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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2024
塔研24 12月号 8–13ページ

研究記事 49

147番の歌 約束された永遠の命

永遠に生きるために必要なこと

「子を認めて信仰を抱く人が皆,永遠の命を受ける」。ヨハネ 6:40

ポイント

天に行くよう選ばれた人もほかの羊も,どのようにイエス・キリストの犠牲から恩恵を受けられるでしょうか。

1. 永遠に生きることについてどう思う人がいますか。

多くの人は少しでも健康に長生きしたいと思って,食事に気を使ったり定期的に運動したりしています。でも,永遠に生きられるとは思っていません。永遠に生きるなんて現実離れしている,年を取って苦しい思いをしてまで生きていたくない,と考えるのです。でも,ヨハネ 3章16節や5章24節によると,イエスは「永遠の命」を得ることができると言っています。

2. ヨハネ 6章には永遠の命についてどんなことが書かれていますか。(ヨハネ 6:39,40)

2 ある時,イエスは奇跡によってパンと魚を増やし,大勢の人のために食事を用意しました。a びっくりするような奇跡でしたが,次の日にイエスはもっと驚くようなことを言います。ガリラヤ湖沿岸のカペルナウムまで付いてきた群衆に対し,人々が復活し永遠に生きられるようになると話したのです。(ヨハネ 6:39,40を読む。)想像してみてください。亡くなったあなたの友達や家族を含む大勢の人が復活してきて,みんなで永遠に生きられるということです。でも,その後イエスは多くの人にとって理解しにくいことを話します。その言葉を調べてみましょう。

3. ヨハネ 6章51節で,イエスは自分についてどんなことを明らかにしましたか。

3 カペルナウムの群衆は,少し前にイエスからもらったパンを,父祖たちがエホバから与えられたマナと結び付けて考えます。マナは聖書の中で「天からのパン」と呼ばれています。(詩 105:40。ヨハ 6:31)イエスはマナを土台として教えます。マナは神から奇跡によって与えられたものでしたが,それを食べた人たちもやがて死にました。(ヨハ 6:49)一方,イエスは自分が「天からの真のパン」,「神のパン」,「命のパン」であると言いました。(ヨハ 6:32,33,35)そして,イエスは自分とマナとの違いを強調し,こう言います。「私は天から下ってきた命のパンです。このパンを食べる人は永遠に生きます」。(ヨハネ 6:51を読む。)それを聞いたユダヤ人たちは困惑しました。イエスは天から下ってきた「パン」で神が父祖たちに奇跡によって与えたマナよりも優れている,とはどういうことでしょうか。イエスは「私が与えるパンとは私の肉」であるとも言いました。イエスがどういう意味でそう言ったのかを知ることは大切です。自分と愛する人たちがどうすれば永遠に生きられるかが分かるからです。

命のパンとイエスの肉

4. イエスの言葉を聞いてある人たちがショックを受けたのはどうしてですか。

4 「人類が生きるため」にイエスが自分の「肉」を与えると言った時,ある人たちはショックを受けました。イエスが実際に自分の肉を食べさせると思ったのかもしれません。(ヨハ 6:52)イエスが続けて語った次の言葉に人々はさらに衝撃を受けたことでしょう。「人の子の肉を食べず,その血を飲まない限り,自分の内に命を持てません」。(ヨハ 6:53)

5. イエスは自分の血を実際に飲むよう勧めていたわけではありません。なぜそう言えますか。

5 ノアの時代,神は血を食べることを禁じました。(創 9:3,4)イスラエルに与えた律法の中でもそれを禁じました。血を食べる人は「除かれ」る,つまり死刑にされることになっていました。(レビ 7:27)イエスは人々に律法を守るよう教えました。(マタ 5:17-19)それでイエスがユダヤ人たちに,実際にイエスの肉を食べ,血を飲むように勧めたとは考えられません。むしろイエスはこのインパクトのある表現を使って,どうすれば「永遠の命」を得られるかを教えていました。(ヨハ 6:54)

6. イエスの肉を食べ,血を飲むという言葉をどう理解したらいいですか。

6 イエスは何を言いたかったのでしょうか。覚えておきたいのは,これが比喩表現だったということです。イエスは以前サマリア人の女性にこう言ったことがあります。「私が与える水を飲む人は決して喉が渇くことがなく,私が与える水はその人の中で泉となって,永遠の命を与える水を湧き上がらせます」。(ヨハ 4:7,14)b イエスはサマリア人の女性に,文字通りの水を飲めば永遠の命が得られると言っていたのではありません。同じようにカペルナウムの群衆にも,文字通りイエスの肉を食べ血を飲むなら永遠に生きられる,と言っていたのではありません。

