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コリント第二 注釈 5章新世界訳聖書 (スタディー版)
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主への畏れ: この文脈で,「主」はイエス・キリストを指すと思われる。パウロは前の節で,「私たちは皆,キリストの裁きの座の前に出なければならない」と述べている。(コ二 5:10の注釈を参照。)イザヤは,裁く方としてのイエスの役割について預言した。(イザ 11:3,4)「主への畏れ」は,イエスを裁く方として任命したエホバへの心からの愛と深い敬意から生じる。(ヨハ 5:22,27)
よく知られ: または,「明らかにされ」。パウロは,自分と仲間たちがどんな人かを神は知っているということを確信していた。パウロはここで,自分たちの動機や行いが受け入れられる良いものであることをコリントの人たちにも認識してほしいと願っている。
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