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塔研21 05月号 26–30ページ
ルイ・ブレン

ライフ・ストーリー

「いろいろな人からたくさんのことを学びました」

ルイ・ブレンの語った経験

私はフランス軍の兵士でした。私が所属する部隊はアルジェリアの山の中にキャンプを張っていて,その地域では戦闘が激しさを増していました。ある真っ暗な夜,私は積まれた土のうの陰で機関銃を片手に1人で見張りをしていました。すると突然,足音が迫ってくるのが聞こえて,私は震え上がりました。20代になったばかりの私は,誰かを殺すのも,自分が殺されるのも嫌でした。それで,思わずこう言いました。「神様,助けてください!」

この恐ろしい出来事がきっかけで,私の人生は変わりました。神を探し求めるようになったのです。でも,この後何が起きたのかを話す前に,私の子供時代についてお話ししましょう。それは,私の考え方に影響を与え,神を探し求めることにつながりました。

父親から学んだこと

私は,1937年にフランス北部の鉱山の町グネンで生まれました。炭鉱で働いていた父親から,一生懸命働くことの大切さを学びました。不公正を憎むことも教わりました。父は強い正義感に動かされて,鉱山作業員のひどい労働環境を改善するために労働組合に加わり,ストライキを行っていました。また,偽善的な聖職者たちにも腹を立てていました。多くの聖職者は良い生活をしていたにもかかわらず,やっとの思いで生活している鉱山労働者たちに,食べ物やお金を要求していました。父は聖職者たちの行いにうんざりしていたので,私に宗教について教えることはしませんでした。神について父と話したことは一度もありませんでした。

成長するにつれて,私も不公正を憎むようになりました。例えば,フランスでは多くの人が国内に住む外国人に偏見を持っていました。私は移民の子供たちとサッカーをしたりして遊んでいましたし,母親はフランス人ではなくポーランド人でした。それで,人種差別のない,平和で平等な世界を望んでいました。

人生の意味について考えるようになる

軍服姿のルイ

軍隊にいた時

私は1957年に徴兵されました。それで,初めに述べたように,暗い夜にアルジェリアの山の中にいたのです。「神様,助けてください!」と言った後,私の前に現れたのは敵の兵士ではなく,野生のロバでした。本当にほっとしました。でも,この出来事やその時の戦争がきっかけとなって,私は人生の意味についてもっと真剣に考えるようになりました。人間はなぜ存在しているのだろうか,神様は人間のことを気に掛けているのだろうか,平和がいつまでも続く時代は来るのだろうかと考えたのです。

その後,休暇で実家にいた時にエホバの証人に会いました。その人が聖書をくれたので,私はアルジェリアに戻ってからそれを読み始めました。特に心を打たれた言葉は,啓示 21章3,4節でした。そこにはこうあります。「神の天幕が人々と共にあり,……神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります」。この言葉を読んで驚きました。そんなことが本当にあるんだろうか,と思いました。当時の私は,神や聖書についてほとんど何も知りませんでした。

1959年に徴兵期間が終了した後,フランソワというエホバの証人に会いました。兄弟は,私に聖書の真理をたくさん教えてくれました。例えば,神にはエホバという名前があることを聖書から示してくれました。(詩 83:18)また,エホバは地球に公正が行き渡るようにし,地球を楽園に変え,啓示 21章3,4節の言葉を実現させる,ということも教えてくれました。

こうした教えは,どれも納得がいくもので,心を動かされました。それと同時に,聖職者たちに対して非常に腹が立ち,聖書に書かれていないことを教えているその人たちを公に非難したいと思いました。私は父親の考え方の影響を受けていましたし,短気な性格でした。それで,すぐに何とかしたいと思ったのです。

