責任を持つ部門に奉仕のしもべが新しく割り当てられたなら,長老は,その務めには何が含まれるかを説明したり質問に答えたり,また兄弟たちがなすべきことを知っているかを確かめるために時間をとっておくべきです。たとえば,野外の監督は区域と雑誌の世話をする人たちといっしょに事情を調査すべきです。会衆の会計の世話をしている人には,正確な記録をつけることばかりでなく,基金を扱う際に注意深くなければならないことも教えるべきです。(コリント第二 8:20)奉仕のしもべがひとつの割当てから他の割当てに移されることはありますが,絶対に移行が行なわれねばならないわけではありません。彼らが良い働きをし,経験を積んで現在の割当てを快く行なっているなら,変更する必要はありません。そうした事柄や会衆にとって最善と思われる事柄を考慮してください。―「組織」,67-69ページ,および1973年9月の「王国奉仕」2ページの「円滑な交替」という記事をご覧ください。
年度報告の作成
年度の終わりに際して,つまり9月1日ごろ,主宰監督はS-10の用紙を用いて支部事務所に意味深い報告を書き送るでしょう。それは,会衆の霊的な状態,過去1年間に成し遂げられた事がら,そしてきたる月々注意する必要があると考えられる事がらなどに関する主宰監督の所見を述べるものとなります。この報告は,支部事務所に郵送される前に,9月初めの長老たちの集まりで長老たちの前で読まれ,その写しは会衆の綴りに保管されます。どうか数字を野外監督と2度確かめてください。質問2の欄の数字がもれていたり,不正確なことがしばしばあるからです。それは重要な分析ですから,どうぞ正確な情報をお知らせください。いずれかの質問の答えとして所見を書くのに欄が狭い時には,用紙の余白に書くか別の紙を用いるかしていただきたいと思います。そうすれば意味深く,しかし簡潔で的をついた報告ができるでしょう。この報告を受け取ったことはやがて通知されるでしょう。
必要な時,近隣の会衆から長老を得るにはどうしたらよいか
時折,巡回監督は,ひとつの会衆に大ぜいの長老がいる一方,別の会衆は長老の助けを必要としているのを見ます。巡回監督は,大ぜい長老のいる会衆にそうした窮状を知らせるかもしれません。しかし,自分たちの会衆の活動を世話するために自分たち自身の必要を考慮することは,長老たちの一団の務めです。ある長老が,長老を是非とも必要としている近隣の会衆と働いても自分たちの会衆になんの困難も生じないと思うなら,だれか近隣の会衆に行く意志のある人がいるかを長老たちの間で話し合えます。
そのようにして他の会衆へ移ることを考えている長老は,そうすることによって彼自身と家族にとって身体的また霊的および他の関連ある事柄に関してどのような影響があるかを考慮に入れるべきです。
そうした考慮の末,近隣の会衆で奉仕できる人がいたなら,主宰監督は近隣の会衆と連絡を取って,定期的に彼らと喜んで奉仕する長老のいることを知らせることができます。近隣の会衆を代表する兄弟たちが,知らせを受け取り,来てもらえる長老と面接したいと思えば,そうしても差し支えありません。そして,その長老に自分たちと働いてもらいたいということになれば,推薦状を統治体に送らねばなりません。その手紙には,推薦されている調整がもう一方の会衆の了承を得ている旨を書きます。承認がありしだい,長老はその会衆で奉仕でき,彼の名前は以前属していた会衆の長老の名簿から削除されます。(1973年6月の「王国奉仕」)こうした長老の移動は年間を通じていつでも必要な時に行なえます。
長老もしくは奉仕のしもべが移転して来た時にはどうするか
長老が移転して来た会衆の長老団は,その長老がそれまで任命を受けて奉仕していた所の長老団全体にあてて問い合わせの手紙を書くことができます。以前の会衆の長老団がその兄弟について良い推薦をするなら,受け入れ側の長老団は,その人を統治体に推薦する際にそのことを述べ,また以前彼が奉仕していた会衆名を明らかにすべきです。しかし,その兄弟が移転して来た会衆で長老もしくは奉仕のしもべとして用いられる前に,任命を待ってください。
以前の会衆の長老団が良い推薦をしない場合はどうでしょうか。その理由について十分の情報を得るのは賢明でしょう。当の兄弟とそうした理由について話し合ってください。その人には資格がないということに意見がまとまったなら,彼を推薦するのは賢明ではないでしょう。しかし,先の長老団が良い報告をしなかったにもかかわらずその人を推薦する場合には,統治体の決定の助けとして,みなさんの所見と推薦に先の長老団の手紙を添えてお出しになることもできます。
任命された長老もしくは奉仕のしもべが死亡したり移転したりした時には,必ず統治体に知らせてください。その手紙には長老たちの一団を代表して奉仕委員が署名します。その兄弟の移転先がわかるなら,どうぞそれを支部事務所に知らせてください。その兄弟が奉仕委員であったなら,その代わりに委員となった人の氏名と住所を支部事務所に通知してください。統治体はだれが奉仕委員として奉仕しているかについていつでも完全な情報を得ているべきです。1973年8月号の「王国奉仕」の「何がなされるべきですか」という記事を参考にしてください。
かつて戒めを受けた人や排斥された人を推薦する
みなさんは,「組織」の本の178,179ページを復習したいと思われることでしょう。
