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ローマものみの塔出版物索引 1951-1985
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9:17 最 114-117; 事 311; 塔65 521; 天 89; 塔54 389; 塔53 205,210
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ローマ 注釈 9章新世界訳聖書 (スタディー版)
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聖句には,ファラオに対するこういう言葉があります: 直訳,「聖句は,ファラオに言っています」。パウロは続けて出 9:16から引用している。それは,エジプトのファラオに伝えるようエホバがモーセに命じた言葉の一部。(出 9:13-19)しかし,パウロは「聖句」を擬人化して,聖句がファラオに直接話しているかのように述べている。パウロはロマ 3:19で同様の擬人法を使い,「律法が述べている事柄は全て,律法の下にいる人たちに対して述べられています」と書いた。律法を含め,ヘブライ語聖書は神の言葉として認められていて,いわば神が話しているようなものなので,これらの文脈にあるこうした比喩は適切。同じように,イエスも神の聖なる力を擬人化して,それが「教える」とか「証言します」と言うことがあった。(ヨハ 14:26; 15:26)
私は……あなたを生かしておいた: 多くの翻訳は,この表現を「私があなたを立てた」と訳していて,神がファラオを即位させたというようにも読める。しかし,パウロはここで出 9:16から引用していて,その文脈から意味がはっきりと分かる。神は7番目の災厄を告げた時,ファラオにこう言った。「私は手を突き出してあなた[を]打ち,あなたを地上から消し去ることもできた」。(出 9:15)しかし,神はファラオを打つのではなく命を容赦し,こう述べた。「あなたを存在させておいた[または,「あなたを生かしておいた」。直訳,「あなたを立たせてきた」]」。(出 9:16)また,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳で,ファラオに対するエホバの言葉が「あなたは生かされてきた」と訳されていることにも注目できる。それで,ヘブライ語聖書の文脈とセプトゥアギンタ訳の訳し方は,ロマ 9:17のギリシャ語が,神がファラオに力を示すまでファラオを生かしておいたという意味であることを裏付けている。
私の名が地上全体に広まるようにするためである: パウロはここで出 9:16から引用している。それは,6番目の災厄の後,エホバがファラオに伝えるようモーセに指示した言葉の一部。(出 9:8-15)聖書で,「名」という語は,その者自身,その評判,自分について宣言したこと全てを表す場合がある。(出 34:5,6。マタ 6:9,ヨハ 17:6,26の注釈を参照。)聖書は一貫して,神の名が神聖なものとされ立証されることを強調している。例えば,詩編作者はこう祈った。「人々があなたのことを知りますように。エホバという名を持つあなただけが,地球全体を治める至高者であるということを」。(詩 83:18)エゼキエル書には,次のようなエホバの言葉が50回以上記されている。人々は「私がエホバであることを知らなければならなくなる」。(エゼ 6:7; 38:23)イエスは弟子たちに,神の名が神聖なものとされることを祈るよう教えた。(マタ 6:9)使徒パウロはクリスチャンに,神の名を人々に伝えるよう励ました。(ヘブ 13:15)啓 15:4は次のように問い掛けている。「エホバ,誰があなたを畏れず,あなたの名をたたえないでしょうか」。
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