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  • やっとまた一緒になれました!
  • 2016 エホバの証人の年鑑
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2016 エホバの証人の年鑑
鑑16 170ページ–171ページ 6節
リンダ・オンとサリー・オン

インドネシア

やっとまた一緒になれました!

リンダ・オンとサリー・オンの語った経験

リンダ: 12歳の時,母からわたしには養子に出した妹がいると知らされました。わたしはその子も自分と同じろう者なのかなと思いました。でも,消息不明のまま時がたちました。

サリー: 自分が養子だとは全然知りませんでした。育ての母からはたたかれ,召使いのように扱われ,惨めで寂しい子ども時代でした。耳が聞こえないのでさらにつらい思いをしました。その後,エホバの証人と聖書を学び始めました。母にそれが見つかると,ベルトで打たれ,扉の鍵も変えられて家に閉じ込められたんです。20歳の時,家から逃げ出し,証人たちの家に住まわせてもらいました。そして,2012年の初めにバプテスマを受けました。

リンダ: エホバの証人と研究を始めたのは20歳の時です。その後,ジャカルタでの地域大会に行くようになりました。そこではプログラムの手話通訳がありました。大会で大勢のろう者と会い,その中に,北スマトラから来たサリーという若い姉妹もいました。理由は分かりませんでしたが,サリーにすごく親しみを感じたんです。

サリー: わたしたちは良い友達になりました。自分たちはよく似ているなと思いましたが,それ以上は深く考えませんでした。

リンダ: 2012年8月,バプテスマ前日に,消息の分からない妹に会いたくてたまらなくなりました。エホバに,「どうか妹を見つけさせてください。あなたのことを妹にも伝えたいんです」と祈りました。少しして,母の携帯に突然メールが入りました。消息不明の妹を知っている人からでした。それがきっかけで物事が動き出し,サリーと連絡を取ることになりました。

サリー: リンダから,わたしがリンダの妹で長い間消息が不明だった,と知らされました。それですぐに飛行機でジャカルタに行きました。空港のセキュリティー・チェックを出ると,リンダが見えました。両親ともう一人の姉も一緒に迎えに来てくれていたんです。わたしは感動のあまり震えていました。みんなと抱き合ってキスしました。母は一番長くわたしを抱きしめてくれました。全員泣いていました。養子に出したことを父と母が涙ながらに謝ってくれた時,わたしたちはもっと泣き,もっとしっかり抱き合いました。

リンダ: 違う環境で育ったので,相手の個性や習慣の違いを受け入れる必要がありました。でもお互いのことが大好きです。

サリー: 今は一緒に暮らし,ジャカルタの同じ手話会衆にいます。

リンダ: サリーとわたしは20年以上離れ離れでした。わたしたちはやっとまた一緒になれたことをエホバに感謝しています。

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