戒めを受けたことのある人の場合には,その戒めが個人的に与えられたものか,それとも公のものかによって大いに違ってきます。個人的な戒めが与えられたのであれば,数か月経た後にその人を推薦できることがあるかもしれません。しかし,公の戒めが与えられた場合は,事はもっと重大です。したがって,長老たちの一団は,その兄弟が会衆内で再びよく思われており,会衆の尊敬と信頼を得ていることを確信しているべきです。そのような場合,長老たちは統治体に付加的な情報を提供すべきです。そうすれば,状況が非常に明らかなので,正しい決定を下すことができます。
復帰させられた人で,特権をさらに加える考慮の対象となっている人については,その人はその悪行によってわが身に招いた非難をすすいでいなければならないことは明らかです。過去の悪行の影響を相殺するに足る,得心のゆく,義にかなった行為の記録を築くことによって非難をすすいでいなければなりません。そうするには,その悪行がどれほど悪い評判を得ているかによりますが,数年ばかりかあるいは何年もかかるかもしれません。いずれにしても,復帰させられたそのような人は,まず奉仕のしもべとして推薦されるべきです。
すべての長老たちに対する所見と忠告
エホバは確かにわたしたち各人を非常に信頼し,すばらしい特権を与えてくださっているだけでなく,重い責任も与えておられます。(ヤコブ 3:1)生活の中でさらに一層霊性を培うことにより,そうした信頼を謙そんに認めるのはよいことです。言うまでもなく,そのためには絶えず研究し,エホバにたゆまず祈り,自分自身の不完全さや罪を認め,わたしたちが天のみ父エホバと,クリスチャン会衆の任命された頭であるキリストをどれほど必要としているかを認識しなければなりません。
もし監督たちが自分自身と羊の群れに注意を払うことをなおざりにする,つまり怠るなら,どんな事態が生じ得るか容易に想像できます。深刻な問題に発展することもあり得るでしょう。ことによると,それは,悪行を処置する際に長老たちが果断な行動に欠けていたため生じる,長老たちの一団に影響を及ぼすほどの不和あつれきかもしれません。(サムエル前 2:12-17,27-30)霊的に油断なく目覚めている監督たちは,そうした事態が多少とも発展するのを防ぐための処置を講じます。彼らは個人的な感情に左右されて判断を下し,ある兄弟に特権を得させないということをしません。また,聖書的な根拠があるにもかかわらず,個人的な感情のためにある兄弟の取り消しの推薦を差し控えることもしません。―テモテ第一 5:21。
巡回監督は,会衆を訪問してそうした重大な問題の十分な証拠を認めたなら,憶して自分の意見を述べるのを差し控えるべきではなく,神の健全な助言をはっきりと述べるべきです。それは,彼が会衆,あるいは彼が出席している長老たちの集まりを“牛耳ろう”としていることでもなければ,長老たちを“支配”していることでもありません。しかし,巡回監督は良心的に考えを述べなければならず,また,神のみことばの助言を明らかに必要としている点に助言を適用するよう長老たちを助けることに努めなければなりません。(使徒 20:26,27。テモテ第二 1:6,7; 4:2)何らかのそうし事柄を支部事務所に報告する際に,巡回監督はそれをはっきり,そして公正に述べます。―「組織」,85ページ3節。
確かに,わたしたちはみな,会衆が自主的なものではなく,すなわち「忠実で思慮深い奴隷」と全く一致していることを認識しています。また,わたしたち全員はキリストの頭の権の下で働いていることも認めています。ですから,1973年3月15日号の「ものみの塔」誌に掲載された「天的なかしらの権のもとで地的な会衆はどのように導かれるか」および「あなたは今日,キリストのかしらの権に服していますか」と題する記事を時折復習するのは良いことです。これら2つの記事には,キリストの頭の権を受け入れることと,仲間の長老各人にそれぞれが当然受けるべき尊厳を与えることとがいかに重要かを知るよう各長老を助ける優れた助言が載せられています。(ローマ 12:10。フィリピ 2:3)もしわたしたちがお互いに然るべき敬意を払い合い,大切なのは神のみことばに調和した長老たちの一団全体の働きであって,ひとりかふたりの長老の行なう事柄ではないことを謙そんに認めるなら,長老たちの一団はまさにエホバがそう望まれる通りに,すなわち愛のうちに働くでしょう。―「ものみの塔」誌に掲載された以下の記事をご覧ください。1973年12月1日号「『知恵に伴う柔和さ』を示す助言者たち」(732-734ページ),1974年5月15日号「あなたは『柔和で,心のへりくだった人』ですか」,1975年9月1日号「互いに対する熱烈な愛を培いなさい」および「愛は多くの罪を覆う」。
長老たちは次のことを認識すべきです。つまり,長老たちの間においてさえ人間の不完全さに起因する問題があるかもしれないが,暖かいクリスチャン愛という資質は常にお互いの不完全さを覆う方向に働くはずであるということです。(ペテロ第一 4:8)そうした確信を保ち,共に協力し,不当に自分を重要視せず,絶えずお互いに助け合ってエホバの前における自分たちの責任を果たすのは良いことです。わたしたちが会衆のために平和と一致のうちに共に働くなら,エホバは必ずわたしたちとわたしたちのわざを祝福してくださり,そのすべてはエホバの賛美となります。
では,この機会にみなさんひとりひとりへわたしたちの暖かいクリスチャン愛とあいさつをお送りします。
エホバの証人の統治体