-
マタイものみの塔出版物索引 1986-2025
-
-
28:19 洞-1 476; 洞-2 273-274,368,550,803,1206; イ質 記事47; イ聖 記事81,110; 追 87-88,94-96; 塔研21.07 3; 暮 レッスン21,23; 塔研20.01 2-7; 塔研20.03 9-10,12; 塔研19.07 14-19; 塔研18.03 5,9; 集ワ18.04 8; 塔研16.05 9; 塔12 3/1 23; 塔12 6/1 15; 塔10 3/15 10-14; 塔06 2/1 22-23; 塔04 1/1 13; 塔04 7/1 8-19; 目04 5/8 14; 塔02 4/1 11-12; 塔02 7/15 19; 拝 113-115; 塔01 1/15 12; 塔99 3/15 10; 塔98 1/1 29; 塔96 2/15 19-22; 塔95 5/15 10-11; 塔95 10/1 14; 知 176; 塔94 4/1 28; 告 26-27,572-573; 塔92 1/15 21; 塔92 2/1 13-15,18; 塔92 2/15 16; 塔92 6/15 23; 塔92 10/15 19; 塔91 11/1 23; 宣 91/12 2; 塔90 3/15 11; 塔90 12/15 17-18; 塔89 1/1 11; 塔89 1/15 12; 論 170; 三 22-23; 塔88 1/1 22; 塔88 7/15 9-11; 塔87 6/15 4-5
-
-
マタイものみの塔出版物索引 1951-1985
-
-
28:19 塔81 6/1 18; 宣 81/4 3; 塔80 11/15 26,31; 塔79 2/1 16; 塔79 8/15 13-14; 宣 79/8 1; 塔77 468; 聖 135; 塔76 561; 塔75 381; 塔74 622; 目74 6/22 27; 塔73 115,120,125,198,461,467,722; 組 4; 塔72 671; 塔71 344; 塔70 111,172-173,175-176,178,180,221,460-461,464-466; 塔69 274,318,539; 真 185; 自 119,199,367,369; 目67 7/22 24; 塔66 421-422,655; 目66 3/8 5; 目65 2/8 28; 塔64 79,148; 目64 3/8 4; 塔63 18,364,460,620; 目63 2/8 26; 塔62 100,142,181,383,429; 目62 12/8 7; 塔61 306,366; 塔60 306; 失 247; 塔58 415-416; 目58 2/22 5; 塔56 90; 天 306; 塔55 99,353; 塔54 245
-
-
マタイ 注釈 28章新世界訳聖書 (スタディー版)
-
-
全ての国の人々: 直訳は「全ての国」だが,文脈からすると全ての国の個々の人々を指す。ギリシャ語で,バプテスマを施しという部分にある代名詞は男性形で,中性名詞の「国」ではなく人々を指すから。「全ての国の人々」のもとに行くようにというのは新しい命令だった。イエスの宣教より前,聖書が示す通り,異国人が来てエホバに仕えるならイスラエルに歓迎された。(王一 8:41-43)しかし,イエスはこの命令によって弟子たちに,生来のユダヤ人以外の人々にも伝道するという任務を与え,人々を弟子とするクリスチャンの活動が世界規模のものであることを強調した。(マタ 10:1,5-7。啓 7:9)マタ 24:14の注釈を参照。
弟子としなさい: または,「学ぶ人としなさい」。ギリシャ語動詞マテーテウオーは,弟子とするという目的を持って「教える」という基本的な意味がある。マタ 13:52では「教えられた」と訳され,マタ 27:57では「弟子となっていた」と訳されている。使徒 14:21では,パウロとバルナバがデルベで,「かなり大勢の人々が弟子となるよう」手助けしたことについて使われている。この文脈の「バプテスマを施し」と「教え」という動詞は,「弟子としなさい」という命令に何が関係するかを示している。関連するギリシャ語名詞マテーテースについては,マタ 5:1の注釈を参照。
父と子と聖なる力: 父であるエホバ神を認めるのは当然のこと。エホバは私たちを創造し,命を与えてくださった方だから。(詩 36:7,9。啓 4:11)さらに聖書は,神の目的における子の役割を認めない人は救いを得られないことも示している。(ヨハ 14:6。使徒 4:12)神の聖なる力の役割を認めることも大切。特に,神はご自分が送り出す力によって,命を与え(ヨブ 33:4),メッセージを伝え(ペ二 1:21),ご自分の望むことを行う力を与えた(ロマ 15:19)から。また,ここの節で3つが列挙されていることが三位一体を裏付けていると信じる人もいるが,聖書に,この3つが永遠性,力,地位の点で同等であることを示す箇所はない。同じ節で一緒に述べられているからといって,全てが神性,永遠性,同等性を持つということにはならない。(マル 13:32。コロ 1:15。テモ一 5:21)
聖なる力: ここのギリシャ語プネウマ(中性名詞)は,神から送り出されて作用する非人格的な力を指す。用語集の「聖なる力」,「プネウマ」参照。
名によって: 「名」に当たるギリシャ語(オノマ)は名前以上のものも指す。この文脈では,父と子の権威と地位および聖なる力の役割を認めることを意味する。それを認めることによって神との新しい関係が築かれる。マタ 10:41の注釈と比較。
-