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使徒の活動 注釈 7章新世界訳聖書 (スタディー版)
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エホバ: 入手できるギリシャ語写本はここで「主」(キュリオス)という語を使っている。ギリシャ語聖書でたいていこの称号は,文脈によってエホバ神かイエス・キリストを指す。ここでは以下の幾つかの理由でエホバ神を指すと思われる。ステファノは,ルカ 23:34で「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」と述べたイエスとよく似た言葉を使っている。ルカがステファノの話を記した使徒 7:2-53で,キュリオスという語が3回使われている。3回とも,明らかに神を指すヘブライ語聖書の部分が引用あるいは言及されている。(使徒 7:31,33,49の注釈を参照。)多くの注釈者や翻訳者は,これらの文脈でキュリオスがエホバを指すという見方を支持している。(付録C参照。)キュリオスという語は使徒 7:59にも出ていて,そこではステファノが「主イエス」とはっきり言っている。しかし,これはある人たちが主張するように使徒 7:60でキュリオスと呼び掛けられているのがイエスであるということではない。ステファノの59節の言葉と60節の言葉はいったん切れている。それまで立っていたステファノが,敵たちの前でひざまずいたのは,エホバに祈るためだったと思われる。(ルカ 22:41,使徒 9:40; 20:36; 21:5と比較。そこではひざまずくことが神への祈りと結び付けられている。)それで,ステファノの最後の言葉は全能の神エホバへの祈りだったようだ。さらに使徒 7:56によると,ステファノは「天が開いて,人の子が神の右に立っている」のを見たので,59節でイエスに,その後60節でエホバに語り掛けたと考えられるだろう。ギリシャ語聖書の幾つかのヘブライ語訳(付録C4のJ17,18,22,23)は60節でテトラグラマトンを使っているが,59節の「主イエス」という表現の訳では使っていない。付録C3の序文と使徒 7:60を参照。
死の眠りに就いた: 聖書は,「眠る」や「眠りに就く」という表現を,睡眠(マタ 28:13。ルカ 22:45。ヨハ 11:12。使徒 12:6)についても,死の眠り(ヨハ 11:11。使徒 7:60; 13:36。コ一 7:39; 15:6,51。ペ二 3:4)についても使っている。死についての文脈でそういった表現が使われている場合,聖書翻訳者は,読者に誤解させないよう,「死の眠りに就く」,あるいは単に「死ぬ」という言い方をすることがある。聖書中の比喩的な用法の場合,「眠っている」という語は,アダムから受け継いだ罪と死のために死んだ人について使われている。マル 5:39,ヨハ 11:11の注釈を参照。
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