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  • エホバを第一にして決定してきました
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 06月号 26–30ページ

ライフ・ストーリー

エホバを第一にして決定してきました

ディア・ヤズベクの語った経験

若い時のディア・ヤズベク兄弟

1984年のある晴れた日の朝,私はベネズエラのカラカスの住宅街にある快適な家から,仕事場に向かっていました。その時,私は最近の「ものみの塔」の記事について考えていました。その記事は,私たちが周りの人からどう見られているかについて扱ったものでした。近所の家々を見ながら,こう思いました。「私は周りの人から,優秀な銀行員としか見られていないだろうか。それとも,銀行で働いて家族を養いつつ神に仕えている人と見られているだろうか」。「たぶん銀行員としか見られていないだろうな」と感じ,このままではいけないと思いました。

私は,1940年5月19日にレバノンのアミュンで生まれました。数年後,私たち家族はトリポリに引っ越し,そこで私は,エホバを愛する愛情深く幸せな家族に囲まれて育ちました。私は5人兄弟の末っ子で,姉が3人と兄が1人いました。両親は,お金を稼ぐことを第一には考えていませんでした。聖書を学ぶこと,集会に出席すること,神を知るよう人々を助けることを生活の中心にしていました。

私たちの会衆には,天に行くよう選ばれたクリスチャンが幾人かいました。そのうちの1人は,ミシェル・アブド兄弟で,当時の書籍研究を司会してくれていました。兄弟は聖書の真理をニューヨークで学び,1920年代の初めにレバノンに伝えました。私が特に思い出すのは,兄弟がギレアデ学校を卒業した2人の若い姉妹に,敬意を込めて親切に接していたことです。その姉妹たちとは,アン・ビーボー姉妹とグウェン・ビーボー姉妹です。私たち家族は2人と親しくなりました。何十年かたって,アメリカでアン姉妹と再会した時には,本当にうれしかったです。その後,グウェン姉妹とも会いました。姉妹はウィルフレッド・グーチ兄弟と結婚し,イギリスのロンドンにある支部事務所でベテル奉仕をしていました。

レバノンでの伝道

私が子供の頃,レバノンで奉仕しているエホバの証人はごくわずかでした。でも,私たちは聖書から学んだことを人々に熱心に伝えました。宗教指導者から反対されてもそうしました。よく覚えている出来事が幾つかあります。

ある日,私は姉のサナと一緒にアパートで伝道していました。すると,1人の司祭が私たちのいた階にやって来ました。誰かが呼んだようです。司祭は姉をののしり始めました。それだけでなく,姉を階段から突き落として,けがをさせました。通報を受けて駆け付けた警察官は親切な人たちで,姉が手当てを受けられるようにしてくれました。司祭は警察署に連行され,銃を持っていたことが発覚しました。警察署の署長は司祭にこう言いました。「あなたは一体何をしているんですか。宗教を教えているんですか。それとも暴力を教えているんですか」。

ほかにもよく覚えているのは,会衆でバスを借りて辺ぴな町へ伝道に出掛けた時のことです。私たちは楽しく奉仕を行っていましたが,そのことを聞き付けた司祭が暴徒を引き連れてやって来ました。彼らは私たちを困らせようとし,石を投げ付けることさえして,父にけがをさせました。父の顔は血だらけになっていました。父は母と一緒にバスに戻り,私たちも心配しながら付いていきました。その時,母が父の顔を拭きながら言った言葉が忘れられません。「エホバ,あの人たちをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」。

また,郷里の親族を訪ねた時のことです。祖父の家に,よく知られた主教が来ていました。主教は,私の両親がエホバの証人であることを知っていました。そして,まだ6歳だった私を困らせようとして,こう言いました。「君はどうしてバプテスマを受けていないんだい?」 私は,自分はまだ子供なので,バプテスマを受けるには,聖書をもっと勉強して,信仰を強くしなければいけない,と答えました。主教は私の答えが気に入らなかったので,祖父に向かって,この子は失礼な子だ,と言いました。

とはいえ,こうした嫌な経験ばかりだったわけではありません。レバノンの人たちは一般に,親しみやすく,人をよくもてなします。それで,多くの人と聖書について楽しく話し合うことができましたし,聖書研究もたくさん行うことができました。