2つの場面の違い

7. ヨハネ 6章53節のイエスの言葉についてどう考える人たちがいますか。

7 クリスチャンと言われる人たちの中には,「イエスはヨハネ 6章53節で自分の肉を食べ血を飲むようにと言った時,主の晩餐で行うべきことを教えていた」と主張する人たちもいます。主の晩餐の時にもイエスが同じような表現を使っているからです。(マタ 26:26-28)主の晩餐に出席する人全員が回されてきたパンを食べぶどう酒を飲むべきだ,と言います。本当にそうすべきなのでしょうか。私たちは毎年世界中で大勢の人たちと主の晩餐を行うので,その考えが正しいかどうかを調べるのは重要なことです。イエスがヨハネ 6章53節で言ったことと主の晩餐の時に言ったことには,どんな違いがあるのでしょうか。

8. 2つの場面にはどんな2つの違いがありますか。(挿絵も参照。)

8 まず,2つの違いについて考えてみましょう。1つ目は,イエスがそれぞれの言葉をいつどこで語ったか,という点です。イエスはヨハネ 6章53-56節の言葉を,西暦32年にガリラヤでユダヤ人の群衆に語りました。一方,主の晩餐を制定したのはそれから約1年後の西暦33年,エルサレムでのことでした。2つ目は,イエスがどんな人たちに対して語ったか,という点です。ガリラヤでイエスの話を聞いた人たちのほとんどは,神や神の王国について知ることよりも一時的に食欲を満たすことに関心がありました。(ヨハ 6:26)実際,イエスの言ったことが理解しにくいと感じると,すぐにイエスを信じるのをやめてしまいました。イエスの弟子たちの中にも,イエスに従うのをやめてしまった人たちがいます。(ヨハ 6:14,36,42,60,64,66)一方,それから約1年後の西暦33年,イエスは主の晩餐を制定した時,11人の忠実な使徒たちに対して語っていました。使徒たちはイエスが教えていること全てを十分に理解できたわけではありませんでしたが,イエスから離れませんでした。しかも,ガリラヤでイエスの話を聞いていたほとんどの人たちとは違い,使徒たちはイエスが天から下ってきた神の子であることを強く確信していました。(マタ 16:16)イエスは忠実な使徒たちを,「あなたたちは私が試練に遭っている間もずっと一緒にいました」と褒めました。(ルカ 22:28)この2つの違いを考えただけでも,「イエスはヨハネ 6章53節で主の晩餐で行うべきことを教えていた」という主張が間違いであることが分かります。とはいえ,2つの場面にはさらに違いがあります。

1. イエスが群衆に話している。人々はイエスの話を聞いて,驚いたり不満を言ったりしている。2. イエスが忠実な使徒たちと主の晩餐を祝っている。

(左)ヨハネ 6章には,イエスがガリラヤでユダヤ人の群衆に語った言葉が書かれている。(右)1年後,イエスはエルサレムで11人の忠実な使徒たちに話した。(8節を参照。)


あなたにも関係がある

9. イエスが主の晩餐で語ったことはどんな人たちに当てはまりますか。

9 イエスは主の晩餐で使徒たちに無酵母パンを渡し,これは自分の体を表していると教えました。次にぶどう酒を渡し,これは「契約の血」を表していると言いました。(マル 14:22-25。ルカ 22:20。コリ一 11:24)これは大切なポイントです。新しい契約は全人類と結ばれるのではなく,「神の王国」に入る比喩的な「イスラエル国民」と結ばれるものです。(ヘブ 8:6,10; 9:15)当時,使徒たちはそのことを理解していませんでした。でも間もなく聖なる力を注がれ,天でイエスと共になるための新しい契約に入ることになっていました。(ヨハ 14:2,3)

10. イエスがガリラヤで語ったことと主の晩餐で語ったことには,ほかにもどんな違いがありましたか。(写真も参照。)

10 イエスは主の晩餐の時,「小さな群れ」について述べていました。その時,イエスと一緒に部屋にいた忠実な使徒たちが,「小さな群れ」の最初のメンバーになりました。(ルカ 12:32)使徒たちを含め「小さな群れ」の一員になる人たちは,パンを食べぶどう酒を飲むことになりました。その人たちは天でイエスと共になります。イエスが主の晩餐の時に使徒たちに語ったことは,比較的少数の人たちだけに当てはまります。それに対し,ガリラヤの群衆に語ったことは非常に大勢の人たちに当てはまります。確かに大きな違いがあります。

主の晩餐で1人の兄弟がパンを食べようとしている。

パンを食べぶどう酒を飲む人は比較的少数だが,イエスに信仰を抱いて永遠に生きる機会は全ての人に開かれている。(10節を参照。)


