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  • 使徒 18:1
    新世界訳聖書
    • 18 この後,パウロはアテネを去ってコリントに来た。

  • 使徒 18:1
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 18 こうした事の後,彼はアテネを去ってコリントに来た。

  • 使徒
    ものみの塔出版物索引 1986-2025
    • 18:1 洞-2 450; 徹 148; 感 210,214

  • 使徒
    ものみの塔出版物索引 1951-1985
    • 18:1 塔66 402

  • 使徒
    エホバの証人のためのリサーチガイド 2019年版
    • 18:1

      「徹底的に教える」148ページ

      「洞察」

      「聖書全体」210,214ページ

  • 使徒の活動 注釈 18章
    新世界訳聖書 (スタディー版)
    • 18:1

      コリント: 古代ギリシャでとりわけ古く著名な町で,現代の町の南西約5キロに位置していた。コリントが重要で非常に裕福な町であったのはおもに,ギリシャの中央部と南部のペロポネソス半島とをつなぐ地峡(幅が狭くなっている陸地)という戦略上の要所にあったから。コリントは,ギリシャの南北の物流を支配しただけでなく,地中海の東西の海上交通をも支配した。海路でギリシャを大きく回るよりも,地峡を横切って海路と陸路で行く方が安全だったから。ローマ人はギリシャのうちマケドニア以外の地域をアカイアと呼んだ。アカイアはカエサル・アウグストゥスの治世中にローマ元老院管轄属州となり,コリントが州都とされた。(使徒 18:12の注釈を参照。)コリントには大勢のユダヤ人が住み,会堂を設けていて,ギリシャ人の信奉者も集まっていた。(使徒 18:4)ユダヤ人が古代コリントにいたことは,1世紀の著述家アレクサンドリアのフィロンと古代のギリシャ語碑文によって証明されている。「ヘブライ人の会堂」という意味の「[シュナ]ゴーゲー ヘブラ[イオーン]」という碑文が,レカイオン港の方の門の近くで見つかった大理石製のまぐさ石に記されていた。そのまぐさ石はパウロの時代のものという意見もあるが,もっと後代のものという意見がほとんど。付録B13参照。

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