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  • 良いたよりが隣人の心を引きつけるものとなるようにする
  • わたしたちの王国奉仕 1977
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わたしたちの王国奉仕 1977
宣 77/7 1–3ページ

良いたよりが隣人の心を引きつけるものとなるようにする

1 もしわたしたちの隣人 ― 同じ通りに住んでいる人や,同じアパートに住んでいる人 ― が良いたよりを受け入れるとしたら,それは確かにわたしたちを喜ばせるものです。おそらくあなたは,野外奉仕の際に彼らを訪問したことがあるでしょうし,他の機会に証言しようとしたこともあるでしょう。これら以外にも何かできることがありますか。

2 聖書を開いて,ヘブライ 13章15,16節を注意深く読んでみてください。その聖句は,『エホバのみ名を公に宣明する』よう強く勧めていますが,さらに次のようにも述べていることに注意してください。「善を行なうこと,そして他の人と分かち合うことを忘れてはなりません。神はそのような犠牲を大いに喜ばれるのです」。「良いサマリア人」についての例えの中でイエスは,隣人を愛するとはどのようなことであるかを説明されましたが,そのことを思い起こしてください。それには,本当に必要としている場合に身体的援助を施すことも含まれることをイエスは示されました。(ルカ 10:25-37)さらに山上の垂訓の中で,イエスはそのような親切が,自分に「良い」ことをしてくれた人だけに示されるべきものではないことを明白にされました。(マタイ 5:43-48)わたしたちは近所の人々に神のみ言葉からのこの助言を適用する機会に目を留めているでしょうか。

どのように行なうか

3 彼らはわたしたちが隣人愛について語っているのを知っています。人々が近所に移転してくるような時,彼らに歓迎の言葉を掛けに立ち寄りますか。もしだれかが病気であることを知るなら,助けを差し伸べますか。わたしたちは世のものではありませんし,社交的な行事に巻き込まれることは避けますが,人々に対して非常に深い関心を抱いています。そして,真の親切な行ないによりこれを示す機会は沢山あります。

4 隣人に何かの親切を示す度に聖書について話し合う機会はないかもしれません。未信者の夫を持つクリスチャンの妻たちにペテロが助言したように,直接の伝道によってではなく,行ないによって人を真理に説得するよう試みたほうが良い場合があります。(ペテロ第一 3:1)もし会話によって王国の希望に注意を向ける道が開かれるなら,自然な仕方でそれを行なってください。一度始めた以上全部を話さなければならないと感ずるべきではありません。ひとことふたこと話してみてから休止をおき,どんな反応が示されるかを見極めるようにしてください。(ヨハネ 4:7-15に示されているように,イエスがどのようにそれを行なったか注意してください。)もし関心が示されないなら,別の機会を待つほうがより良いでしょう。しかし目標を思いに留めてください。全部を一度にしてしまおうとするよりも,ある期間をかけてもっと多くを成し遂げることができるでしょう。

5 ある兄弟姉妹たちはこのようにして優れた成果を得ています。ある姉妹はこう語っています。「わたしは近所の人々との聖書研究を持ちたいと思っていました」。彼女はまず,近所の人々と知り合って,友好的になるようにしようと決めました。初めからではありませんが,時がたつにつれて,証言を行なう機会が開かれてきました。隣人の一人は彼女がどんな宗教を行なっているのか尋ねました。間もなく研究が始まりました。他の人も関心を持つようになりました。三人の女の人と二人の主人は今仲間の証人です。しんぼう強さが示されたこと,そして彼女が証言を行なう前に友好的な関係が培われたことに注意してください。

6 別の伝道者は新しく移転して来た人に,電話が入るまで自分の家の電話を使うように申し出ました。最初の日にではなく,しばらく後で復活について証言する機会が開かれました。伝道者は,その隣人に全部のことを一度に話して圧倒してしまうことがないよう,わざと証言を簡潔にしておきました。しかし,数日後にその隣人である女の人がその話をもちかけてきました。今では研究が定期的に司会されています。

7 ある女の人は事故で足を骨折しました。証人であった隣人は,彼女の家を掃除したり彼女やその家族のために食事を準備するなどして彼女を世話しました。そうするかたわら,適当な時に彼女は王国について話しました。真のクリスチャンの親切が示されることにより,彼女は聖書研究に応じるよう動かされました。今では彼女と三人の子供は会衆でりっぱに行動しています。そのようなクリスチャンの親切を示されたすべての人が証人になるわけではありませんが,その多くが良い反応を示すようになりました。それは個人的な経験を通して,エホバの証人は本当に隣人を気遣うということを確信したからです。

8 隣人に親切を示すのは,単に目的のための手段ではありません。それはわたしたちの生活の一部なのです。しかし,あなたの場合にいくらかの修練が必要だと思われるなら,何をいつ行なうかということではっきりした計画をたててみてはどうですか。「あなたがたのりっぱな業を実際に見」て彼らのうちのある者が「神をたたえるようになる」かもしれないのです。―ペテロ第一 2:12。

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