外国への移住

私がまだ学校に通っていた頃,ベネズエラの若い兄弟がレバノンを訪れました。兄弟は私たちの会衆の集会に出席し,姉のワファと親しくなりました。やがて2人は結婚し,ベネズエラに住むようになりました。ワファは何通も手紙を送ってきて,家族みんなでベネズエラに移住するよう,父に勧めました。家族と離れて,とてもさみしい思いをしていたからです。やがて,私たち家族はその勧めに応じて移住することにしました。

私たちは,1953年にベネズエラに引っ越し,カラカスにある大統領官邸の近くに住むようになりました。まだ若かった私は,大統領が運転手付きの車で通り過ぎるのを見ては喜んでいました。しかし,両親にとって,新しい国,言語,文化,食事,気候に順応するのは大変なことでした。そして,ようやく慣れてきたと思った頃に,非常にショックなことが起きました。

左から右へ: 父。母。家族でベネズエラに移住した頃の私(1953年)

悲劇が起きる

父が体調不良を訴えるようになりました。私たち家族は,一体どうしたんだろう,と思いました。父は丈夫で健康な人だったからです。具合の悪い父を見たことなどありませんでした。父は膵臓がんと診断され,手術を受けました。しかし,悲しいことに,1週間後に亡くなりました。

この時私たち家族が経験した悲しみは,言葉では言い表せません。私はまだ13歳でした。私たちは,大きなショックを受け,世界が終わったかのように感じました。しばらくの間,母は父の死を受け入れられませんでした。しかし私たちは,それでも前に進まなければならないことに気付き,エホバのおかげでそうすることができました。私は16歳でカラカスの高校を卒業した時,家族の助けになりたいと強く思いました。

姉夫婦(ルベンとサナ)から私は良い影響を受け,信仰面で成長できた。

やがて姉のサナは,ルベン・アラウホ兄弟と結婚しました。兄弟はギレアデ学校を卒業した後,ベネズエラに戻ってきていました。2人はニューヨークに引っ越すことにしました。その後,家族が私を大学に行かせることにしたので,私はニューヨークに行きました。そして,姉夫婦の家に住みながら大学に通うことができました。私はその間に,2人から良い影響を受け,信仰面で成長することができました。さらに,ブルックリンのスペイン語会衆には,立派な兄弟たちがたくさんいました。中でも,ブルックリン・ベテルで奉仕していたミルトン・ヘンシェル兄弟やフレデリック・フランズ兄弟と知り合えたことに感謝しています。

1957年に私はバプテスマを受けた。

ニューヨークでの大学生活の1年目が終わろうとしていた頃,私は自分の人生について改めて考えるようになりました。良い目標を持って励んできたクリスチャンについての「ものみの塔」の記事を幾つも読んで,真剣に考えました。また,私の会衆の開拓者やベテル奉仕者の幸せそうな様子を見て,自分も同じようになりたい,と思いました。でも,私はまだバプテスマを受けていませんでした。程なくして,自分の命をエホバに捧げることの大切さを理解するようになりました。そして献身し,1957年3月30日にバプテスマを受けました。

大きな決定

バプテスマを受けるという重要な決定をした後,私は全時間奉仕を始めることを考えるようになりました。開拓奉仕をしたいという気持ちはどんどん強くなっていきましたが,実際にそうするのは難しく思えました。大学の勉強と奉仕の両立はできそうにありませんでした。ベネズエラに住む家族と何度も手紙をやり取りして,大学をやめてベネズエラに戻り,開拓奉仕を始めたいと思っていることを説明しました。

私は1957年6月にカラカスに戻りました。しかし,家族の状況はあまり良くなく,経済面の助けが必要でした。どうすれば家族を助けられるでしょうか。銀行での仕事を紹介されましたが,ぜひとも開拓奉仕をしたいと思っていました。ベネズエラに帰ってきたのはそのためだったからです。それで,両方することにしました。数年の間,銀行で全時間働きながら開拓奉仕をしました。人生で一番忙しく,一番幸福な時でした。

