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コリント第二 注釈 1章新世界訳聖書 (スタディー版)
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私たちは皆さんの信仰の主人ではありません: パウロは,兄弟たちが忠実なクリスチャンとして正しいことをしたいと願っていると確信していた。兄弟たちがしっかり立てたのは,信仰があったからであって,パウロや他の人たちがそうさせたからではなかった。「主人で」あると訳されているギリシャ語動詞(キュリエウオー)は,横暴な,あるいは高圧的なというニュアンスを含む場合がある。実際,ペテロは関連する語を使って長老たちに,「神の財産である人たちに対して威張ったり」してはなりませんと述べた。(ペ一 5:2,3)パウロは,自分が使徒としての権威を持っているからといって,横暴になってもよいというわけではないことを理解していた。さらに,私たちは皆さんの喜びのために働く仲間ですと言って,自分や同行者たちが他の人より上ではなく,むしろ仕える者であって,コリントのクリスチャンが喜んでエホバを崇拝できるよう何でも行う者である,と見ていたことを示した。
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