11. イエスはガリラヤで,比較的少数の人たちについて述べていたわけではありません。そう言えるのはなぜですか。

11 イエスは西暦32年にガリラヤで,主にパンをもらうことに関心があったユダヤ人に話していました。でもイエスは,文字通りの食べ物よりももっと価値があるもの,永遠の命を可能にするものに注意を向けました。また,亡くなった人が終わりの日に復活し,永遠に生きることができると言いました。イエスは,主の晩餐の時のように,比較的少数の人たちについて言っていたのではありません。むしろこの時,全ての人に永遠に生きる見込みがあることについて言っていました。こうあります。「このパンを食べる人は永遠に生きます。そして,私が与えるパンとは私の肉であり,人類が生きるためのものです」。(ヨハ 6:51)c

12. イエスによると,永遠に生きるためには何をする必要がありますか。

12 イエスは,過去に生きていた人やこれから生まれてくる人を含め,全ての人が永遠に生きられると言ったわけではありません。「このパンを食べる」人たち,つまりイエスに信仰を抱く人たちだけが永遠に生きられるのです。自分はクリスチャンだと言う多くの人たちは,ただ「[イエス]を信じ」て救い主と考えるなら救われる,と思っています。(ヨハ 6:29,「聖書協会共同訳」,日本聖書協会)でも,ガリラヤの群衆の中には,最初はイエスを信じていたのにイエスに従うのをやめてしまった人たちがいました。どうしてでしょうか。

13. イエスの本物の弟子になるためには何が必要ですか。

13 群衆の多くは,イエスが自分たちの欲しいものをくれるのでイエスに従っていました。人々が関心を持っていたのは,病気を癒やしてもらうこと,ただで食べ物をもらうこと,聞き心地の良い教えを聞くことでした。でもイエスは,本物の弟子になるためにはもっと必要なことがあると教えていました。イエスは単に人々の願いをかなえるために地上に来たのではありません。人々はイエスが教えたこと全てを受け入れ,従うことで,イエスの「もとに来る」必要がありました。(ヨハ 5:40; 6:44)

14. イエスの肉と血から恩恵を受けるには何をしなければなりませんか。

14 イエスは群衆に対し,信仰を抱くことの大切さを強調しました。何に対する信仰でしょうか。イエスが犠牲として捧げる肉と血には命を救う力がある,ということに対する信仰です。そのような信仰を抱くことは,当時のユダヤ人にとっても現代の私たちにとっても重要です。(ヨハ 6:40)ヨハネ 6章53節でイエスが教えていたのは,永遠に生きるためにはイエスの贖いに信仰を抱く必要があるということです。その機会は非常に多くの人たちに開かれています。(エフェ 1:7)

15-16. ヨハネ 6章からどんな大切な点を学べますか。

15 ヨハネ 6章の記述から,私たち全てにとって励みとなる大切な事柄をたくさん学べます。イエスはガリラヤで人々の病気を癒やし,王国について教え,必要としている食物を与えました。イエスの人々に対する優しい気持ちがよく分かります。(ルカ 9:11。ヨハ 6:2,11,12)もっと重要な点として,イエスは自分が「命のパン」であると教えました。(ヨハ 6:35,48)

16 「ほかの羊」と呼ばれている人たちは,毎年主の晩餐でパンを食べぶどう酒を飲むことはありませんし,そうすべきでもありません。(ヨハ 10:16)でも,イエスの犠牲が持つ命を救う力に信仰を抱くことによって,イエスの肉と血から恩恵を受けることができます。(ヨハ 6:53)一方,新しい契約に入っていて将来天の王国で統治する人たちは,パンを食べぶどう酒を飲みます。ですから,ヨハネ 6章に書かれていることは,天に行くよう選ばれた人たちにとっても,ほかの羊にとっても重要です。永遠に生きるためにはイエスの贖いに信仰を抱く必要がある,ということを学べるからです。

どのように答えますか

  • 永遠に生きるためには何をする必要がありますか。

  • ヨハネ 6章に書かれているイエスが西暦32年に言ったことと,33年に主の晩餐で言ったことには,どんな違いがありますか。

  • ほかの羊は記念式でパンを食べぶどう酒を飲むことはしませんが,ヨハネ 6章によるとどんな素晴らしい見込みがありますか。

150番の歌 救いのために神に頼る

a ヨハネ 6章5-35節については前の記事で取り上げました。

b イエスが述べた水は,私たちが永遠に生きられるようエホバが与えてくださるものを表しています。

c この聖句の「人」という語は「誰でも」と訳すこともできます。ヨハネ 6章で,永遠に生きる人を指して使われている「人」という語も,「誰でも」や「皆」と訳すことができます。(ヨハ 6:35,40,47,54,56-58)

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