さらに,うれしいことがありました。エホバを深く愛する美しいドイツ人の姉妹シルビアと出会い,結婚しました。シルビアは両親と一緒にベネズエラに移住していました。やがて2人の子供が生まれました。息子のミシェル(マイク)と娘のサミラです。また,母の世話もすることになり,一緒に住むようになりました。家族を世話するために開拓奉仕をやめなければなりませんでしたが,伝道に対する熱意は失いませんでした。私とシルビアは,休暇の時期に可能な限り補助開拓奉仕を行いました。

別の大きな決定

この記事の冒頭でお話ししたのは,子供たちがまだ学校に通っていた頃のことです。確かに,私はいい生活をしていましたし,同僚からも信頼されていました。それでも,私が一番願っていたのは,エホバの証人として知られることでした。その日に考えたことは頭から離れませんでした。それで,妻と一緒に座って,わが家の家計の状態について話し合いました。私が銀行の仕事を辞めれば,かなりの額の退職金を受け取れます。借金はありませんでしたから,生活を簡素にすれば,かなりの期間やっていけるだろうと思いました。

そうするのは簡単ではありませんでしたが,愛する妻も母も,私の決定を心から支持してくれました。もう一度,全時間奉仕を行えるのです。本当にうれしかったです。全ては順調に思えました。ところが,驚くようなことが起こりました。

うれしい驚き

ディア兄弟とシルビア姉妹と生まれたばかりの息子ガブリエル

3人目の子供ガブリエルの誕生はうれしい驚きだった。

ある日,医師からシルビアが妊娠していると言われました。2人とも本当に驚きました。大きな喜びでしたが,開拓者になるという決定についても考えました。計画通り開拓奉仕を始められるのでしょうか。私たちはすぐに気持ちを切り替えて,新しい家族を迎えることを楽しみにするようになりました。それでも,何とかして開拓奉仕ができないかと考えていました。

私たちは目標について話し合い,当初の計画の通りにすることにしました。1985年4月に息子のガブリエルが生まれました。そして,私は銀行を退職し,1985年6月に再び正規開拓奉仕を始めました。その後,支部委員会で奉仕するよう任命されました。しかし,支部はカラカスにはなかったので,私は週に2日か3日,80㌔ほどの距離を通う必要がありました。

再び引っ越す

支部事務所はラ・ビクトリアにあったので,私たち家族はその町に引っ越すことにしました。これは私たち家族にとって,大きな決定でした。うちの家族は本当に素晴らしい家族です。どれほど感謝しても感謝し切れません。本当によく協力してくれました。姉のバハは母の世話を進んで引き受けてくれました。マイクは結婚していましたが,サミラとガブリエルはまだ私たちと一緒に住んでいたので,ラ・ビクトリアに引っ越す時,2人はカラカスの友達と別れなければなりませんでした。また,愛するシルビアもにぎやかな首都での暮らしから,小さな町での暮らしに順応する必要がありました。そして私たちみんなが,以前よりも小さな家に慣れる必要がありました。カラカスからラ・ビクトリアに引っ越すという決定には,本当に多くのことが関係していました。

その後,状況はまた変化しました。ガブリエルは結婚し,サミラも家を出て,別の所に住むようになりました。そして,私とシルビアは2007年にベテル家族に加わるよう招かれ,今もその奉仕を楽しんでいます。長男のマイクは長老で,妻のモニカと一緒に開拓奉仕をしています。ガブリエルも長老で,妻のアンブラと一緒にイタリアで奉仕しています。そして,サミラは開拓奉仕をしながら,ベテルのリモート・ボランティアとしても働いています。

左から右へ: 妻のシルビアと共に,ベネズエラ支部にて。長男のマイクとモニカ。長女のサミラ。次男のガブリエルとアンブラ

また同じ決定をするだろう

私はこれまでの人生の中で,たくさんの大きな決定をしてきました。後悔は全くしていません。もしもう一度人生をやり直せるとしても,また同じ決定をするでしょう。これまでさまざまな形でエホバにお仕えできたことを心から感謝しています。長年にわたって,エホバとの固い友情を保つことがいかに大切かを実感してきました。大きなものであれ小さなものであれ,私たちが決定を下さなければならない時に,エホバは「人間の理解をはるかに超え」た平和を与えてくれます。(フィリ 4:6,7)私とシルビアは,ベテルでの神聖な奉仕を楽しんでおり,これまで下してきた決定をエホバは祝福してくださったと感じています。それは,エホバを第一にして決定してきたからです。

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