フランソワ兄弟や友達になったエホバの証人たちは,私が冷静になれるように助けてくれました。私たちがクリスチャンとして行うべきなのは,人を裁くことではなく,神の王国の良い知らせを伝えて希望を差し伸べることだ,と教えてくれました。これこそイエスが行った活動,また,弟子たちに行うよう命じた活動です。(マタ 24:14。ルカ 4:43)人と話す時には相手の信条にかかわらず,親切かつ巧みに話すことも必要でした。聖書にはこうあります。「主の奴隷は争う必要はありません。必要なのは,誰にでも穏やかに接すること[です]」。(テモ二 2:24)

私は必要な変化を遂げて,1959年の巡回大会でバプテスマを受け,エホバの証人になりました。その大会で,アンジェルという若い姉妹と出会い,姉妹のことが好きになりました。それで姉妹の会衆に遊びに行くようになり,1960年に結婚しました。アンジェルは本当にすてきな女性で,素晴らしい妻で,エホバからの大切なプレゼントです。(格 19:14)

結婚式の日のルイとアンジェル

結婚式の日に

賢明で経験を積んだ兄弟たちからたくさんのことを学ぶ

私は長年にわたって,賢明で経験を積んだ兄弟たちからたくさんの大切なことを教わってきました。中でも大切にしている教えがあります。難しい割り当てをやり遂げるには,謙遜になり,格言 15章22節の言葉を当てはめる必要がある,というものです。そこには,「助言者が多ければ達成される」とあります。

巡回奉仕をしているルイとアンジェル

フランスでの巡回奉仕(1965年)

1964年以来,私はこの聖句の通りであることを実感してきました。その年に私は巡回監督に任命され,会衆を訪問するようになりました。エホバとの絆を強めるよう兄弟たちを助け,励ますためです。当時,私はまだ27歳で,経験が足りなかったので,いろいろな失敗をしました。でも,そこから学ぶようにしました。そして何よりも,有能で経験を積んだ「助言者」たちからたくさんの大切なことを教わりました。

巡回監督になったばかりの頃,パリのある会衆への訪問を終えた時のことでした。経験を積んだ兄弟から,「ちょっと2人で話せませんか」と言われました。「いいですよ」と私は答えました。

兄弟はこう言いました。「ルイ兄弟,お医者さんが往診をするのは,誰を診るためですか」。

「病気の人です」。

「そうですね。でも兄弟を見ていると,会衆の監督など,信仰の面で元気な人とばかり時間を過ごしているように思えます。会衆の兄弟姉妹の中には,気落ちしている人や,最近バプテスマを受けた人や,内気な人がたくさんいます。兄弟がそうした人たちと時間を過ごしたり,家に行って一緒に食事を楽しんだりするなら,本当に喜ばれると思いますよ」。

まさにその通りで,貴重なアドバイスでした。エホバの羊に対する兄弟の愛を感じて,感動しました。自分が間違っていたことを認めるのは大変でしたが,兄弟のアドバイスをすぐに当てはめるようにしました。エホバがこうした兄弟たちを与えてくださったことに感謝しています。

1969年と1973年には,パリのコロンブで開かれた国際大会で,給食部門の監督として奉仕しました。1973年の大会では,約6万人の人に5日間にわたって食事を提供する必要がありました。そんなことできるんだろうか,と思いました。しかしこの時も,成功の鍵は格言 15章22節に従って,アドバイスを求めることでした。食品関係の経験を持つ兄弟たちに助けてもらいました。その中には,肉屋や野菜農家の人もいれば,調理や仕入れの経験がある人もいました。みんなの協力のおかげで,山のように思えた割り当てを果たすことができました。

1973年,私たち夫婦はフランスのベテルで奉仕するよう招かれました。そこで最初に割り当てられた仕事も,とても難しいものでした。アフリカのカメルーンの兄弟たちが出版物を受け取れるようにする仕事です。カメルーンでは,1970年から1993年までエホバの証人の活動が禁止されていました。この時も圧倒され,どうしたらよいのだろう,と思いました。当時支部の監督だった兄弟は,そのことを察してか,私をこう励ましてくれました。「カメルーンの兄弟たちは,信仰を強める食物を本当に必要としています。ぜひ食べさせてあげましょう!」 私たちは,この仕事もやり遂げることができました。

カメルーンから来た兄弟姉妹と共に,ナイジェリアで開かれた特別な集まりにて(1973年)

私はカメルーンに隣接する国々へ何度か行き,そこでカメルーンの長老たちと会合を持ちました。これらの勇敢で思慮深い兄弟たちは,カメルーンに出版物を定期的に供給するための取り決めを作る上で,助けとなってくれました。エホバは私たちの努力を祝福してくださいました。20年以上にわたってカメルーンの兄弟姉妹は,「ものみの塔」や,当時「わたしたちの王国奉仕」と呼ばれていた出版物を毎月1号も欠かすことなく受け取ることができました。

カメルーンの巡回監督たちや妻たちと共に写真に写るルイとアンジェル

アンジェルと私はナイジェリアを訪問して,カメルーンの巡回監督たちや妻たちと会った。(1977年)

大切な妻からたくさんのことを学ぶ

付き合い始めた時から,アンジェルがエホバとの強い絆を持っていることは知っていましたが,結婚してそのことが一層よく分かるようになりました。結婚式の日の夜,アンジェルは,私たちが夫婦としてエホバにできる限りお仕えしたいと思っていることを祈ってほしい,と言いました。エホバは,この祈りに答えてくださいました。

また,アンジェルのおかげで,私は一層エホバを信頼できるようになりました。例えば,1973年にベテルに招待された時,私は気が進みませんでした。巡回奉仕が大好きだったからです。でもアンジェルは,私たちはエホバに命を捧げたのだから,エホバの組織から求められることは何でも行うべきだ,ということを思い出させてくれました。(ヘブ 13:17)本当にその通りだ,と思いました。それでベテルに向けて出発しました。妻は賢くて,バランスの取れた見方ができる女性で,エホバを心から愛しています。それで,私たちは結婚して何十年にもなりますが,2人の絆はますます強まっています。これまでさまざまな良い決定を下すこともできました。

フランスのベテルの庭で,アンジェルと共に

私たちは年を取りましたが,アンジェルは今も私をよく支えてくれる素晴らしい妻です。例えば,アンジェルと私は,神の組織が開く学校に出席するために,英語を一生懸命勉強し始めました。そうした学校の多くは英語で行われるからです。私たちは70代半ばになっていましたが,英語会衆に移動することにしました。フランスの支部委員会で奉仕しながら外国語を学ぶ時間を取るのは大変でした。でも,私たちは夫婦で助け合いました。80代になった今でも,集会の予習を英語とフランス語の両方で行っています。そして,できるだけ多くの機会に,会衆の仲間と一緒に集会や宣教に参加するようにしています。エホバは英語を学ぶ私たちの努力を祝福してくださっています。

2017年には素晴らしい祝福がありました。ニューヨーク州パタソンにあるものみの塔教育センターで開かれた,支部委員と妻のための学校に招待されたのです。

エホバは確かに偉大な教師です。(イザ 30:20)ですから,エホバに仕えている人たちが,年を取った人も若い人も,最高の教育を受けているのは不思議なことではありません。(申 4:5-8)そして,若い人たちが,エホバと経験を積んだ兄弟姉妹の言葉に耳を傾けて,エホバとの関係で素晴らしい進歩を遂げ,立派な大人になっていくのを,私は見てきました。格言 9章9節にある通りです。「賢い人に伝えよ。その人はさらに賢くなる。正しい人を教えよ。その人はさらに知識を得る」。

時々,60年ほど前にアルジェリアの山の中で過ごした,真っ暗な恐ろしい夜のことを思い出します。その時は,自分がこんなに幸せになれるとは思ってもみませんでした。私は,いろいろな人からたくさんのことを学びました。エホバは,私とアンジェルが豊かで充実した人生を送れるようにしてくださいました。それで,私たちはこれからも,天のお父さんエホバと,エホバを愛する賢明で経験を積んだ兄弟姉妹から学び続けていきたいと思っています。

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